隠蔽された「8割削減」の真実:やはり、それは2度目の "満州事変" だった

今年の6月に岩本康志氏(東大経済学部教授)の刊行した『コロナ対策の政策評価』が、反響を広げている。2020年4月、当初は “専門家がエビデンス・ベースで” 発案したように報じられた「接触8割削減」の政策の、完全な無根拠ぶりが立証されているからだ。

西浦博氏の「接触8割削減」は計算違いだった : 池田信夫 blog
新型コロナ感染対策でよく議論になるのはワクチン接種だが、これについては医学的な結論がまだ出ていない。明らかに過剰だったのは、初期の緊急事態宣言などの行動制限である。本書はこれに絞って、経済学的に検証したものだ。 中でも大きな影響があったのは、2020年4月に西

その批判のポイントは、上記の池田信夫氏の要約でもわかる。ひと言でいえば、今年の年収の増減(フロー)を議論する時に、貯蓄の総額(ストック)を持ち出すくらい、根本的な勘違いに基づく計算ミスだったのだ。

問題はそうした事実を、政策の実施に責任を負う政府も、当時その対策を鵜呑みにして “接触制限” を煽ったメディアも、積極的に報じず隠蔽を図っていることである。もちろん、無批判に同調した大学教授たちも。

その異常さについて、橘玲氏は先月の『文藝春秋』の書評で、最大級の表現で警鐘を鳴らしていた。

岩本康志「コロナ対策の政策評価 日本は合理的に対応したのか」 | 橘 玲 | 文藝春秋PLUS
 感染症は医学だけの問題ではなく、コロナ禍で明らかになったように、感染症対策には大きな社会的・経済的なコストが発生する。医学はできるだけ多くの生命を救おうとするが、医療経済学は健康と経済のトレードオ…

私が危惧するのは、「黙ってやり過ごす」という対応では、感染症医学への信頼が揺らぐのではないか、ということだ。
(中 略)
過失でないのであれば故意ということになるが、その場合は一部の専門家集団が、科学的根拠を無視して医療政策を恣意的に誘導していることになる。これはまさに、ディープステイトの陰謀論そのものだ。
(中 略)
専門家が不都合な指摘を黙殺し、データに基づいた議論を避けていては、ひとびとは科学を信用しなくなる。そうなれば新たな感染症が蔓延したとき、社会はさらに大きな混乱に見舞われることになるだろう。

『文藝春秋』2025年10月号、386-7頁
(強調は引用者)

そのとおりである。コロナ以外でもまちがいを訂正しないセンモンカと、実態を知りつつ彼らを使い続けるメディアを目にしてきた私たちは、今後は学問や大学教授を信じるのをやめる

なぜ日本の学者は「まちがえても撤回できない」のか|與那覇潤の論説Bistro
学者とは人柄を知らない時には、まったく素晴らしく偉い人に思われるのだが、近づけば近づくだけ嫌になるような人柄の人が多い。 学問が国民とまったく遊離しているという時の学者の典型は専門家である。 まったくの利己主義、独善主義、そして傲慢、しかも出世に対する極端な希求。早く、こんな型の学者の消え去る日が来ますように。 上...

10/20発売の『Wedge』11月号の連載「あの熱狂の果てに」の主題は、まさにこの問題の再検討。岩本氏の著書が6月に出た、対策の発案者だった西浦博氏が(目立たない場所で)行った事実上の弁明も、俎上に乗せた。

2025年11月号 未来を拓く「SF思考」 停滞日本を解き放て Wedge(ウェッジ)
SFは、既存の価値観や常識を疑い、多様な未来像を描く「発想の引き出し」だ。かつて日本では、多くのSF作家が時代を席巻した。それはまさに、科学技術の進展や経済成長と密接に結びついていた。翻って、現代の日本には、停滞ムードが漂う中、様々な規制やルールが、屋上屋を架すかのようにますます積み重なっている。だが、それらを守るだけ...

