子供たちが外でやる遊びに「山崩し」というのがある。「棒倒し」ともいう。やり方は簡単で、先ず砂浜や砂場に砂を盛って山を作り、頂上に棒を立て、じゃんけんで順番を決めて、山の砂を順に削っていく。砂を削って棒を倒した者が敗け、その前の順番の者が勝ちとなる。
肝は「どこまでなら砂を取っても棒が倒れないか」の見極めにある。序盤は沢山砂を削れるが、砂が少なくなると倒れる危険性が増す。砂を取りさえすればルール上は問題ないので、僅かに取って自分の順番をしのぐ戦術もあるし、逆に、敢えて大きく砂を取って勝負する手もある。
本稿では自民政権のこの2年間をこの「山崩し」に擬えて振り返ってみたい。先ずは、10月16日の拙稿「安倍を6連勝させた右から3割の岩盤保守は比例で自民に入れない」で、自民の比例が半減すると書いた手前、以下に比例に限って今回の選挙結果分析を試みる。
投票率が21年の55.93%から53.85%に下がり、比例の得票数は57.5百万票から9百万票減って48.5百万票となった。票と議席の増減は、増やした順に国民3百万票(7議席→28議席)、参政1.5百万票(0→3)、れいわ1百万票(3→9)、保守0.9百万票(0→3)である。
他方、減らした政党は順に、自民▲5.1百万票(71議席→59議席)、維新▲5百万票(25→15)、公明▲2.1百万票(23→20)、共産▲1.5百万票(9→7)、立民▲0.8百万票(39→44)、社民▲0.2百万票(0→0)で、立民は票を減らしたが投票率と総投票数の減少により5議席増やした。
比例の得票率は高い順に、自民30.6%(前回34.6%)、立民22%(22%)、国民11.8%(4.5%)、公明10.4%(12.4%)、れいわ6.7%(3.8%)、維新6.3%(14.1%)、共産5.6%(7.3%)、参政3.1%、保守1.8%。社民1.7%(1.7%)である。
前掲拙稿では自民の比例得票率が20%を切るとしたが、前回から4%ポイント(P)減で収まった。これは「岩盤保守」そのものや自民と書かなかった者がそれほど多くなかったことや、公明の2%P減を見る様に「比例は公明」どころではない自民候補が増えたせいではなかろうか。
自民の受け皿と見られた保守系野党のうち維新は、大阪万博や斉藤知事・足立議員問題などで得票率を半減させた。一方、国民は「手取りを増やす」という判り易い政策が受け入れられた。ネットでの空中戦から政党を立てた参政と保守も政党要件を満たし、各3議席を獲得した。
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自民の比例は筆者の予想ほどは減らなかったが、その分以上に小選挙区で落とし、191議席と大敗した。これは前回の21年に小選挙区だけで獲得した189議席よりたった2議席多い数であり、比例72と合わせた261議席からは70議席の減少だ。
筆者は先の拙稿で石破総理が「与党で過半数が目標」と述べたことに、「60議席減らしても『勝った』」というつもりらしい。自民は直近4回の衆院選で単独過半数を得ている。これでは何のための解散か判らない。実に呆れた話で自民党支持者はたまったものではない」と書いた。
この「目標」を大幅に下回る大敗にも関わらず総裁と幹事長が続投するという。石破氏は「国民の批判に適切に応えながら、現下の厳しい課題に取り組み、国民生活と日本を守ることで職責を果たしたい」と続投を明言、敗因は「政治とカネについて国民の疑念、不信、怒りが払拭されていないことが最大のものだった」と述べた。
石破氏本人は納得しているのかも知れぬが、総裁辞任こそが「国民の批判に適切に応え」ることだ、と考える多くの国民に到底納得できるはずがない。815億円もの大金を投じた衆議院の選挙に国民が投票する目的は、政権を選択することにあるからだ。
石破氏は「政治とカネについての国民の疑念、不信、怒り」が既に払拭されていて、勝てると思ったから早期の解散を打ったのではないのか。総裁選中に、党員の声や新聞・TV・ネットが伝えていたことが耳に入らなかったのか。そんな人物に日本国は任せられないということも惨敗理由の一つである。
石破氏の総裁選公約取り下げ事項を挙げれば、否定した早期解散の実施、アジア版NATO・日米地位協定改定・平壌と東京への事務所開設の取り下げなどがある。ダメ押しは安倍国賊論者の閣僚登用、公認するとしていた不記載議員に公認も比例重複も認めない再処分、更にその政党支部に2千万円を投票日直前に振り込んで念を押した。まさに正気の沙汰ではない。
