選挙イヤーの掉尾を飾った尹大統領の戒厳令

選挙イヤーだった2024年が暮れようとしている。何といっても一番の注目は暗殺未遂をも逆手にとったトランプが圧勝した米大統領選だ。が、日本国内では、いくつもの失政で政権を投げ出した岸田氏が石破「だらし内閣」を誕生させた自民党総裁選と総選挙、そして内部告発者の死亡が事情を複雑にした兵庫県での斎藤知事返り咲き選挙がいずれも不測の結果だっただけに、選挙イヤーの掉尾を飾ると思われた。

ところが12月3日、お隣の韓国で尹錫悦大統領が戒厳令を布告するという、およそ現代の民主主義国家の出来事と思えない事態が出来し、世界中の注目を集めている。筆者がこれを選挙イヤーの出来事に含めるのは、4月に行われた韓国総選挙で、2年前の大統領選を僅差ながら制した「国民の力」(以下「国民」)が300議席中108議席しか獲れないという大惨敗を喫したことが、今般の戒厳令の主たる原因の様だからだ。

韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領
NHKより

韓国国会は14日、野党が再び提出した大統領弾劾決議案(7日の1度目は「国民」の欠席で否決)を議席の3分の2に当たる賛成204票で可決した。腰の定まらない韓東勲代表の「国民」が12人造反した計算だ。これにより大統領の職務は直ちに停止され、今後は憲法裁判所が弾劾罷免の妥当性を180日以内に判断することになる。

今後の国政は「国民」の韓悳洙(ハン・ドクス)首相が代行することになるが、「巨大野党」が存在する以上、その政権運営は困難を極めるだろう。尹大統領はその前々日の12日、日本語訳で6328文字に上る長文の国民に向けた談話を出し、非常戒厳の目的は「国民に野党の反国家的悪行を知らせ、これをやめるよう警告するもの」と述べたが、その効果は薄い。

7日に出された「法的・政治的責任問題を回避しません」「私の任期を含め、今後の政局安定方案は我が党(与党・国民の力)に一任します」「今後の国政運営は我が党と政府が共に責任を持ち、行っていきます」との謝罪談話を覆し、開き直る様な内容だが、その半ば辺りには4月の総選挙で不正が行われたと彼が信じていることを思わせる下りがある。

この中で尹は先ず、就任以来178回に及ぶ大統領退陣・弾劾集会が野党主導で開かれ、実際に数十人の政府公職者が弾劾されて国政が麻痺させられた他、野党の不正を調査した監査院長と検事らをも弾劾し、違憲的な特別検察法案を27回も発議して政治扇動攻勢をかけてきたとする。

次に、昨年来の中国人によるドローンを用いたスパイ事件に絡め、現行法には外国人のスパイ行為を処罰する法律がないため、刑法のスパイ罪条項を改正しようとしたがこれを野党が阻んでいると述べる。この改正は前文在寅政権によって国情院の対共捜査権を剥奪され、国家保安法が廃止された事態を修正する試みの一つだった。

予算関連では、金融詐欺事件、社会的弱者対象犯罪、麻薬捜査などの民生侵害事件捜査や対共捜査に使われる、検察と警察の来年度の特別業務経費、特殊活動費の予算が完全にゼロに削減されたとし、薬物、ディープフェイク犯罪対応予算までも大幅に削減されたと述べている。

これらは、野党に向けられる捜査のみならず、薬物捜査、組織暴力団捜査の様な民生事犯捜査まで妨害するもので、大韓民国をスパイ天国、麻薬巣窟、組織暴力団の国にするということではないのか? このような人々こそ国を滅ぼそうとする反国家勢力ではないのか? と国民に呼びかけるのである。

経済面の予算でも、原発関連ではチェコ原発輸出支援予算は90%削減、次世代原発開発予算もほぼゼロ化、基礎科学研究、量子、半導体、バイオなど未来成長力予算も大幅に削減され、東海ガス田のボーリング事業予算も事実上全額削減となった。青年雇用支援、脆弱階層児童の資産形成支援、子供の世話手当予算、革新産業成長ファンド、強小企業育成予算、災害対策予備費やパンデミックに備えるためのワクチン開発と関連R&D予算も削減といった具合である。

斯様に巨大野党の議会独裁と暴挙によって国政が麻痺し、社会秩序が攪乱され、行政と司法の正常な遂行が不可能な状況であり、この事態が如何に深刻であるかを国民に再認識させるべく非常戒厳を布告した、と尹はいうのである。

さらに尹は、以上の様な公開された情報の再確認に続けて、「私が非常戒厳という厳重な決断を下すまで、これまで直接明らかにできなかった更に深刻なことがたくさんあった」として、非常戒厳で軍を真っ先に選挙管理委員会(選管)に向けた理由を述べる。

曰く、昨年の下半期に選管をはじめとする憲法機関や政府機関に対して北朝鮮によるハッキング攻撃があり、これを発見した国情院が情報流出と電算システムの安全性を点検しようしたが、選管は憲法機関であることを理由に頑強に拒否するという出来事があった。

結局、選管の大規模採用不正事件が起こって監査と捜査を受けることになり、国情院の点検を受け入れた。が、応じたのはシステム機器全体のほんの一部のみの点検だった。しかもその一部点検の結果は深刻で、国情院職員がハッキングを試みると容易にデータ操作が可能であり、事実上ファイアウォールもなく、パスワードも単純な「12345」といったものだった。