今年8月、西浦氏自身が会員制の医療記事サイト「m3.com」のインタビューで、当時作成したグラフは「『トイモデル(簡易的な計算モデル)』で計算した、というだけのもの」・「アカデミックな価値があるわけではないので論文や学会発表にはなっていません」と認めている(引用は原文ママ)。

なぜそんなグラフを大々的に、政府の内外で掲げたのか。これまた西浦氏の弁では、「危機時に矢面に立つ科学者の胆力を要するだけのものだったのかもしれません」。

これほどの危機感を持って俺はやってるぞとアピールするための、虚勢や気合い入れの類だったとする趣旨だろう。つまり「8割削減」が惹起したのは、学問の裏づけのない、純粋な恐怖にすぎなかった。

こんな無責任なセンモンカに騙された方も大概だが、個人的には岩本氏の批判にはもうひとつ、感慨深く共感する箇所があった。「接触8割削減」を唱えた西浦氏のモデルが、密度の問題を無視していたとの指摘である。

慶應義塾大学出版会 | コロナ対策の政策評価 | 岩本康志
コロナ対策の政策評価 科学的根拠に基づく政策形成は、どの程度の合理性をもって行われたのか。 コロナ禍における日本の政策対応を、EBPM(合理的根拠に基づく政策形成)の視点・経済学の二側面から検証。

実生活の例として、外出して公園に行くことを考えよう。公園を散歩して人とすれ違うことが密度依存の例で、公園にいる人が増えると接触が増えることになり、公園の人口密度と接触が関係している。

一方、誰かと待ち合わせてその人と公園でずっと過ごすことが頻度依存の例であり、公園にいる他の人は接触とは関係ないので、公園の人口密度と接触とは関係なく、外出の頻度が接触に関係している。

岩本著、82-83頁(段落を改変)

わかりやすく明瞭な例示だ。「3密を避ける」がスローガンになり、一時は日本の全国民を対象とした “接触削減” の政策においては、当然ながら密度と頻度の双方を考慮に入れて、計算がなされていたと誰もが思うだろう。

しかし岩本氏が引用する2020年5月1日の専門家会議の資料には、(気づかれにくい注記で)あっさりこう記されている。

「密度の高い地区では一人が接触する人数が多くなることが考えられるが、そのような接触の密度効果は十分な情報がなく考慮されていない。」(5月1日資料、9ページ)

同書、87頁(リンク先にPDF)

人が密集する(たとえば)公園と、閑散とした公園。感染症の拡大を防ぐ上で、両者の違いを無視するなどあり得ないが、ところが現にセンモンカの議論はそのレベルだったのだ。つまり、彼らはニセモノである。

さて、この問題を誰よりも早く——というか、リアルタイムで指摘したホンモノの識者がいる。

まだ緊急事態宣言の明けない地域のあった、2020年の5月20日に載った寄稿で、私はこう書いた。西浦氏らの専門家会議が、同年2月に独自の行動制限を発した北海道での “成功例” を過信して、全国レベルの対策を強行したことへの批判である。

コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった
「コロナうつ」の発生を懸念する記事が目立つこのごろだが、重度のうつの体験がある私も実際に具合が悪い。もっともこの異常な状況下で元気がよいのは、メディアをジャックする「貴重な機会」を掴んだ一部の(自称を含む)専門家くらいのもので、仮に緊急事態宣言が解除されたところで、自粛要請が生み出した沈鬱な世相は容易に元へは戻らない。

北海道の人口密度は全都道府県のうち最小で、全国平均の1/5、東京都の1/91である……。はっきり言えば、元々ソーシャルディスタンスが成立している土地柄だ。人口分布が稠密なのは、札幌などごく少数の大都市に限られるから、そうした場所を集中的に管理すれば、接触感染を抑え込むのが日本でいちばん容易な地域といえる。

学者時代に『中国化する日本』という講義録に記したが(詳しい参考文献は、同書を見てほしい)、これは満洲事変と同じである。

強調箇所とリンク先を変更

数理モデルのプロである岩本氏の研究は、こうした歴史家の直観を、緻密に立証してくださったものとも言える。公平を期すと、西浦氏も2020年の末には「人口密度の見落とし」という過失に気づき、翌年頭に私はその事実にも言及した。

