ロシア移民家庭でパリ生まれの哲学者の「プーチン大統領研究」の専門家、ミシェル・エルチャニノフ氏は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で、「プーチン大統領は新聞やインターネットで情報を得ることはない。そこには正しい情報がなく、フェイクニュースだけだと信じているからだ」と説明し、プーチン氏自身は自分を歴史学者と考え、過去の歴史文献を好んで読んでいるという。
奪われた領土の奪還は責務
その歴史学者を自負するプーチン氏は9日、「ウクライナ戦争(特殊軍事活動)はロシア皇帝ピョートル1世の指揮のもと戦われた大北方戦争と同じだ。ピョートル大帝は今日のサンクトペテルブルクの大都市周辺をスウェーデンから征服したのではなく、それを取り戻しただけだ」と強調し、同戦争とウクライナ戦争の類似点を強調しながら、「奪われた領土の奪還は責務だ」と述べている。
ピョートル大帝(在位1682年~1725年)は1672年6月9日生まれで今年生誕350年を迎えた。同大帝は、ロシア皇帝の称号を自分に与え、ロシア北部の征服によってバルト海へのアクセスを確保した最初のロシア皇帝だった。同大帝はスウェーデンのカール12世との北方戦争(1700年~21年)で最終的に勝利する。
プーチン氏は、「その時からほとんど何も変わっていない。この地域をロシアの領域として認めたヨーロッパの国はない。フィン・ウゴル族に加えて、スラブ人も何世紀にもわたってそこに住んでいたのだ」と述べている。プーチン大統領がピョートル大帝生誕350年の記念展示会を訪問した際に語った内容だ。
プーチン氏の歴史の授業は現在進行中のウクライナ戦争に行き着き、ロシア軍がウクライナに侵攻した特殊軍事活動を正当化するために、ピョートル皇帝まで遡ったわけだろう。プーチン大統領は自身をあたかもピョートル大帝の再現のように思わせている。
プーチン氏はウクライナ侵攻の目的をウクライナの非武装化、非ナチ化を掲げ、ロシア軍にウクライナ侵攻命令を出したが、その心意気は大北方戦争を率いたピョートル皇帝のような気分だったというわけだ。
エルチャニノフ氏は、「プーチン氏が2月21日、プレミアの時間帯に1時間、ウクライナの歴史を講義し、ロシアはウクライナに占領されている地域の解放に乗り出さなければならないと詳細に説明した。まるで歴史の授業のようにだ」と述べている。
そのプーチン氏は2月24日、ウクライナ侵攻への戦争宣言の中で、「ウクライナでのロシア系正教徒への宗教迫害を終わらせ、西側の世俗的価値観から守る」と述べ、聖戦の騎士のような高揚した使命感を漂わせた(「プーチン氏に影響与えた思想家たち」2022年4月16日参考)。
プーチン氏の使命感は思想化され、歴史的な人物や出来事に自身を重ね合わせて、他の指摘や主張などに耳を貸さなくなる。プーチン氏はクレムリン前にキエフ大公の聖ウラジーミルの記念碑を建てた。聖ウラジーミルはロシアをキリスト教化した人物だ。
クレムリンの前に聖ウラジーミル像を建立したということは、ウクライナもロシアに属していることを意味する。モスクワ生まれの映画監督、イリヤ・フルジャノフスキー氏はオーストリアの日刊紙スタンダードとのインタビューの中で、「プーチンは自身を聖ウラジーミルの転生(生まれ変わり)と信じている」と述べているほどだ。
マクロンはプーチンの忍耐強い生徒
プーチン大統領と何度も電話会談したフランスのマクロン大統領は後日、「自分は彼(プーチン氏)から奇妙な歴史の話を何度も聞かされた」と証言している。プーチン氏がマクロン氏との電話会談を断らないのは、「マクロン氏がプーチン氏の歴史を忍耐強く聞いてくれる生徒だからだ」ということになる。
プーチンの歴史授業にはピョートル大帝が登場し、聖ウラジーミルがプーチン氏の口を通じて語りだすのだ。マクロン大統領がいうように「奇妙な歴史の話」だが、語り手のプーチン氏は真剣だ。世界はそのプーチン氏の歴史観に振り回されているわけだ。「プーチン氏の狂気」と呼ぶか、「彼は病気だ」と診断するかは人によって異なるだろう。
問題は、プーチン氏が始め、主導するウクライナ戦争をどのように終結させるかだ。もはやソフトランディング(軟着陸)は期待できないとすれば、プーチン氏が新たな歴史的人物を登場させる前に最小限度の犠牲と被害でウクライナ戦争を終結させなければならない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年6月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。