敢えて石破氏の頭の中を推察すれば、「政治とカネ」の問題、即ちいわゆる裏金問題は安倍派の起こした事件であり、そのハンドリングを間違えたのも岸田前総理であって、自分には関係ないと考えているのではなかろうか。
子供の「山崩し」なら、「確かに最後の砂は自分が削ったが、最初に砂山を崩したのは選挙6連勝でそこに棒を立てたその安倍派なのだし、次に威勢よく削ったのはハンドリングミスをした岸田氏であって、自分の順番の時は棒が辛うじて立っていた状態だったんだもん」で済む。
が、実は安倍派が削った砂は大した量ではなかったのだ。なぜなら、東京地検特捜部が100人体制で昨年末前から不記載議員と各派閥の会計責任者を取り調べた結果、この8月までに数名の多額不記載議員と会計責任者らを除いては不起訴となっていたからだ。
少し詳しく言えば、派閥の収支報告書に虚偽記載した疑いなどで刑事告発されていた二階氏以下の二階派議員、岸田氏以下の岸田派議員、茂木氏以下の茂木派議員は「嫌疑なし」で、また議員側の政治団体の収支報告書に虚偽記載した疑いなどで刑事告発されていた安倍派議員と二階派議員も「嫌疑不十分」で、それぞれ不起訴だった。
「不起訴」の意味するところは、不記載の金員が政治資金規正法に適う目的以外使われた証拠がなく、私的流用が認められなかったということ。つまり収支報告書の訂正で済む話であって、大手メディアや野党が「裏金だ」「脱税だ」煽り立てることは、不記載議員へのレッテル張りであると同時に、司法(検察)の否定でもある。
日本が法治国家である以上、不記載が駐車違反と同様の「形式犯」とは言え、無論あってはならない。が、それを「実質犯」(何らかの法益の侵害、危険の発生が必要とされる犯罪)の如く扱うこともまた、法治国家としてあってはならないことである。
が、岸田前総理は安倍派の不記載を「実質犯」であるが如くハンドリングした。また還流金を私的流用したかの様に印象操作する「裏金」という語を使うメディアや野党に抗議もせずに放置した結果、検察が「不起訴」にした経緯やその意味を知らない有権者が世間に溢れてしまった。
こうした「政治とカネについての国民の疑念、不信、怒り」の丁寧な払拭を、自民党を統べる岸田氏や石破氏が率先してやらずして、誰がやれるというのか。不記載した当人は「形式犯」とはいえ間違いを犯した張本人だ。弁解がまししいことを言わないのが日本人の性情である。
だのに未熟な小泉氏は、総裁選でも衆院選でも日本中を謝罪行脚した。そんな選挙で勝てる道理がない。が、石破氏は彼を選対委員長に据えた。その仕事は人寄せパンダだけでないから、妙に張り切って「公認と比例重複」をやめるよう強く主張した。街宣での批判を回避するためだ。彼は環境相の時も国際会議での批判を回避すべく、火力発電とCO2の削減で先走った。
今回、選対委員長を降りたのも批判の回避と言われても仕方がない。「私が辞めなければ政権が持ちませんよ」と述べたが、彼が辞めようと辞めまいと大勢に影響はない。それ程の大役でも人物でもない。石破・森山を道連れに辞めたのなら次があったかも知れぬ。菅政権の末期には執拗に首相の座に留まるよう菅氏を説得したではないか。が、その菅氏が彼を推した結果が今日の事態だ。
森山幹事長の影響力をいう向きがある。が、彼の国会議員歴26年での閣僚歴は農水相の一度だけで、後はずっと国会対策をしてきた、いわば裏方の寝業師だ。同じ寝業師幹事長でも、経産大臣を始め閣僚経験も豊富で議員歴41年の二階元幹事長とは実績も実力も雲泥の差がある。
こんな人物に操られるようでは石破氏も28年の議員歴が泣く。いずれにせよ岸田・石破両氏の罪は重い。何度も言うが、不記載議員の大半を地検が不起訴にしたことを前面に押し出して、国民の疑念を払拭しなかったハンドリングミスだ。
岸田氏は、自ら解消したはずの派閥を使って石破氏という軽い神輿を担ぎだしたのに、この大敗を前にだんまりを決め込み、石破氏の首に鈴を付ける気配もない。菅氏も同様だ。石破氏が自ら降りて党内野党に戻っても、この9月までと同様に日本国が困ることなどない。萩生田・世耕・西村の3氏が戻ったし、高市氏も意気軒高だからだ。
2年前に予感した自民党の崩壊を目の当たりにして、土の様には固まらない自民党という砂粒の山を何とか叩き固めていた安倍元総理の存在が如何に大きかったかを、心ある多くの国民が今改めて、実感していることだろう。