自粛とステイホームがもはや「正義」ではないこれだけの理由
年末から15時開店になっていた都内のバーで、この原稿を直している。客は私だけ。どう考えても「密」にはほど遠く、誰からも不謹慎と言われる覚えはない。

なにより西浦氏本人が、自身の著書刊行を受けた2020年12月の取材では、感染予測に当たって留意すべきファクターの第一に「人口密度」を挙げた。

逆にいえば、そうした常識的な顧慮すら経ていない一面的な予測や数字が、昨春にはひとり歩きしていたということである。そして、結果として過大に刷り込まれた人びとの先入見と不安は、いまも消えていない。

2021.1.9(リンクも原文ママ)

ご存じのとおり今月10日には、ついに石破茂首相が「戦後80年」の談話を発した。さんざん揉めたものの、出てみれば “無難すぎて新味はないが、まちがってはいない” との評価が、大勢を占めた。

そこには、こうある。

令和7年10月10日 石破内閣総理大臣記者会見 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ
総理の演説や記者会見などを、ノーカットの動画やテキストでご覧になれます。

満州事変が起こった頃から、メディアは、積極的な戦争支持に変わっていきました。それは、戦争報道が「売れた」から。
(中 略)
責任の所在が明確ではなくて、状況が行き詰まるような場合には、成功の可能性が低くて、リスクが高くても、勇ましい声、大胆な解決策、そういうようなものが受け入れられがちであります。合理的な判断を欠いて、精神的・情緒的な判断が重視されて、国の進むべき進路を誤った歴史を決して繰り返してはなりません。

2020年以降、接触削減や “自粛” は、説けば説くほど売れた。そんな商売に目が眩み、「ロックダウンしやすい権威主義の方が、民主主義より上だ」との見え透いた虚構を売って、荒稼ぎした詐欺師のような学者もいた。

ご存じのとおり、彼の末路もまさしく80年前と同じだった。”沖縄戦” だ。

成田悠輔さんが「集団自決」発言でNYタイムズに登場
イェール大学の助教授なのに、なぜか日本のテレビに毎日登場する成田悠輔さんですが、とうとうNYタイムズの1面に登場しました。でも話題は学問的業績ではありません。 自動翻訳だとこんな感じ。 イェール大学の経済学助教授であ...

戦後80年目の今年も、いよいよ残すところ2か月余り。私たちがいまするべきことは、なにか。

ホンモノを売ることでなければならない。ニセモノどうしが “俺たちの失敗がバレないように、ホンモノはブロックしよう” としてメディアで組むスクラムは、殴られ、蹴られ、国民から唾棄と罵声を浴びて、退場させられなければならない。

かねて予告のとおり、来年にはこの問題で書籍をまとめるつもりだが、並行して、そうしたディープステイトまがいのカルテルの側に寝返る学者やメディアの名は、そのつど表に出してゆく。

ある編集者への手紙|與那覇潤の論説Bistro
以下は2024年12月23日に、ある編集者に送ったメールの全文である。とくに返信のないまま1週間が経ったため、目次と強調を附して公開する。 1. 今年を閉じるにあたって 爾来ご無沙汰しています。世界が大きく動いた2024年も終わりつつありますが、どうお過ごしでしょうか。 ご存じかどうか、米国では今年、議会が20...

ぜひ、ご期待を賜りたい。まさに「8割削減」の最中に書いた通り、それは初めて国民の手で行われる “東京裁判” になる。真に自立した日本と、民主主義とを支える学問は、その裁きを抜きにしては決してありえない。

誰が、国策を誤らせたのか。「A級戦犯」を特定し、その邪悪さをわかりやすく脚色して満天下に知らしめ、すべての責任をかぶってもらうわけだ。

被告は地位や財産を失うかもしれないが、そこは本人に生活様式を変えてもらえばいいだけなので、心配はない。何度もいうが、それが実際にかつて採られた再出発の手法であり、わが国が異議を申し立てたことは一度もない。

前掲「現代ビジネス」2020.5.20

(ヘッダーは、満州事変勃発を報じる1931.9.20の『東京朝日新聞』号外。プレジデントオンラインの記事より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年10月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。