3日、日本癌学会でのシンポジウムへ参加するため、日帰りで広島に出張する。この学会で中村研究室出身者たちと顔を合わせるのが楽しみの一つだったが、今年はそれもできなくなってしまった。仕方がないと頭では理解できるが、寂しさは拭いきれない。
先週から今週にかけて、複数のメディアのインタビューを受けたが、「なぜ国立がん研究センターを批判するのか」というストレートな質問もあった。私の表現がまずいのだろうが、この程度の発想だから日本のがん医療はよくならないのだ。私は行き過ぎた標準化療法、マニュアル化したがん医療の象徴として国立がん研究センターを批判しているが、最大の批判対象はがん患者や家族に寄り添えない現在のがん医療体系そのものに対する点である。
「バイオバンクジャパン」と「東北メディカルメガバンク」の比較論も聞こえてくるが、味噌と糞を区別できないような料理人が料理の品評をしているようなシステムが、日本の評価制度の欠陥を如実に示している。
バイオバンクジャパンを通しての研究成果がどれくらいあるのか科学的な検証もされず、甘言を真に受ける人たちが支配しているあり方が日本の問題だ。多くの人たちが、根本的な科学の違いだけでなく、その背景にある哲学の違いも理解できていないことが残念だ。
話は戻るが、2012年に「これでいいのか、日本のがん医療」というタイトルの本を書いた。患者さんの顔も見ずに淡々とお釣りの額を告げるかのように余命を告げる医療でいいのかを世に問うたのだ。絶望の中で暮らす6か月、1年と、わずかな希望の中で生きる6か月、1年という時間の大切さを考えるのが医療ではないのか?時間だけではなく、その人がその期間、どのように生きたのかを考えることが医療なのだ。
詐欺的な希望を許すつもりはないが、これだけ医学・医療が進んできた中で、科学的に考えられた希望はいくらでも提供できるはずだ。希望をつなぎ、患者と家族に笑顔を取り戻し、食事を楽しくおいしく食べることができるようにすること、それも医療なのだ。希望が、たとえ1%でも本物の笑顔に戻り、その1%がどのように治癒したのかを考える人間らしい気持ちと科学的な思考ができれば、1%が2%になり、2%が5%に、そして、それを10%、20%、50%にすることができるはずだ。
厚生労働省でがんの全ゲノム解析が計画されている。全ゲノム解析をすれば、分子標的治療薬が見つかる一定の割合みつかる。そして、米中で多数の臨床試験が行われているネオアンチゲン療法、そして、T細胞療法へつながるはずだ。がん研究は決して研究者が論文を書き、企業が創薬するだけのものではない。もっともっとがん患者さんの視点に立った部分を組み入れることができるはずだが、この国ではそうではないようだ。
そして、取材を受けていて感ずることだが、もっと私の人生哲学・研究者魂の部分に光を当ててほしいと思う。医学や医療は何のために、誰のためにあるのか、本質論を問いかけてほしい。まるで、ワイドショーの延長線上のような取材姿勢・内容が日本の医療を歪めているのではないかと思った。
「中村先生の子供のころはどんな子供だったのでしょうか?」という質問には、「なんで、君にそんなこと言わんといかんのや!それがなんやねん!事件の取材か!」と思ったが、大人の対応で「今の私を見てわかるように、他人の言うことを聞かない子供だった」とジョークで答えた。しかし、その答えに大きく頷かれた時には、「え~。そこで納得する??」と悲しくもあった。世間はきっとそのように見ているのだろう。
しかし、本当に私の気持ちが希望から絶望に変わってしまいそうな1週間だった。たが、ここで負けるわけにはいかない。織田信長の桶狭間の戦いのように幸運に賭けて切り捨てていては、世の中は動ないことをこの20年間で学んだ。徳川家康のように重い荷を背負い続けてトボトボとゴールを目指して歩き続けるしかない。
がん患者さんに希望を与える道ががん研究会の中にあるのかどうかも自問自答している。そして、私ができなくても、代わりに荷物を背負ってゴールを目指してくれる若者を育てることも必要だ。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年10月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。