この問題については、既に北村隆司氏が9月23日に「次官会見の廃止歓迎」という記事をお書きになっています。官僚とマスコミとのなれあい関係など、マスコミのもつ数々の問題についてはご指摘の通りだと思います。ただ官僚会見廃止については別の面もあると考えます。
『鳩山新政権の発足を受け首相官邸は16日、報道機関への対応について、〈1〉各省庁の見解を表明する記者会見は、閣僚など政治家が行い、官僚は行わない〈2〉次官らの定例記者会見は行わない――との内容の指針をまとめ、各省庁に通知した。
指針は、閣僚が適切と判断した場合には、官僚による記者会見もあり得るとしているが、「国民の知る権利」を制限するものとして論議を呼びそうだ』(09年9月17日 読売新聞より)
つまり鳩山新内閣は官僚の会見禁止を決めたわけで、情報はすべて政府というフィルターを通して発表することを意図したものと考えられます。これはどう見ても政府による情報統制であり、不都合なものは隠蔽するという大本営発表を思わせるものです。産経社説は「民主主義社会の根幹である言論報道の自由に反すると指摘せざるを得ない」としています。
官僚主導から政治主導への転換は本来の方向であり歓迎したいのですが、たとえそれに役立つとしても官僚の口を封じる情報統制という手段は時代の流れに逆行するものであり、民主党の体質に強い疑問を感じます。
さらに意外であったのはこの官僚の会見禁止という新政権の方針に対するマスコミの反応です。情報統制という重大な危険性を孕む政府の方針に対して、思ったほどの反応はありませんでした。一部を除く新聞は社説で取りあげたものの、記事としての扱いは芸能人の覚せい剤所持事件よりはるかに小さいものでした。
日経は先行した岡田克也氏の発言を受けて15日の社説に、読売と産経は18日の社説で反対意見を述べ、毎日は19日になってから同様に取りあげました。朝日は社説で取りあげることはありませんでした。NHKの反応も鈍く、ようやく25日になって「おはようコラム」で取りあげました。
官僚の会見禁止が実現すればマスコミは有力な情報ルートを失います。当然、官僚に質問して情報を引き出す機会もなくなります。その結果、国民が知り得る情報は政府によって管理された情報が中心になります。そうなればマスコミは報道の役割を十分果たせなくなる可能性があります。
今回、二つの問題が明らかになったと思います。官僚の会見禁止は民主党幹部が十分検討した上の決定だと推定できますから、それは民主党の体質の反映と考えられます。批判を封じ、国民の耳目を塞ぐという不透明な方向への無頓着さ、「知らしむべからず、寄らしむべし(*1)」といった強権的な手法が打ち出されたことに不安を覚えます。
もうひとつは既に述べたようにマスコミの見識の問題です。情報統制に対する反応の鈍感さ、必要な情報を国民に知らせるという自らの役割に対する職業意識の低さであります。情報統制に対してより強いメッセージを発しなかった事実は今後に影響を与えないかと懸念します。
余談になりますが、各紙の社説では日経と産経が手厳しい内容で、読売がそれに次ぎ、毎日も穏やかながら批判しています。しかし朝日新聞は批判なしです。民主党に対する批判のレベルは同党に対するスタンスと強い関係があるようです。
たとえ仲良しの政党でも権力を握る与党となれば、情実を排して厳しく監視するのがマスコミの役割の筈です。こんなところで「友愛」精神を発揮していただくのは大変困ります。これでは不偏不党の看板が泣きはしませぬか。
(*1)論語の「民は之に由らしむべし之を知らしめるべからず」の略で、民に理由を理解させるのは難しいので黙って従わせよ、という意味だそうですが、為政者は信頼を得るようにせよ、という解釈もあるようです。
コメント
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090924/183116/?P=4
花岡信昭元産経新聞政治部長
政治取材には「記者会見」と「懇談」がつきものだ。会見は相手の名前を特定して報道していいケースである。「懇談」というのは、「政府首脳」「政府筋」「○○省首脳」などとして、発言者をぼかして扱うものだ。会見開放となると、いったいどこまでオープンにするかが現実問題として厄介なことになる。
