顧客が問われずとも金融機関に語るために

少しまとまった預金があるとして、銀行員から使途の有無を聞かれて、まともに答える人はいない。決まった使途がないといえば、どうせ、外貨預金だの、投資信託だの、保険だのと売りつけられるに決まっているからである。金融の営業では、下手に問うことは、問う動機を暴露して警戒させるだけである。

しかし、金融機関として、例えば、顧客本位のもとで、顧客の需要に真に適合した投資信託を販売しようと思えば、顧客の資産状況や取引経験などを把握しなければならないから、やはり、顧客に聞かざるを得ないのである。そこで、理想としての真の顧客本位のもとでは、顧客と金融機関との高度な信頼関係のなかで、顧客の側が問われるまでもなく積極的に金融機関に情報を提供するのでなければならない。

こうした高度な信頼関係のわかりやすい例として、医師と患者の関係がある。患者は医師に全ての症状を報告する。そうしないと、最善の治療が受けられず、患者の不利益になるからである。つまり、患者は、問われずとも、自己の利益のために、積極的に語るのである。

同様に考えれば、金融機関は、顧客の利益の視点で最善の提案を行うことを確約しなければならないのである。最善が保証されているから、顧客は、自分の利益のために、問われずとも語る、これが顧客本位の本質である。

顧客が問われずとも金融機関に語ることは、金融機関への信頼の表明であり、顧客の利益の視点での最善の提案を期待する意思の表明である。翻って、現状を顧みるに、金融機関は顧客に問うことで営業の野心を暴露し、顧客は警戒して口を閉ざすことで不信を表明しているのである。

誤った顧客本位の理解のもとで、金融機関は、前にもまして熱心に顧客に問うのではないか、その結果、前よりも顧客の不信が増大するのではないかと懸念される。くれぐれも、金融機関は、真の顧客本位とは問わずとも教えてもらえる関係の構築であることを忘れないでほしい。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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