
アツい! いま、令和人文主義がアツい。
…といっても、まともに働く会社員の人はわからないと思うが、先月末から令和人文主義なる概念が、「そんなの要らねぇ!」という悪い意味で大バズりしてるのだ。いわゆる炎上で、その熱気が地獄の業火のようにアツい。
たとえばYahoo!の機能でXを解析してもらうと、「令和人文主義」の印象はこんな感じだ。

2025.12.2 13:00頃
一定以上にバズっていないと
そもそもこの表示は出ない
人文系の炎上だと、いまや99%が罵倒語にしか使わない「オープンレター」でさえ、燃え始めはここまでワンサイドじゃなかった。むしろ、ぼくがレターの批判を始めた際には(2021年11月)、「なに言ってやがる」と言い返す層が半数近くはいて、ずいぶん暴言を吐かれたものだ。

令和人文主義の内実は、以下のまとめが簡潔だ。要は、世が昭和なら『酒席で盛り上がる! 教養ひとつ話』みたいなアンチョコ本になった、断片的でお手軽な文学・哲学トークで “バズった” 人たちが、「こんだけ売れたらもう、俺らは新しい思想の潮流ってことでイイすよね?」と調子に乗って顰蹙を買い、フルボッコになっている。

そしてこの炎上、掘り下げると深い。まさに今年で終わりつつある、ある “時代の闇” が見える。
炎上といっても、そもそも令和人文主義は、叩く側による “レッテル貼り” ではなく、当事者の自称だ。「俺らってイケてないすか?」と自ら名乗った名称が、負のブランディングに転じたわけだ。
よく知られた例で言うと、黙ってりゃいいのに「私の天才コンサル術を見て見て!」した結果、嗤いものになり起訴されかけた選挙広報みたいな話だ。そんな “キラキラしてないと死ぬ病” に、学問の担い手までがどっぷりハマる様を晒した点で、令和人文主義はまさに時代の徴候だった。

自分で使い始めたのは、哲学者の谷川嘉浩氏で、今年の9/11に掲載された以下の文章が「初出」だとされている。
炎上の中では「朝日新聞が使い出した」と書かれる例もあるが、正確にはRe:Ronなる同社のWebサービス上の、本人の連載コラムだ。紙面に載ったかも不明だし、あくまでも自称であって、全国紙がニュースとして報じたわけではない。

それはいいのだが、この谷川氏は雑誌の『Voice』でも連載コラムを持っており、10/6に出た同誌の11月号にも「令和人文主義と「斜め」の知性」と銘打って、ほぼ同じ中身の文章を載せている。
さらには11/6の12月号でも「教養主義幻想を超え、人文主義が創る読者」と題して、自身のタネ本を明かしつつ、またも令和人文主義を自讃している。昭和なら “原稿料泥棒” と呼ばれたろう。
この時点でふつうはゲンナリくるが、瞠目すべきはその紹介のしかただ。あきらかに本人も同じ潮流に属することを前提にしつつ、ここまで自分で自分を持ち上げる様子は、ある種の “会員ビジネス” の広報を連想させる。
平易であるうえに(ネット)スラングを頻繁に使う。つまり、受容者と同じ層にいることを衒いなく示す、親密性のある語りである。
(中 略)
令和人文主義は「人の目に囚われない」「かといって内省に陶酔しない」という柔軟なメッセージを発している。
(中 略)
まさに令和人文主義は、他者評価に囚われないが権威的でもない「斜め」の知性の語り方を提示しようとしている
谷川嘉浩氏、『Voice』2025年11月号、
33頁(強調は引用者)
会社勤めや家事などから成る暮らしの一部として人文知があることを、〔令和の〕人文主義者たちは意識している。
(中 略)
令和人文主義者たちは、横並び的で、空気の読み合いや騙し合いがあるゼロサムゲームとしての競争を肯定しない。
(中 略)
令和人文主義は、従来の教養とも修養とも違う路線を行き、新たな読者を創っている
12月号、33頁
「空気の読み合いや騙し合いでの競争を肯定する!」などと言う人が、誰もいないことを想像すれば、これらの自讃の空疎さがわかる。だが、”天才哲学者” として多メディア展開していると、異なる感性が身につくらしい。

ReHacQより(2025.10.23)
noteを検索すると、この「令和人文主義」なるものへの批判は、今年の9/16に出た皮肉な短文が嚆矢と思われる(ハッシュタグに #令和人文主義 とある)。が、広く読まれた形跡はない。

10/30の以下の拙稿が、おそらく二番手で、谷川氏のテキストも引用しつつ批判した。が、令和人文主義それ自体は主題でなかったこともあり、やはりさほどの反応は見られなかった。

