光文社をプライバシー侵害で提訴しました。
今回の訴訟は、一企業がお金儲けのために他人のプライバシーを侵害していいのか、世の中に広く問うことが目的です。毎週のように、
週刊誌は他人のプライバシーを暴いて商売にし、SNS上では度を超えた誹謗中傷やネットリンチが起こります。…— 箕輪厚介 (@minowanowa) November 17, 2025
出版プロデューサーの箕輪厚介氏が、週刊誌によるプライバシー侵害を理由に民事訴訟を提起しました。
この動きは、個人としての戦いであると同時に、私は 社会的意義のある挑戦 だと受け止めています。
SNSが普及し、誰もが「当事者」になりうる情報社会において、スキャンダル報道をビジネスモデルとする週刊誌の在り方は、もはや「有名税」で片付けられるものではありません。
むしろ、情報環境が激変したからこそ、いまのスキームは限界を迎えているのではないでしょうか。
“有名税”という言葉が免罪符になってきた時代は終わった
かつては、芸能人や政治家が否応なく「プライバシーを切り売りされる存在」だと見なされ、
「有名になったんだから仕方ない」
「嫌なら有名人を辞めればいい」
といった空気が社会にもありました。しかし現代の情報環境は、あの頃とはまるで違います。
- SNSで一般人の生活も一瞬で晒される
- デマや誇張が拡散され、人格そのものが破壊される
- 子どもや家族まで巻き込まれる
こうした状況下で、旧来型の週刊誌ビジネスが無制限に「書く権利」を主張することが、果たして公共の利益と言えるのか――。
むしろ、報道する側のガバナンスや説明責任が強く問われる時代です。
「表現の自由」を守るためにも、乱用は正されなければならない
私は一貫して、表現の自由を強く守る立場です。しかし、自由には必ず “責任” が伴うものです。
報道の自由も民主主義の根幹であり、不可欠な権利ですが、だからこそ 乱用があれば是正されなければならない。
今回の提訴は、個別事案を超えた
- 報道機関の公益性
- プライバシー権とのバランスといった大きなテーマを社会に突き付ける契機になるはずです。
民主主義に必要なのは“権力監視”であって“人間破壊”ではない
本来、ジャーナリズムの使命は権力を監視し、市民の知る権利を支えることです。
ところが近年は、個人のスキャンダルをセンセーショナルに切り取り、
「売れるから」「数字が取れるから」
という理由で人格を損壊するような記事が量産されてきました。
これは民主主義にとって望ましい姿とは言えません。公共性より商業性が肥大化した結果、報道の信頼性そのものが失われつつあります。
“誰もが晒される社会”だからこそ、線引きを議論すべき時だ
政治家である私も、日々批判や中傷にさらされます。
もちろん、政治家は公人であり、厳しい監視を受けるべき立場です。
しかしそれでも、家族や子どもまで無関係に巻き込まれるべきではありません。
そして、いまのSNS社会では、一般の方もいつでも“晒される側”になり得る。
だからこそ、今回の提訴をきっかけに、
- プライバシー権と表現の自由の適切なバランス
- 週刊誌・ウェブメディアのガバナンス
- 報道倫理の再構築
を、社会全体で議論していく必要があります。
最後に
箕輪氏の提訴がどういう結論になるにせよ、「報じる側の自由だけが強く、報じられる側の権利が弱い」という構造には明らかな歪みがあります。
この問題は、特定の誰かのためではなく、SNS時代に生きるすべての市民のために解決されるべきテーマです。
私も政治家として、表現の自由を守りながら、プライバシーと人格権を守る仕組みづくりに引き続き取り組んでいきたいと思います。

光文社HPより
編集部より:この記事は、前参議院議員・音喜多駿氏のブログ2025年11月18日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。