国情院の報告を受けて尹はショックを受けたが、憲法機関である選管は、司法部の関係者が委員を務めているため、令状による家宅捜索や強制捜査は事実上不可能であり、選管自らが協力しなければ真相究明が不可能だった。24年4月の総選挙前にも問題のある部分の改善を求めたが、改善されたかどうか不明であった。それで今回の非常戒厳の布告により、国防長官に選管の電算システムを点検するよう指示したというのである。

何やらこの辺りは、20年の米大統領選における選挙不正疑惑とそれを4年間唱え続けたトランプを彷彿させる。『中央日報』は13日のコラム【時視各角】で「政権を滅ぼした尹大統領の3重中毒」と題し、尹が非常戒厳発布に至った3つの理由を、その精神状態から忖度している。

1つは権力中毒。尹には検事時代と同様に自分がその気になれば制圧できない対象はないという確信があったというのだ。後に和解したが尹は朴槿恵を監獄に送り込んだ

2つ目はYouTube中毒で、新聞・放送よりもYouTubeに心酔したという。視聴者の好みそうな番組を次々に押してくるネットのアルゴリズムに嵌り、情報源のバランスを欠いたということか。

ネット時代の選挙が、新聞とTVだけを情報源にしていた時代とは全く異なるものになっていることは、大は米大統領選から小(といっては兵庫県民に失礼だが)は今般の斎藤知事の再選まで、世界中で夙に知られつつあることだ。

3つ目はアルコール中毒。尹は数十年間にわたり暴飲してきたという。酒は衝動を抑制し、理性的な判断を担当する脳の前頭葉を萎えさせるそうだ。尹はあらかじめアルコール中毒の相談を受けるべきだったという。筆者はもう一つ、金建希夫人への恐妻も加えたいが先に進む。

次に憲法裁判所の審判に絡めて、大韓民国憲法を見ておきたい。そこには国家の緊急状況に備えるための制度として緊急財政・経済処分・命令制度および緊急命令制度(第76条)および戒厳制度(第77条)がある。(太字は筆者)

第76条
① 大統領は内憂・外患・天災・地変又は重大な財政·経済上の危機に際し、国家の安全保障又は公共の安寧秩序を維持するため緊急の措置が必要であり国会の集会を待つ余裕がないときに限り最小限の必要な財政・経済上の処分を行い、又はこれに関して法律の効力を有する命令を発することができる。

② 大統領は国家の安企にかかわる重大な交戦状態において国家を保衛するために緊急の措置が必要であり国会の集会が不可能なときに限り法律の効力を有する命令を発することができる。

③ 大統領は第1項と第2項の措置を行ったときには大統領は遅滞なく国会に報告し承認を得なければならない。

④ 第3項の承認を得られないときにはその処分又は命令はそのときから効力を喪失する。この場合その命令により改正又は廃止された法律はその命令が承認を得られない時から当然に効力を回復する。

⑤ 大統領は第3項と第4項の事由を遅滞なく公布しなければならない。

第77条
① 大統領は戦時·事変又はこれに準ずる国家非常事態において兵力により軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要があるときには法律の定めるところにより戒厳を宣布することができる。

戒厳は非常戒厳と警備戒厳とする。

③ 非常戒厳が宣布されたときには法律の定めるところにより令状制度、言論·出版·集会·結社の自由、政府や裁判所の権限に関し特別な措置をすることができる。

④ 戒厳を宣布したときには大統領は遅滞なく国会に通告しなければならない。

国会が在籍議員過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときには大統領はこれを解除しなければならない。

一見して、尹が12日に出した談話で述べた事態を、なぜ第76条の緊急命令ではなく、第77条の戒厳に拠ってしか対応できないと考えたかが、先ず問題になりそうだ。即ち、その事態が「戦時·事変又はこれに準ずる国家非常事態」に当たるのか否か。むしろ第76条の①にいう「内憂・外患」又は「重大な財政・経済上の危機」に際し、「国会の集会を待つ余裕がないときに限り」「法律の効力を有する命令を発することができる」との条文に従うべきではないかということだ。

また「軍事上の必要に応じ」としている割に第77条の戒厳の要件とその種類は余りに概略的に過ぎる。その理由は憲法とは別に「戒厳法」が定められているからで、韓国漢陽大学の方勝柱教授は「大韓民国憲法上の国家緊急権制度」なる論文で「戒厳の本質」としてこう述べている。

一国が国家非常事態に瀕した際、それに対応するためには様々な方法がある。しかし、戦時や事変、その他それに準ずる国家非常事態に瀕して兵力をもって軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要がある時に行う非常措置が戒厳だと言える。

大韓民国憲法第77条は、「兵力として軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要がある時」という必要性の原則を明確にしている。従って、このような必要がないにもかかわらず、兵力を、政治的目的を追求するための手段として使おうとするか、又は兵力の力ではとても克服できない事案に対し、むやみに兵力で対処しようとするのは最初から戒厳の本質に反する違憲だろう。

これを読む限り、おそらく尹はトランプの様にはいくまい。

最後に日本の国益の観点から二点。一点は漸く実刑が下って収監された曺国と同様、早く李在明の公民権が停止する日が訪れるのを望むこと。他は、軍の一部が選管や国会への出動を渋ったとの報道は、本来とは逆の意味でシビリアンコントロールが効かないという点で、日米韓の軍事連携に懸念を生じさせた。