共産主義・マルクス主義信奉を志位和夫委員長が改めて表明した心意気や良し。野党共闘はやはり「大異小同」だ
こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。
報道が総裁選一色となる中、昨日はテレ朝「モーニングショー」で野党4党の党首クラスが顔を揃えてテレビ討論をするコンテンツが放映されました。
野党4党幹部がモーニングショーに出演。自民党総裁選のさなかの放送に反響「野党の政策も伝えて」
選挙前にあえて野党にスポットを当てる報道がさらに充実することを期待するばかりですが、その中で興味深いやり取りがあって話題になっています。
玉川徹氏が暴走 共産党・志位委員長に「共産党という名前、変えられないんですか?」
記事タイトルの通り、コメンテーターの玉川徹さんが「(世間の支持を広げるために)共産党という名前を変えたらどうか?」とぶっこんだというものです。
ソ連や中国、カンボジア(ポル・ポト政権)などで起きた共産主義国家による悲劇・虐殺・独裁抑圧によって、共産主義・共産党のイメージは拭い難いものになっており、この名称問題は定期的に話題になることでもあります。
>「それからあと、共産党は例えば共産党っていう名前があんまり良くないんじゃないかと。これ変えられないんですか?」と、党の根幹に関わる質問を放った。
志位氏も苦笑いで「これはね…私たちの理想の名前で、これはもともとはね、玉川さんね、ラテン語でコブニス、協同っていうところからきている。人々が力を合わせて生きていこうと。そこからコミュニズムとできてきている。ですから私たちの目指す共産主義っていうのは人間の自由、人間の解放、これをホント目指してる社会ですから、大事に使っていきたいと思ってます」と諭すように話した。
なおも玉川氏が「それなら、日本共生の党とかにすればいい」と食い下がると、志位氏は「共産てところがいいとこで」
玉川氏が「いいの?」と聞くと、志位氏は「一番要は、やっぱり生産をみんなで力を合わせてやっていくっていうところにある」と、にこやかながらも譲らなかった。
上記記事より抜粋、強調筆者
日本共産党が、歴史的に失敗を繰り返してきたソ連のような共産主義とは異なるというのであれば、名前を変えた方がわかりやすいんじゃね?と傍から見ると思うものの、当事者の方々の思い入れは強いようです。
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こうした一連のやり取りを受けて、志位和夫委員長はTwitterで下記のように投稿しています。
このブレない姿勢には私も敬意を示すものですし、その行政監視能力を生かして、思想の自由がある日本では活躍の機会を得てほしいとも思います。
共産主義が極めて全体主義と相性が良く、実際、歴史的にも資本主義とは比べ物にならない悲劇を生み出してきたことはご承知の通りです。
特に危険なのは「生産手段の社会化」という方向性を捨てていないことで、これはどう考えても統制経済・独裁にまっしぐらに進まざるを得ない政策思想です。
いくら「そうではない」「かつての統制経済とは異なる、進化版なんだ」と言葉で否定されても、具体策が提示されていないのだから、歴史的事実から判断する他ありません。
志位和夫委員長も番組で「一番要は、やっぱり生産をみんなで力を合わせてやっていくっていうところにある」と強調され、綱領にも繰り返し出てくるように、この生産手段の社会化つまり国営化に共産党は強い思い入れを持っています(綱領読めって言われるので、リンクもしておく。読んでます)。
そしてその社会化・国営化された生産手段(企業や工場、農場など)を統一戦線政府とやらが主導していく。共産主義者の考える「人間の開放」「人間の自由」に向けた社会が作られていく。
つまり、自由民主主義・資本主義をベースとする他の政党とは、共産党はその根本からまったく異なる考えを持っているということです。
共産党が政権を取ると、私有財産として「生活手段」は残されるけど、「生産手段」は召し上げられて管理されるので、そんな社会は私は嫌です。
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「共産主義者は、これまでのすべての社会秩序の暴力的転覆によってのみ、自分の目的が達せられることを、公然と宣言する」-「共産党宣言」より-
晩年は暴力によらない革命もありえることを例外的に認めたものの、残された文献・主張内容から一般的に考えれば、マルクスの志向は最後まで暴力革命だったはずです。
先日来話題になっている「暴力革命」による懸念は、決して荒唐無稽なものではありません(だから名前を変えた方が良いという話も出てくる。マルクスを信奉している以上、羊頭狗肉ですが)。
ここまで根本思想が異なってくると、とりあえず今の政権がダメだから、「大同小異で選挙協力・野党共闘だ」という展開には疑問符しか浮かばないわけです。
むしろ大異小同と言うにふさわしい状態であって、かつて民主党政権で政権交代が起きたときも、共産主義を否定する社民党とは手を組んでも、根本思想が異なる共産党とまで協力することはありませんでした。
こんな野合勢力が万が一政権を取っても、考えていることが違いすぎて早晩に空中分解するか、むしろ共産主義に引っ張られて染まっていくかという二つに一つの帰結しか考えられません。
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元民主党で、共産党と手を結ばなくても政権交代を成し遂げた経験があるからこそ、急速に左傾化・共産党化していく今の民主系政党には忸怩たる思いが人一倍強いのでしょう。
おそらくふわっとした「反自民・反政権」の方が考えるより、「生産手段の社会化」を真剣に目指す共産党と他の政党との隔たりは、相当に大きい。
これは政治力学を考える上で非常に重要なことであり、「野党ってなんで一緒にならないの?」「何が違うの?」と思う方々に、しっかり伝えていかなければならないと考えています。
それでは、また明日。
編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2021年9月25日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。