なぜ核兵器を持たない国は核武装国に立ち向かうのか

野口 和彦

ロシアのウクライナ侵攻は、核武装国が核兵器を放棄した国家に対して起こした戦争です。非核兵器保有国であるウクライナは通常戦力で劣勢だったにもかかわらず、徹底抗戦して、ロシアのキーウ(キエフ)占領を防いだばかりか、東部地方でも一部でロシア軍を後退させました。

ロシアは世界最大の核兵器保有国です。そのため、もしロシアがウクライナに核兵器を使用したら、最悪の場合、ウクライナという国家は消滅してしまいます。こうした軍事力の著しい非対称性があるにもかかわらず、ウクライナをはじめとする非核兵器保有国は、核兵器保有国からの要求に屈服することなく、それに抵抗する場合が多いのです。

rusm/iStock

核時代のパズル

ここで疑問が生じます。なぜ非核兵器保有国は自国が滅びるリスクを冒してまで、核兵器保有国と戦うのでしょうか。

このパズルに挑んだのが、ポール・エイヴェイ氏(ヴァージニア工科大学)です。彼の著書『命の危険を冒すということ—なぜ非核兵器保有国は核武装した敵と対峙するのか—』(コーネル大学出版局、2019年)は、現在の国際政治における最重要課題の1つに取り組んだ貴重な画期的研究です。

エイヴェイ氏は、アメリカのノートルダム大学政治学部で博士号を取得しています。この大学は、日本ではあまり知られていないようですが、ここの政治学部は、政策に関連づけた国際関係研究を擁護するマイケル・デッシュ氏や、ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)の愛弟子であるセバスチャン・ロザート氏など、素晴らしい政治学者が在籍しています。よい教師からは優れた卒業生が生まれるものだと思います。

核使用の利益とコスト

本書『命の危険を冒すということ』の最大の貢献は、核時代における国家間の対立に、人々が驚くような直観に反するパターンを見つけたことです。普通に考えれば、弱い国は強い核武装国に歯向かわないでしょう。なぜならば、圧倒的な実力差がある敵と戦ったところで、コテンパンに負ける結果に終わるだろうと予想できるからです。

しかしながら、このような推論は、核時代の国際政治には当てはまりません。核兵器を持っていない国家は、「絶対兵器」である核兵器を保有する国家と何度も戦争を行っているのです。

第二次世界大戦後から2010年まで、核兵器保有国対非核兵器国の戦争は17件起きています(表1参照)。他方、非核国同士の戦争は19件です。前者と後者の二国間関係は、驚くことに大差ないのです。さらに意外なのは、通常戦力でより劣る非核兵器国の方が、強い通常戦力を持つ国家より、核兵器保有国と戦争しているのです。すなわち、パワーが強い国家より弱い国家の方が、核武装国に軍事力を実際に行使して立ち向かう傾向にあるのです。

その主な理由は、エイヴェイ氏によれば、核武装国がパワーで劣る国家の抵抗には、絶対兵器である核兵器を使わずに対処できるからだということです。ここに非核兵器国が核武装国に対抗できる余地が生まれます。

核兵器はその甚大な破壊力ゆえに、相手国に耐え難い打撃を与えられるメリットがあります。その一方で、核兵器の使用には多くのデメリットがあるのです。敵対する国家に核爆弾を撃ち込めば、必然的に民間人やインフラなどに付随的被害をもたらすでしょう。相手国が生物・化学兵器を保有しており、それらにより反撃されたら大きな損害を受けます。

核兵器を使用した国家は、潜在的な同盟国から見放されるかもしれません。経済制裁も覚悟しなければならないでしょう。自国の核兵器の行使が隣国を刺激して、核武装に向かわせることもあり得ます。そうなると、自らの安全保障は、かえって損なわれるかもしれません。さらに、「核使用のタブー」が存在すると言われる国際社会において、非核武装国に核攻撃を行えば、世界各国から厳しく批判されることは確実であり、国家の評判を間違いなく大幅に落とすでしょう。