今日の大炎上の引き金を引いたのは、11/27に公開された次の記事だ。だが読んでみると、実はそう大したことは書いていない。というか、平成に何度も読んだような内容である。
『平成史』でも描いたとおり、護憲論が強かった序盤には「湾岸戦争を批判しない文学はダメ」と言われ、格差社会論が流行した半ばには、「新自由主義と戦わない学問は無価値」な空気があった。それらと異なることは、特に書かれていない。

いま時代が「良い会社員・良い企業・良い統治」を目指す方向に流れている以上、そちらに抵抗しなければ、そちらに流されてしまうのです。令和人文主義は、この流れへの抵抗を欠いているように思います。
そして、それは「穏やかな専制」への加担ではないか、と思うのです。
(中 略)
「令和人文主義」は格差の隠蔽を前提としています。私はそこにごまかしを感じざるを得ません。そのようなマーケティング用のネーミングなど、撤回したほうがよいのではないか。
小峰ひずみ氏、2025.11.27
(強調箇所を変更)
10/30と11/27のあいだ、つまり先月中に “なにか” があって、令和人文主義なる用語で括られてきたものの印象が一変し、負のバズワードに急成長したわけだ。では、なにがあったのか。
ぼくも人文の業界にいるだけに(苦笑)、耳に入る諸々を総合すると、親密性に満ち権威的でないと自称する「令和人文主義」なる界隈も、裏面ではキャンセルカルチャーに与しているのでは? とする疑いの浮上が、転機となった可能性が高い。
すでに和解済みで告発が取り下げられているにもかかわらず、疑惑の人物と知り合いだというだけで対談を拒否できるようになってはもはやなんでも可能で、悪い評判さえ起こせば勝ちという状況になってしまうので、広く問題提起をさせてもらいました。当該の方は業界をリードする方であり、その点も問題だ… https://t.co/nJXfwcpMmq
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) November 24, 2025
なおキャンセル行為を行った(らしい)「業界をリードする方」は、周辺情報に照らすと、谷川氏ではないように思われる。
前回公開した11/29の拙稿は、もとは日本のキャンセルカルチャーを代表する「オープンレター」の後日譚として書き始めた。中途から、予想外に令和人文主義を批判する展開になったのは、こうした事情を踏まえたものだ。

自称 “専門家” のバブルが崩壊し、実学寄りの学者の株が暴落したので、最初から役立たずな分、傷の浅かったガクモンを落穂拾いし、現実への関心が薄い層に売り込みたい――という以外にどうも、中身はないように思える。
(中 略)
人文学の価値を今後も守りたいなら、なぜ、目の前で公然と事実誤認やネットリンチを繰り広げる同業者を止めない? それ抜きで、学問の凋落に気づかぬ “意識低い” 層ならいまもブルーオーシャンっすよ! と振るまう偽善者の群れが、敬意を得ることなどあってはならない。
拙稿、2025.11.29
なんども書いているが、コロナでもウクライナでも、ほんらい人文学が果たすべき役割を担った人は、あまりに少なかった。そんな中で横行したのが、全員共通の「正しさ」を一義的に定めようとする、 “非人文的” な発想だ。
あいまいさなしに「善と悪」を二分できるなら、後者など社会から抹殺してしまえ! となる。その意味でキャンセルカルチャーは “反人文的” な営為であり、だからこそ人文学者がそれに手を染めたことが、汚点とされる。

嵐をやり過ごしてからの後出しで、「不要不急な人文知って、意外とイイトコあるんすよ~」と “ゆるい” ポーズでしゃしゃり出つつ、もし、裏で不都合な相手を排除しながら人文主義を名乗るなら、自己欺瞞になってしまう。
当事者から否応なく漏れ出す、そんな “うさんくささ” ――これはニセモノでは? といぶかしく思わせる空気が、ガス管の外れた台所のように充満していれば、静電気めいた小さな摩擦が着火しただけでも、大爆発を起こす。
それが、こんなマイナーな用語が大炎上を起こした、ほんとうの理由だ。
先日もご案内した、11/30の上記の番組では、冒頭の無料部分でこの問題を論じ、本編で “あるべき・ほんとうの” 人文知のあり方を考える形になった。その点でも多くの人が、シラスに登録して見てくれたら嬉しい。
2025年もいよいよ、シラスならぬ師走だ(ゆるい人文知)。ちょうど今年をふり返るタイミングで、ニセモノの時代の終わりを象徴する炎上が起きたのは、天祐かもしれない。
不自由が横行した疫病と戦争の時代に、キャンセルに手を染めるか “うまく立ち回った” 者ほど、いまや自由の敵として新たに裁かれる。米国で生じた思潮の大反転が、日本にも届き時代を画する指標になるのなら、令和人文主義も本望だろう。

コロナもウクライナも “正しく乗り越える” 言論に向けて、問題意識を同じくする人たちと、酒席で鍋でもつつくように、じっくり火を入れていきたいものだ。ぜひ、気軽にお声がけください。
参考記事:


(年末にゆるい人文知といえば、やっぱり仏教! ヘッダーはこちらの、人文主義なサイトから)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






