トランプとバンスを予見した夏目漱石

お世話になってきた教養動画サービス「テンミニッツTV」にて、3/2から新しい講義の配信が始まりました! 今回の番組タイトルは、反知性主義の時代に「いま夏目漱石の前期三部作を読む」。

修善寺の大患…反知性主義の時代に夏目漱石を読み直す意味 | 與那覇潤 | テンミニッツTV
評論家 與那覇潤/反知性主義が跋扈する現代社会。21世紀も四半世紀が過ぎ、知性で社会を理解しようとすればするほど葛藤が生まれるこの時代、日本人にとってはもう一度読み直すべき作家が夏目漱石ではないだろうか。実は1世紀以上前の明治の終わり頃にも酷似した事態があり、その時代を象徴する作家が漱石だからである。今回のシリーズ講義...

約10分ごとに区切った講義が毎週日曜に追加され、全9回。従来の2つの番組とあわせて、ご贔屓にしていただければ幸いです。

タテ社会の人間関係はいま: 人類学と日本史の対話|Yonaha Jun
教養動画サービス「テンミニッツTV」(10MTV)で、呉座勇一さんとの対談番組の配信が始まりました! 初回のお試し視聴は以下から(今後、毎週木曜に続く回が追加され、全8回予定です)。 誤読された『タテ社会の人間関係』、日本社会の本質に迫る | 與那覇潤 | テンミニッツTV 評論家 與那覇潤/『タテ社会の人...

なぜいま、夏目漱石なのか。『三四郎』・『それから』・『門』の三部作(1908〜10年に新聞連載)は、知性で考える人ほどメンタルを病んでいく過程を、明治末の日本を舞台に描いています。

そもそも漱石は大政奉還と同じ年(1867年)に生まれ、日露戦争の少し前にイギリスに留学し、東京帝大と一高で英語の教師に。いわば明治の歩みとともに育った、「ミスター文明開化」と呼ぶべき存在でした、本来は

ところが本人は始終、心身の損耗が激しく、1907年には大学を去って朝日新聞に入り、「もう小説だけで食べていく」と宣言してしまう。戦前に帝国大学の権威は圧倒的で、逆に新聞社や作家業は海千山千の業界と見られがちでしたから、令和で喩えれば「ノーベル賞貰ってますが、インプレ稼ぎを仕事にします」みたいな感じでしょうか。

夏目漱石 - Wikipedia

なんで、そんなことになるのか。今日につながる漱石論の第一歩になったのは、江藤淳のデビュー作だった『夏目漱石』(1956年)ですが、そこでは朝日新聞に入社する際、漱石がこう言ったことが注目されています。

大学では講師として年俸800円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて800円では到底暮せない。……いかな漱石もこう〔非常勤のかけ持ちで〕奔命につかれては神経衰弱になる。其上多少の述作はやらなければならない。

酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。

決定版 夏目漱石』新潮文庫、122頁
新字体に改め、段落・強調を付与

江藤の皮肉なコメントいわく、要は書かないとメンタルを病んでしまうと言って作家になった漱石は、実際には「自らの作品が――そして自らに提出した疑問が、新しい神経衰弱を彼に強いるほどのものであることに気づいてはいなかった」。

いま、いくら仕事が忙しくても隙間に「SNSをやめられない」って人は多いですよね。まさに「何か書かないと生きている気がしない」から、そうなるわけですけど、でも傍から見たら、そこまで何か書こうとすること自体がメンタル病んでるんじゃね? って事態でもある。

……まぁそうツッコんだ江藤本人も、病んだように書きまくる「おま言う」だったのですが。

江藤淳の解説と私|Yonaha Jun
ご報告が遅れましたが、2/6に江藤淳の『妻と私・幼年時代』が文春学藝ライブラリーに入り、解説を担当しました。版元の方針により、昨日からこちらで全文がウェブでも読めます。 1999年7月の江藤の自殺に前後して単行本になった、最後の著作2冊の合本版なので、本文に続いて福田和也・吉本隆明・石原慎太郎の追悼文、武藤康史編の年...

なぜ人はそこまで「書きたい」かというと、①言葉にすることで、世の中の複雑さや、にわかに納得できない物事を理解したい、「考えたい」という欲求がある。ついでに、②それを読ませて「俺って ”考えてる人間” だぜ!」と周りにPRしたい欲もある、このnoteのように(笑)。

2010年頃には「新しい民主主義の基盤だ」と期待されたSNSが、いまやすっかり社会の害悪扱いなのは、短文投稿や書き捨てコメントに最適化しすぎて、「①抜きで②だけやりたい人」ばかりを増やしたからです。炎上に便乗して罵声を浴びせるのは典型だけど、なんせそれを「自ら煽る大学教員」まで居ますからなぁ…(笑えない)。

なぜ、学問を修めた「意識の高い人」がネットリンチに加わってしまうのか|Yonaha Jun
8月27日付で、筑波大学は所属する東野篤子教授のTwitter利用に関し、「コンプライアンス違反に該当するような事項は確認することができませんでした」(原文ママ)との回答を、ネットリンチによる被害を訴えていた羽藤由美氏に送付した。 知と理は死んだ 筑波大学の汚点 筑波大学のコンプライアンスは死んでいると言わ...