このように核兵器の使用は大きなコストを伴うのです。したがって、核武装国は、核兵器の行使がもたらすコストが利得を上回る限り、それに手を出さないということです。

核兵器の独占と戦争

過去に行われた核兵器保有国と非核兵器国の戦争を見てみましょう。

代表的な戦争を挙げれば、朝鮮戦争(1950年)、ソ連のハンガリー侵攻(1956年)、ヴェトナム戦争(1965年)、十月戦争(1973年)、第一次中越戦争(1979年)、湾岸戦争(1991年)、イラク戦争(2003年)といった事例があります。

これらのすべての事例において、核兵器保有国は核兵器を使うほど深刻な脅威を相手国から受けませんでした。要するに、核武装国は、わざわざ絶対兵器を戦場に投入する必要がなかったのです。

表1 1945―2010年間における核兵器独占戦争における戦死者数の見積もり
出典:Avey, Tempting Fate, pp. 144-145を基に筆者が改訂。アフガニスタン侵攻の死者数はhttps://www.theatlantic.com/photo/2014/08/the-soviet-war-in-afghanistan-1979-1989/100786/sから引用した。

上記の事例では、非核武装国は核兵器保有国の生存や核兵器庫を脅かすほどの軍事力を持っておらず、多くの戦争は後者の領土外で行われました。アメリカは朝鮮半島で中国人民義勇軍に苦戦を強いられましたが、本国の独立や主権に危険は全く及んでいません。

ヴェトナムに軍事介入したアメリカは、北ヴェトナム軍やヴェトコンの激しい抵抗を受けて撤退しましたが、米国本土は無傷でした。ヴェトナムを懲罰する名目で軍事行動を起こした中国は、ヴェトナムから厳しい反撃を受けましたが、その存立は全く脅かされていません。

十月戦争でエジプトとシリアの奇襲を受けたイスラエルは、緒戦で大きな損害を受けましたが、核兵器に頼ることなく、強力な国防軍で劣勢を跳ね返して、逆に両国の軍隊を追い詰めました。その他のすべての事例も、核武装国には大きな被害が及ばない戦争でした。

興味深いのは、一方が核兵器保有国で他方が非核の軍事大国の場合です。このようなケースでは、強い非核兵器国は核武装国の死活的な国益や安全保障を脅かせるので、双方に自制が働く結果、戦争になりにくいのです。1948年のベルリン危機時のアメリカとソ連がそうでした。

当時、核兵器を保有していなかったソ連は、アメリカをドイツから排除しようとして、西ベルリンを封鎖しました。これにアメリカは大規模な空輸作戦で応じました。この時、クレムリンは、この危機がエスカレートして戦争になれば、アメリカは核兵器を使うだろうと判断していました。実際、アメリカの高官はソ連の都市を核兵器で攻撃する意図を語っていました。

こうしたソ連指導者の懸念は、アメリカによる空輸を妨害しない抑制的態度につながったのです。他方、ワシントンもベルリンをめぐって第三次世界大戦を起こすつもりはありませんでした。その結果、ベルリン危機は米ソの軍事衝突には発展しませんでした(同書、第5章)。

核保有国と非核保有国の戦争では、前者は後者に苦戦を強いられることがありますが、それが核兵器による反撃の引き金になるほどの打撃を受けていません。ヴェトナム戦争では、アメリカは約6万人もの戦死者をだしましたが、北ヴェトナムはその十倍以上の犠牲を払っています。第一次中越戦争では、中国人民解放軍の1万3千人の兵士が戦死しましたが、戦闘は中越国境付近で局地化されており、中国の存立は脅かされていません。

これらの核兵器保有国が甚大な損害をだした事例でも、その軍隊が崩壊の危機に直面したり、体制や領土保全が危うくなったりはしませんでした。ですので、これらの核武装国が核兵器に頼って戦局を挽回しようとするインセンティヴは低かったのです。