なぜ、「懇談」が必要か。その問題をめぐるさまざまな事情、背景などを、ざっくばらんに聞き出すためである。記者会見という公開の場では言えないことも、懇談の場では可能になる。政治家や官僚の側もそのあたりの呼吸を心得ていて、「ここまでは会見でしゃべる(紙面に出してよい)。ここから先は懇談にまわす(オフレコにして欲しい)」という対応をする。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e0eb17f22880ede66df1f7f27b91d254
記者クラブの2ちゃんねらー 2009-03-07 / Media 池田信夫氏
西松建設の事件が自民党まで波及しない(その後二階俊博前経産大臣は不起訴処分となった) 、とのべた「政府筋」の発言が問題になっている。普通は「政府筋」は官房長官で「自民党筋」は幹事長のことなのだが、河村官房長官は「私は承知していない」という。警察から出向している漆間副長官かなと思ったら、やはりそうらしい。朝日新聞の記事は奇妙な日本語だ。
…朝日新聞はこの高官に身分を公表するよう求めたが拒まれた。
朝日新聞の記者はこの「政府高官」を知っているのだが、「身分を公表」する主体は記者ではなく高官である。これはオフレコを条件とする記者クラブとの「懇談会」で出た話だから、彼(漆間巌氏)の了解を得ないと公表できないのだ。
(池田信夫氏)
…NYタイムズのミラー記者が、2002年に”Bush administration officials”の話として「イラクが大量破壊兵器を製造している」と報じ、開戦の意思決定に大きな影響を与えた。これはのちにリビー副大統領首席補佐官による情報操作だったことが判明し、NYタイムズは社内監査を行なって匿名の情報源の扱いをチェックする体制を強化した。
日本でも、「検察関係者」の話として一方的な情報が流され、メディアが犯罪を作り上げる傾向が強い。ただ匿名の情報源をすべてやめると、逮捕されるまで何も報道できなくなるので、むずかしいところだ。
しかし今回のような「記者懇」の話は、複数の記者の前で話したことだから、もともとbackgroundではありえない。どこの社も同じ話を引用して公然の秘密になっているのに、本人が誰か報じることができないという滑稽な状況は、世界のどこにも見られない。記者クラブと政府が癒着して無責任な情報操作を助長する「2ちゃんねる」的な報道はやめ、オフレコは記者の個別取材に限るべきだ。
私には何を紙面に出すかどうかを取材対象者の「政府首脳」「政府筋」「○○省首脳」などらの選択に任せること自体が、岡田克敏氏が言うところの”情報統制”と思えるのだが、如何であろうか?
花岡信昭氏の話など、興味深い情報をありがとうございました。いろいろと複雑な問題があるようですね。
岡田さんに質問したいのは、
1)氏は「政府のアカウンタビリティ」についてどうお考えなのか?本来誰が誰に対して説明責任をもつべきなのか?
2)マックスウェーバーも危惧した自己増殖本能をもち、なんの責任ももたなくてすむような役人が自己の権益、省益拡大を企図して行う情報操作のデメリットと、怠惰な既存メディアの情報ソースが制限されるデメリットのどちらを杞憂すべきなのか(官僚へのインタビュー自体は制限されないそうですよね)?
3)次官会見(海外に10年住んでいて少なくとも私は似たようなものを見たことがない)なるものがグローバルな視点からみてそれ自体極めて希なことなのではないか?
以上です。ちなみに、シンガポール在住中海外メディアと金融機関の円卓会議に出席した際に私は日本の大手メディア記者が英語を一言も発せず、2時間近く携帯電話で内輪話に終始していたのを目撃したことがあります。そんな心もとない取材源しかもたず、記者クラブという仲良しクラブに守られ、普遍的な視野にたった批判精神をもつとは考えづらい彼らを弁護するのはどう考えてもおかしいと思ってしまうのは私だけでしょうか。
次官による「会見」の禁止でしょ。つまり裏で非公式に話すことを禁じられているわけじゃない。もっとも、政策形成への関与が減り実質的に実力者でなくなれば取材する意味もないわけで。
masbokuさんへのお答え
1)政府が国民に対して説明責任を負うのは当然ですが、それを全うするためには、メディアに対する情報提供のチャンネルが多い方がよいと思います。政府発表をそのまま伝えるのだけでなく、裏側まで伝える必要があります。
2)このような極端なケースは現実的でなく、お答えしかねます。
杞憂→憂慮の間違いでは?
