絞首刑による死刑執行の残虐性は正視できない

多くの国では薬殺も選択肢

法務省は21日、3人の死刑を執行したと発表しました。日本では「死刑は絞首刑による」(刑法11条)と規定しています。メディアが絞首刑という表現を使わないのは、残虐なイメージが伴うからでしょう。

xefstock/iStock

古川法相は「いずれの事件も極めて残忍。慎重に検討した上で、執行を命じた。国民の多数は極めて悪質、凶悪な犯罪については死刑はやむおえないと考えている。廃止は適当でない」と、述べました。

死刑執行が伝えられる度に、私は「残虐な殺人犯に対するものであっても、絞首刑とは残虐すぎる」と思ってきました。薬物注射による薬殺という安楽死を認めている国も少なくありません。

絞首刑というと、かつてのギロチン、断頭台を思い出します。フランス革命における処刑で有名になり、「受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用された」との解説もあります。「えっ、なんで人道的か」です。

それ以前の斬首刑では、斧や刀が使われ、未熟な死刑執行人だと一撃で斬首できず、受刑者に多大な苦痛を与えることも多く、「機械装置の作用によるギロチンの落下のほうが人道的」とされた時代のようです。

世界を見渡しますと、「絞首刑、銃殺のインド」「公開での銃殺もある北朝鮮」「銃殺、薬殺の中国やベトナム」「銃殺、石打ちの中東」など、絞首刑、薬殺、銃殺など方法が採用されています。

米国は州によってまちまちで、「絞首刑、薬殺」のほか、かつての電気イスによる執行が残っている州もあるそうです。各国の歴史、国民感情によって死刑そのもの、執行方法の考え方に差があります。

欧州ではほぼ死刑そのものが廃止されています。日本の世論は「容認80%、廃止10%、その他10%」などとなっています。国際的には、死刑廃止論も根強いにしても、日本の国民感情はそこまで高まっていません。

それにしても、死刑執行の方法については、もっと議論があっていい。2010年8月、東京拘置所の刑場(処刑室)の状況が報道に公開されました。ぞっとする光景で、これを機会に絞首刑の是非について、議論が高まるのかと想像していましたら、そうはなっていません。

憲法36条は「拷問、残虐な刑罰は禁ずる」としています。では「絞首刑は残虐ではないのか」について、最高裁は「残虐とは言えない。合憲」(昭和23年)との判断を下しています。それから70年以上、経っているのですから、国民感情も変化しているはずなのに、動きはありません。

今回の3人の死刑執行に際し、日弁連は「抗議する。死刑制度は廃止すべきだ」との声明は出しました。さらに「当面の間、絞首刑は是正すべきだ」とでもなぜ言わなかったのでしょうか。

「遺族は厳しい処刑方法を望んでいる」(遺族感情)、「多くの国民は死刑存続を容認している」(国民感情)のほか、「死刑廃止論に飛び火するのを警戒している」、「最高裁も合憲の判断を下している」などあり、絞首刑の是非についての議論は避けてきたのでしょう。

不思議に思うのは、「絞首刑は比較的安楽に死をもたらす方法だ。一瞬にして意識を失う。薬殺刑などに比べ、特に残虐ということは当たらない」といった肯定論が存在することです。

絞首刑の執行方法を調べますと、「目隠しして手錠をはめる。処刑室に連れて行き、天井から下がったロープを首にかける。執行官がボタンを押すと、足元の床が開き、死刑囚は落下し、宙ずりになる。頸動脈と推骨動脈が塞がれ、脳死を起こし、心臓が停止する」と。さらに「最短では数秒、長くて2、3分しか意識が続かない」とも。

一方、「執行官は3人が同時にボタンを押し、誰が死に追いやったか分からないように配慮している。新婚の刑務官や、妻が妊娠の者は避ける」とも。執行官への配慮は細やかです。

いかに死刑囚とはいえ、こうした場面を想像すると、彼らにとっては、恐怖で心が氷つく。国民の多くも「絞首刑と聞くと、正視に耐えない」でしょう。前時代の野蛮な処刑方法です。

もっとも薬殺については、米国のある州では、「医師は死刑執行に関わるべきでない。命を救うという本来の責務にもとる」として、医師会は協力できないと、言っているそうです。日本はどうなのでしょうか。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2021年12月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。