核時代におけるパワーの逆説と戦略

このように強国よりも弱国の方が核保有国に歯向かえるというのは、核時代における国際政治のパラドックスです。核兵器を保有していないパワーで劣る国家は、相手国が核兵器を使用するレッド・ラインを見極めながら、それを超えない範囲で核武装国に立ち向かい、自己の生存と国益の最大化を試みるのです。同時に、核大国は弱い非核兵器国との対決において、コストの見込まれる核使用に、あえて踏み込もうとはしません。そうしなくても、自国の生存や体制は維持できるからです。

他方、強いパワーを持つ非核兵器国は、核武装国の安全保障や重要な国益を脅かすことができます。そして核大国は非核国との戦争で大敗北を喫しそうになった場合、敗戦を避けるために核兵器を使おうとするかもしれません。これがわずかな可能性であっても、非核兵器国の指導者には恐怖です。

すなわち、核兵器を持たない強国の指導者は、核武装国をコーナーまで追い詰めてしまうと核による報復を受ける恐れがあると予測するので、紛争において徹底的な勝利を追求しようとしません。皮肉にも、非核国の強さは、核保有国への攻撃的な行動を自制するように働くのです。その一方で、核武装国は敵国から生存や死活的国益が脅かされない限り、コストの高い核使用には踏み切らないでしょう。

このエイヴェイ氏の研究成果は、ロシア・ウクライナ戦争や日本の安全保障に何を示唆しているでしょうか。

第1に、ロシアは戦場で屈辱的な大敗走を強いられたり、クレムリンの政治体制が危機に瀕したり、自国の核兵器庫が外部からの攻撃により無力化されそうにならない限り、ウクライナに対して核兵器を撃ち込むインセンティヴを高めそうにないということです。しかしながら、これらの条件が満たされなくなれば、すなわち、ウクライナやそれを支援する西側がロシアのレッド・ラインを超えれば、第二次世界大戦後、初めて核武装国が非核国に核兵器を使用する可能性は高まるでしょう。

第2に、中国や北朝鮮、ロシアが日本に対して核兵器を使うには、高いハードルがあるということです。もちろん、楽観は禁物ですが、日本が二度と戦争被爆を受けないためには、これらの国家が引くレッド・ラインの内側において、核使用の際に支払うコストを高くすると同時に、その利得を減らす政策を実行すべきでしょう。

岸田政権は、新しい「国家安全保障戦略」を策定しました。これに基づき、日本は今後、防衛費を倍増して反撃能力を保有することになります。新しい防衛計画が順調に進めば、近い将来、日本は世界第3位の軍事費を支出する強国になります。このことは日本が核武装国と危機に突入しても、双方が攻撃的な行動を抑制するように作用するでしょう。

エイヴェイ氏は核兵器の威嚇や行使に伴う便益とコストを通常戦力に関連づけながら、こう分析しています。

(核武装国の)利得はより有利な政治的解決の達成にある。コストとしては、核兵器国自身の目標を挫折させられ、より大きな反抗を生み出す破壊、核拡散を促すことや効果がないことなどが含まれる。核武装国は利得が十分に大きければ、それらのコストを甘受して厭わないだろう。もし利得が縮小すれば、同じ程度のコストでも、核使用を思いとどまるには十分だろう…通常戦力における軍事バランスと非核兵器保有国の戦略は、そのような(費用便益)評価において重要な役割を果たすのだ(同書、23頁)。

そもそも核武装国は核兵器を持たない強国とは、これまで戦争を行っていません。核兵器を持つ国といえども、強力な通常戦力を持つ国は手ごわいのです。日本が通常戦力を尖閣諸島などにおける既成事実化を拒否できるのに十分なほど強化できれば、中国は同諸島の制圧目的を達成できにくくなるので、核による恫喝のメリットも損なわれます。ましてや、無人島を占拠するための核攻撃など割に合わないのは自明でしょう。

さらに日本が採用する通常戦力により反撃する戦略は、現状打破国にレッド・ライン内で深刻な損害を与えるものにできれば、核使用や恫喝のコストを上昇させられます。その結果、日本周辺の核武装国は、核兵器の威嚇や使用をより躊躇することになると期待できるのです。