韓国で起こることはしばしば日本人の理解を超える。残り2ヵ月余りとなった大統領選もその一つだ。筆者は8月の拙稿「来年の韓国大統領選に勝つのはきっとこの人物だ」で、最大野党「国民の力」(以下、「国民」)の国会議員洪準杓が大統領になる可能性が高いと書いた。
洪氏が前回の大統領選出馬で身体検査を終えていることが主な理由だった。が、駆け込み入党した尹錫悦前検事総長に党内予備選で惜敗、予想は見事に外れた。目下は与党「共に民主党」(以下、「民主」)の予備選で前首相の李洛淵前代表を破った李在明京畿道知事と尹氏との実質一騎打ちの戦いだ。
そこで、理解を超える出来事の一つ目だが、国政経験のない両候補が所属両党の本流ではないせいか、候補個人の戦いの様相が濃く、党対党の全面的な戦いになっていない様に見えることだ。これは昨年の米国の大統領選が共和党vs民主党の血みどろの戦いだったのと大いに趣を異にする。
「国民」の本流といえば朴槿恵政権で首相を務めた黄教安や17年の大統領選で文在寅の対抗馬だった洪準杓(前身の自由韓国党党首)であろうし、一方の「民主」なら李洛淵の他に、文在寅の側用人ともいえる金慶洙元慶尚南道知事や曺国元法相、そして朴元淳前ソウル市長らがいた。
が、その尹氏、予備選直前の入党を「やむを得ず」と白状した。無所属での立候補には5つ以上の市や道で各700人以上、合計3,500人以上の推薦が要るから「国民」を利用したということか。「国民」側も、政治経験のない李俊錫党首が尹氏の関係者との折り合い問題で常任選対委員長を降りてしまうのだから常軌を逸している。
一方の「民主」も、金慶洙はドルイド事件で獄に繋がれ、曺国も両手の指に余るほどの疑惑で罪に問われているし、前ソウル市長に至ってはセクハラ疑惑の中、謎の死を遂げた。李洛淵も1月の朴槿恵前大統領の特赦進言が文在寅の逆鱗に触れ、文の鉄板支持層からの忌避に晒された。
理解を超える二つ目も毎度のことだが、政策論争そっち退けで両候補に対する極めて激しい非難合戦に終始していること。韓国紙の報道を読む限り、尹氏には法相との検察時代の職権乱用の詰り合い(後述)の他、妻の経歴詐称や妻の母の預金残高偽造(1年の実刑)がある。
一方の李氏も、息子の常習賭博容疑や甥の殺人事件の弁論など親族の関係で幾度も謝罪し、義姉への暴言でも謝った。が、何より本人が城南市長時代に大庄洞で推進した都市開発に絡む疑惑がある。この関係では側近の逮捕や関係者の自殺もあった。まさに韓国版疑惑のデパートの様相だ。
その大統領選に槿恵の妹槿姈が出馬表明した。彼女は日本の政治家による靖国参拝を支持したことがあり、出馬会見では主要候補らを「北の核危機と国民統合の根本的な解決策には目を向けず、ただ権力獲得に没頭している」と批判、大統領に集中する権力の分散化を公約として訴えた。槿恵との不仲も報じられたが、謹厳実直な槿恵が政治家となって妹弟すら遠ざけたことからのものと推測する。
文在寅の保身から特赦されたとも言われる朴槿恵の存在は、前述の李洛淵の例でも判るように、大統領選に影響しよう。世論調査で李氏を上回る尹氏だが、法相の詰り合いは槿恵政権関係者の逮捕に起因し、保守派には槿恵を冤罪(筆者の私見)で4年9ヵ月も獄に繋ぐことに加担した尹氏を快く思わない者が少なくない。
槿恵の逮捕は、教科書国定化を恐れた文が検察に明示はせずとも結果として使嗾し、崔順実の国政壟断疑惑や三星などから崔が支配する財団への出資に、槿恵との「経済的共同体」なる珍妙な理屈を付け「地位と権限の濫用」として違憲にした疑いがある(拙稿「朴槿恵になら良いが曺国には駄目?呆れる文大統領の対検察二重基準」)。
