女子枠導入に対して新たな批判
近年、理工系(以下、STEMという)分野での多様性(ダイバーシティ)の重要性の高まりを受け、名門大学を中心に“女子枠”の導入が相次いでいる。女子枠とは、主にSTEM分野で女性だけを対象とした推薦枠や定員枠を設ける施策だ。
女子枠といえば、これまで「性別で線引きするのは逆差別だ」「男性を不当に排除するのではないか」といった批判が主流だった。
しかし、2023年に英国のテイラー・アンド・フランシスが出版する「Asia Pacific Business Review」に掲載された論文である「Can affirmative action overcome STEM gender inequality in Japan? Expectations and concerns」は、女子枠をめぐって全く別の角度から興味深い主張を行っている。いわく、「女性の立場を真正面から考えればこそ、女子枠導入はむしろ望ましくない」というのだ。
多様性の実現を志向する立場に立ちながらも、だからこそ女子枠には問題があると指摘している点は非常に興味深い。第一著者は、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 / 学際情報学府 の横山教授である。
多様性を尊重する立場からの批判
論文によれば、日本のSTEM分野における女性比率の低さは、長年のステレオタイプや社会的偏見によって無意識に進路を狭められている結果であり、「理系は男性向き」などの思い込みが根強い可能性が指摘されている。
それゆえ、「多様性を推進することで女性が気兼ねなくSTEM系へ足を踏み入れられる環境を用意するのは、決して不当な優遇ではなく、女性にかかった重荷を一部取り除く措置だ」との立場を取っている。
しかし、その多様性を実現するための手段としての女子枠については「女子学生への前向きなメッセージとして意義深いかもしれない」としつつも、「女子枠を課すことは女性の能力が不当に過小評価されていることを示唆しており、これは能力に対する強いジェンダーバイアスの結果であるように思われる」と指摘している。
著者らが懸念しているのは、女子枠の導入によって「個人の努力や実力が正当に評価されなくなる」可能性だという。女子枠があることで、「女性は特別扱いされて大学に入学している」という偏見が根強くなる危険性がある。さらには、女子枠の存在そのものが女性を一括りに扱い、個々人の経歴や能力を軽視する結果に陥りかねない、と論文は警鐘を鳴らしている。
女子枠が招く逆効果
実際に論文では、女子枠を活用して入学・昇進した学生・研究者に対して、周囲から「本当に優秀なのか? それとも性別のおかげか?」という疑念が向けられる可能性を指摘している。こうしたスティグマ(日本語で烙印・汚名など)が長期的に女性本人のキャリア形成を阻み、かえって意欲をそぐ要因となる恐れがある。
さらに、女子枠によって大学側が「女性は理系に向いていない」というステレオタイプを裏で強化してしまう危険性もあるという。実際、本来は男女問わず真に実力を発揮できる場を作ることこそが多様性の理想であるはずだが、女子枠があることで「女性には別のハードルを設けねばならない」という印象を社会に与えかねない、というわけだ。
ではどうやって多様性を実現するのか?
論文は「目先の人材確保を優先した女子枠導入は、長期的に見ると女性の地位向上を阻む」と述べている。大学や企業にとって、女性を確保すること自体が目的化し、性別に基づく「数合わせ」だけが進んでしまう懸念があるのだ。
著者らは、本当に女性が活躍できる環境を整備するには、むしろ女子枠のような短絡的な制度ではなく、教育現場や職場風土の根本改革、親世代の意識改革こそが重要であると繰り返し述べている。
おわりに
本論文の意義は「女子枠は女性に対しても悪影響ではないか」という新たな視点を提示したことにあるのではないだろうか。多様性を重視する立場からしても、制度設計を誤れば逆効果になるとの懸念を拭えないのだ。女子枠への批判に学術的多様性が生まれてきたことは大変興味深い現象である。
以下は私論であるが、女性のSTEM分野への進出を促進するためには保護者世代の意識改革を行い、性別を越えて多様な人材が実力を発揮できる場を整備していくことが重要ではないかと考える。
女子枠をめぐる議論は市井でもアカデミアでも今後さらに白熱しそうだが、安易な結論は避け、丁寧に議論を深める姿勢こそが求められるだろう。
※ 本記事における論文の日本語訳は著者による仮訳・意訳であるため、正確なニュアンスは原文の精読を推奨する。なお、翻訳にあたって一部ChatGPTを活用しているため、その旨を開示する。
【参照論文】