靖国参拝「中止圧力」の正体

井本 省吾

昨日のブログで安倍晋三首相や稲田朋美防衛大臣の靖国参拝が中止を余儀なくされている旨を、書いた。

戦死者の慰霊は、他国にとやかく言われる筋合いのものではない。日本も米国や中国、韓国の閣僚の慰霊についてとやかく言わない。内政干渉せず、またそうした内政干渉に影響されないのが当然なのに、日本は海外の批判に屈して閣僚の参拝を中止してしまう。その淵源はどこにあるのか。

今回の参拝中止について、米国務省のトナー副報道官が「歴史問題にはいやしと和解を促進するアプローチが大切。それが(靖国)神社に関しての一貫した米国の立場だ」と語った。中韓ではなく、米国のこの圧力が安倍首相や稲田防衛相の参拝に止めを刺したと言われる。

米国政府の靖国参拝批判は以前、特に共和党政権の時はそれほどでもなかった。ここ数年から十年ほどの間に米国政府は靖国参拝に敏感かつ頑なになって来た感がある。その背景は何か。

福井義高・青山学院大学教授の「日本人が知らない最先端の世界史」(詳伝社)が、次のように解き明かしている。

「日本の過去を反省せず、逆に美化する「歴史修正主義者」として、安倍首相を批判することが、国内外ではやっている。……反ファシズム史観という「正しい」歴史観、ひいてはその上に築かれた戦後世界秩序の「修正」を目論んでいるとみなされているゆえ、中国のみならず米国でも警戒されているのだ」

米国ではファシズム=ナチズムを成敗した栄光の歴史の上に、戦後の米国の普遍主義の政治外交があると広く考えられている。この「正史」に異議を唱えることは絶対的に許さないという価値観、歴史観が強く根付いている。

米国が人種差別、奴隷制度の歴史を度外視しているわけではない。その反民主主義的な汚辱の歴史を反省し、今は民族や男女差別を撤廃する「多分化共生」の立場に立つ。

だが、人種差別、奴隷制度という汚辱の歴史を持つからこそ、ファシズム=ナチズムを粉砕した自国の「正義」の歴史は断固として守るという心理が強まっているとも言える。「これに異議を唱えるのは絶対に許さない」と。

安倍首相の「歴史修正主義」に過敏に反応するのもそのためだ。首相は昨年4月に米議会で行った演説で、こう述べた。

「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません」

米国内にある強固な「歴史修正主義」への反発、米国の「正義」の歴史への誇りを意識しているからにほかならない。演説の際、米議員から起こった万雷の拍手とスタンディング・オベイションがそれを裏づけている。

それは米国のみならず、戦後欧州の共通認識でもある。福井教授の「世界史」にこうある。

「欧米「反ファシスト」多文化共生論者は、日本での歴史認識見直しの動きが、彼らの言論支配にとって、蟻の一穴になりかねないとして、……今後さらなる圧迫を加えてくることが予想される」

欧米だけではない。

「日米同盟の分断を狙う中国共産党政権は、戦後70年に当たり、「抗日」に加えて「反ファシズム」を前面に押し出してきた。……日中関係が悪化したから「反ファシズム」を唱えているのではなく、「『中国脅威論』を薄めるためにも、中国が米英露仏などと同じ側にいるという「反ファシズム」の枠組みは好都合」なのだ」福井著「世界史」

国連は今に至るも、第2次大戦の戦勝国の機関であり、戦後長らく共産主義陣営だったロシアや中国も戦勝国の一員として国連常任理事国となっている。一方の日独は今も敗戦国(すなわちファシズム陣営だった国)のままである。

「中国共産党にとって「反ファシズム」史観は、自らの支配に正統性を与える「建国神話」でもある」(同)

靖国参拝は「ファシズム」、「歴史修正主義」への傾斜を疑わせるに十分な行為であり、中国や韓国だけでなく、欧米をも敵に回す厄介な存在になりつつある。安倍首相や稲田防衛相が容易に靖国参拝できないゆえんである。