3)稀かどうか、私にはわかりません。悪しからず。
この問題のきっかけになったのは、選挙前、農水省の事務次官が民主党の掲げる農業政策を批判したことだと言われています。だから批判を封じようという発想が生まれたと理解しています。
念のために付け加えますが、私はメディアを擁護しているわけではありませんので誤解されないよう願います。
すみません、先のコメントは「杞憂」するべきか?ではなく「憂慮」すべきか?でしたね。お恥ずかしい限りです。。
somuoyaji さんへ
記事に引用した読売の記事では「各省庁の見解を表明する記者会見は、閣僚など政治家が行い、官僚は行わない」となっており、事務次官、審議官、局長クラスなどを含むと解釈できます。
裏で非公式に話すことはOKのようですが、会見禁止という方向性に私は疑問を感じます。
・各省庁の見解を表明する記者会見は、閣僚など政治家が行い、官僚は行わない
・次官らの定例記者会見は行わない
これらの民主党政権の指針はポリティカルな課題については大臣・副大臣・政務官が記者会見を行い、テクニカルな課題については(専門家である)官僚が(大臣・副大臣・政務官らの政府の指導を経て)記者会見を行う、と言う事なのだろう。
会社組織でも日常的・個別の業務については、各部門長の決裁を経て実行されて行く。
社長ら経営陣は個々の取引に関与することより、定期的なマネージメントレビューを行うことで組織の健全性を担保している。
これまでの官僚組織の記者会見は”従業員が自分達の働きを評価する”と言った趣のものであった。
これは本来であれば、会社の経営陣か株主が行うべきことである。
これまで私たちはエージェント(官僚)側の考えを”有難い”物として、大手メディアを経て一方的に押し付けられてきた。
しかし、プリンシパル(総選挙で示された民意)を反映した政府により、エージェント(官僚)はコントロールされて然るべきではなかろうか?
それで、政府の一部門を形成する各省庁の重要な(ポリティカル)な課題について、総選挙で示された民意を反映する大臣・副大臣・政務官らが責任を持って記者会見を行うことは、私たち国民に取り大いに歓迎すべきことではなかろうか?
大手メディアには、国民のエージェントである大臣・副大臣・政務官らの政府がキチンと仕事をしているかどうか、を私たちに包み隠さず報道していただきたいものだ。
satahiro1さんへ
大臣・副大臣・政務官らが有能で、官僚をきちんとコントロールできること、
大臣・副大臣・政務官らが包み隠さず、不利なことをも誠実にマスコミに情報提供する、
という条件であれば会見禁止もよいとおもいますが。
「
大臣・副大臣・政務官らが有能で、官僚をきちんとコントロールできること、
大臣・副大臣・政務官らが包み隠さず、不利なことをも誠実にマスコミに情報提供する、
という条件であれば会見禁止もよいとおもいますが。
」
それで私たちは国民のエージェントである大手メディアが国民を誤導しないように、常に彼らの行動を監視して行くべきでしょう。
そのためにはアゴラのような”メディア”が高い質を保って各々のエージェントにレベルの高い働きを要求し続けることが必要となるでしょう。
初めまして、芦原と申します。
「大臣・副大臣・政務官らが有能で、官僚をきちんとコントロールできること、
大臣・副大臣・政務官らが包み隠さず、不利なことをも誠実にマスコミに情報提供する、
という条件であれば会見禁止もよいとおもいますが。」という岡田さんのご発言には、『国民に対して責任ある代理人のはずの大臣・副大臣・政務官らよりも、国民に直接の責任を持たない官僚の方が優秀だし、少なくともマスコミに対して嘘をつかない』という仮定があるように感じられます。
実態はともかく(笑)、重視すべきなのは、責任をとってもらうべき大臣・副大臣・政務官が、それなりに優秀で国民にもマスコミにも嘘をつかないことではないでしょうか?今回、民主党がそこに取り組んでいこうとしている点は評価されるべきと考えてます。
国民の情報入手という側面でみても、大手マスコミにとっては仕事がしにくくなるとしても、海外メディア等からは記者クラブを通じずにそれなりの報道や記事が出ていますし、ネット経由の情報も質量ともに改善されていますから、それほど急には困りません。大手マスコミの方々に頑張って頂くしかないような気がします。長くなりまして恐縮です。
「実態はともかく」とおっしゃっていますが、実態を重視することが大事かと思います。政と官の役割を理念的に捉えることは現実的でないと思います。
官僚も政治家も嘘をつくという前提が必要であり、情報ルートの多様化はそれを防ぐ意味があります。
「あらたにす」の記事、『問題は「官僚支配」ではない』
http://allatanys.jp/B001/UGC020004820090908COK00381.html
が参考になると思います。