本人が一銭も受け取ってないとされる賄賂事件などの罰金に家屋敷を差し出し、特赦されても病身を癒す家すらない元大統領の存在は異様だ。尹候補が槿恵支持派によって、また李候補が種々の疑惑によって、各々出馬辞退に追い込まれ、李洛淵と洪準杓とで選挙が行われはしまいか、と筆者は夢想する。
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さて、文在寅の関心は専ら任期終了後のことに向いている様だが、11月9日の日経に「知っておきたい韓国大統領 選挙制度・対日方針・退任後」なる記事があった。改めて朴正熙以降の全斗煥から朴槿恵まで7人の大統領の末路を確認した。が、現文在寅政権ほど「嘘」の多い政権はなかったように思う。
筆者は昨年12月、45年8月10日から4ヵ月間の朝鮮半島の出来事を書いた「朝鮮分断小史①~⑤」の中で、北で金日成の対抗馬に擬された曺晩植(1883-1950)を「朝鮮のガンジー」とした。が、その曺や南の中道左派指導者呂運亨(1886-1947)の師匠格に「真の朝鮮のガンジー」がいる。
その名は安昌浩(1878-1938)、「島山」と号した独立運動家だ。曺晩植は明大法学部への留学から戻った13年、島山に共鳴した独立運動家の李昇薫が07年に建てた五山学校で教鞭をとった。五山学校は島山が米国から帰国して08年に設立した大成学校と共に、当時の民族系学校を代表する。
明治学院に留学し、帰国後に五山学校で教えたこともある「朝鮮近代文学の祖」李光洙(1892-1950)に、安昌浩の唯一の伝記ともいえる「至誠、天を動かす―大韓民国独立運動の父 島山安昌浩の思想と生涯」(現代書林)がある。以下はその記述から。
光洙によれば時に世間は島山を無学の人といい、本人もそう自認した。東西の古典に通じることを教養というなら、学歴や学位もない島山は無学だ。が、宇宙や人生の大道に透徹し、国家と社会の理論と実際について拘りのない境地に深く入れることが教養なら、島山には教養があるということになる。
島山の勉強は読書や耳学問からのものでなく、天地や国家・社会という原本から直接会得したものだった。故に彼の知識は他人の頭脳と言語を通過して伝わったものでなく、彼自身が直接観察し推察して到達した独創的なもので、彼の豊富な読書は自己の知識と他人のそれとを対照するに過ぎなかった。
島山は会議や意見の発表に際し、先ず心中で自分の意見に自ら反対し、賛成し、補い折衷して、これ以上意見の加えようのない信念に到達するまで語らなかった。故に一度発せられた意見は、誰がどの角度から反論しようと、予め用意された完璧な答弁を打ち破れなかった。が、これが論敵から憎しみを買うことにもなった。
以上は李光洙の評価だが、島山自身の発言からその信念の一端を見てみたい。
わが民族は「虚偽の悪弊」に溺れきっている。ああ、嘘よ!お前は私の国を滅ぼした仇敵だ。私は死んでも一生噓を言わないだろう。
彼はそう誓い、己の心の底にある「嘘」を全てなくすことこそ、独立運動そのものだと決め、祖国への最も神聖な義務であると定めた。そして島山は、韓国の民族性の堕落とした二つ目の病根を「口」、つまり空理空論と他人の批判だとし、こう述べた。
子孫は祖先を憎み、後進は先輩を怨み、民族の不幸の責任を己以外の誰かに転嫁しようとする。一体なぜ貴方にはできず、その上に他人の身を非難するのか? 私達の国が独立できないのは、ああ私のせいだと己の胸を叩き悔いることを、なぜ貴方はできず、あいつらのせいだ、殺されるべきだと叫ぶだけで、なぜ座り続けているのか、己こそ殺されて然るべきだと、なぜ悟れないのか?
100年以上も前の日韓併合前後の言だが、韓国の今を述べるとしても、彼は同じ様に言うのではなかろうか。もし島山がこの大統領選の候補として当選するなら、理解可能な隣国ができるかも知れぬ。島山のことは稿を改めてまた論じたい。