哲学者梅原猛氏の日本史(特に日本古代史)に関する独自の見解を総称して「梅原日本学」「梅原古代学」などという。その出発点となったのは、1970年6月に創刊された『すばる』第1号に掲載された論文「神々の流竄」である(続篇「蔭の部分」と共に集英社文庫に収録されている)。
戦時中、『古事記』『日本書紀』に記された日本神話(記紀神話)は歴史的事実として教えられた。このため、記紀神話は6世紀の大和朝廷の指導者によって創作された虚構にすぎないと主張した歴史学者の津田左右吉の一連の著作は発禁処分になった(津田事件)。
敗戦後、軍国主義への反省から歴史学界は津田説を継承し、記紀を軽視するようになった。戦前の反動で進歩的歴史学者は、記紀をことさらに否定した。梅原氏の言葉を借りれば、「わが国最古の歴史書にして神学の書である古事記、日本書紀は、あわれにも無視と忘却の中におかれていたのである」「歴史学者は、考古学の成果をもって歴史叙述に代えたのである」ということになる。
けれども古代人は神々を深く信じていたのであるから、「その人間を研究するには、神々の研究が必要である。神々の研究をするためには、神社を研究すると同時に、古事記、日本書紀を研究しなければならぬ」と、梅原氏は戦後歴史学を批判した。この問題意識の下に執筆されたのが「神々の流竄」である。
「神々の流竄」の最も重要な主張は、出雲神話の舞台は出雲(現在の島根県東部)ではない、という衝撃的な問題提起である。出雲神話に登場するオホクニヌシやスサノヲは、もともとは大和(現在の奈良県)の神々であった。これらの神を信仰する出雲族は大和の先住民であった。出雲族を征服した大和朝廷は当初、出雲族の宗教を採用し、出雲族を懐柔した。
しかし、やがて天皇を中心とする律令国家が建設されると、大和の豪族と結びついている古い神々は大和から山陰地方の出雲に追放された。新しい神(天照大神)の根拠地である伊勢が日出ずる東の地であるのに対し、日没する西の出雲は神流しの地、神々の流竄の場所であった。出雲大社は、オホクニヌシやスサノヲら大和から放逐された神々を封じ込めるための宮殿だった、というのだ。
要するに、出雲神話は、大和朝廷内で起きた数々の政治的事件を出雲の地に仮託して語ったものだ、と梅原氏は解釈したのである。梅原氏は津田説を批判したが、古事記研究の第一人者である三浦佑之氏が指摘するように、記紀神話は大和朝廷=中央の側でつくられたという地方軽視の姿勢は津田説と共通する(「梅原猛と古事記」『ユリイカ』第51巻第5号、2019年)。
梅原氏は次のように語る。
古い神々が新しい日本国家の建設をさまたげては困るのである。古い神々よ死ね。それと共に、古い神々を支えとしている、 大和の豪族よほろびよ。天皇を中心とする律令国家確立のためには、古い神々の死と古い氏族の滅亡は必然なのである。
この「怨霊を社寺に封じ込める」という発想は、梅原古代学の根幹になっていくが、怨霊史観の問題点については次回論じることとして、今は措く。梅原の出雲神話論は壮大で魅力的な仮説ではあるが、「出雲において、古い考古学的遺跡は少ない」「北九州や、大和のように、巨大な文化の痕跡を示す遺跡がない」という点に大きく立脚していた。「まだ発見されていない」ということを論拠にするのは、非常に危うい。今後発掘されるかもしれないからである。そして、それは現実化した。
1984年に島根県簸川郡斐川町神庭の荒神谷遺跡から358本の銅剣が発見され、翌年には6個の銅鐸と16本の銅矛が出土した。1996年には同県雲南市加茂町の加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が掘り出された。考古学的な大発見が相次いだことで、出雲地域に強大な勢力が実在したことが証明されてしまい、梅原氏は自説を撤回せざるを得なかった。
梅原氏は『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』(新潮社、2010年)で「我々は学問的良心を持つ限り、出雲神話は全くの架空の物語であるという説を根本的に検討し直さなければならないことになる」と率直に誤りを認め、出雲虚構論から出雲実在論へと180度転換した。その学問的誠実さには頭が下がる。ただし梅原氏は、出雲大社は大和朝廷に滅ぼされた「出雲王朝」の神々の鎮魂のために建造されたという新説を代わりに唱えたので、怨霊史観じたいは終生維持したと言える。
邪馬台国論争が典型的であるが、史料が乏しい奈良時代以前の歴史に関しては、想像力を奔放に駆使した「古代のロマン」あふれる「仮説」を発表する余地があるように、素人目には見える。だが、日本の古代考古学は世間の予想を上回るペースで進展しており、従来のロマンを次々と否定している。現在でも考古学的成果を無視した「仮説」が後を絶たないが、それらはもはや「通俗日本論」とすら呼べない。単なる「素人の思いつき」である。
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