大学で学問を究めれば、後は成果を広めるだけで、世の中がよくなっていく。そんな文明開化の発想に「ちょい待て。そうはならないんじゃね?」と、最初に身体を張って疑問符をつけたのが、帝大から作家に転じた漱石だった。そうした読み直しがいま、必要ではないでしょうか。

たとえば『三四郎』は、「私が見てきた東大の真相をお話しします」な中身の、ある意味では暴露系YouTuberみたいな小説ですが、そこではまさに、「研究していれば知性があると錯覚する人」が陥る罠が指摘されます。

研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなる訳である。人情で物をみると、凡(すべ)てが好き嫌いの二つになる。研究する気なぞが起るものではない。

自分の兄は理学者だものだから、自分を研究して不可(いけ)ない。自分を研究すればする程、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。

三四郎』新潮文庫、130頁
恋敵(?)の野々宮の妹・よし子の語り

研究する=「考える」ことは、いったん好き嫌いを保留しないとできないんですよね。つまり、不人情にならないと、学問ってできない。……なんだけど、そうまでして本気で「考えたい!」と思える人って、ある種のニュータイプだから、自ずと世の中から浮いてしまう。

望遠鏡のなかの度盛がいくら動いたって現実世界と交渉のないのは明かである。野々宮君は生涯現実世界と接触する気がないのかも知れない。……自分もいっそのこと気を散らさずに、活きた世の中と関係のない生涯を送って見ようかしらん。

31頁(三四郎の主観)

そんな学者がやっぱり世間でもウケたい! という欲に憑かれると、どうなるか。社会の全体が「好き嫌い」の二択にハマった瞬間に、自分の専門を結びつけて売り込むようになるわけです。「みなさんウイルスは怖いですよね? なら……」とか、「ロシアは嫌いですよね! なら……」とか。

ダブスタが過ぎるんじゃね? と思うでしょうが、必然的にそうなるのです。アメリカのトランプ現象を典型に、世界のどこでも「大学教授は信じねぇ、そいつらの応援はむしろマイナス」な反知性主義が勃興する理由もまた、そこにあります。

ダブスタを嫌悪した果てに、「シングル・スタンダード」の戦争が始まる|Yonaha Jun
選挙直後から囁かれたとおり、米国は大統領・上院・下院をすべて共和党が押さえるトリプルレッドが決まった。2016年と異なり、トランプがハリスを総得票数で上回るのもほぼ確実で、実質4冠。非の打ちどころのない一方的な全面勝利である。 過疎地に住む人種偏見の強い白人といった、従来イメージされた「トランプ支持者」だけで、こうし...

前回の記事のとおり、ゼレンスキーを口論でボコった副大統領バンスになると、ずばり「大学は敵だ」ですからねぇ……(21年11月の講演)。

もう100年以上も前、自身がメンタルに苦しみつつ、大学と「知性」の未来を見抜いた夏目漱石は、なにが処方箋になると考えたのか?

代表作3つを読み解きながら、いま眼前に迫る喫緊の問いを、じっくり「考える」講義となっております。多くの方がご視聴下さるなら幸いです!

参考記事:

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今月10日の先崎彰容さんとのイベントは、オンラインでの視聴も含めると70名超が参加して盛り上がった。終了後も、筆ペンで丁寧にサインする先崎さんに長蛇の列ができて、散会したのはなんと1時間後である。 唯一の心残りは戦後日本論が弾みすぎて、『批評回帰宣言』でいちばん好きな漱石を論じる章を、話題にし損ねたことくらいか。採り...
大学への進学率は、ぶっちゃけ何%が社会にとって「適正な水準」なのか?|Yonaha Jun
先週刊行の『表現者クライテリオン』11月号にも、連載「在野の「知」を歩く」が掲載です! 以前もご案内した、コンサルタントの勅使川原真衣さんとの対談の後半部。 自分で言うのもなんですが、前半よりもなお一層、幅広い話題をがっつり詰め込んでお届けしています。ぜひ書店で、手に取ってみてください。 さてその紹介ですが、なか...
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先日ぼくも無自覚に使ってしまったが、「精神論」という語を目にして、よい意味にとる人は令和にはいないだろう。 なぜうまくいかないのか? という問いに「気合いが足りないからだ!」としか答えない、根性一辺倒みたいな指導法は、スポーツの現場でも退けられて久しい。いまだに唱える人は昭和の遺物として笑いものになり、パワハラで訴え...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年3月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。