高市首相への期待と「国家資本主義」への懸念

首相官邸HPより

1. はじめに:指導力への期待と「国家資本主義」への懸念

世界的に影響力があり、知的水準と編集の節度という意味で定評のある経済・国際週刊誌の「エコノミスト」誌(2026年2月12日号)は、高市早苗首相を「世界で最もパワフルな女性」と位置づけ、彼女の政治的突破力や、停滞する日本を突き動かす指導力について高く評価する記事を掲げたが、この記事には私も全面的に賛成である。

話題になるとしても、否定的な評論が長く続いてきた日本の指導者が、エコノミストという世界的一流誌に高く評価されることは海外在留の日本人としても嬉しいことである。

しかし、手放しで喜ぶわけにはいかない。同誌が同時に投げかけた、経済・社会政策に漂う「国家社会主義」的な色彩への懸念を、私は共有せざるを得ない。高市首相が掲げる「経済安全保障」の裏側には、政府が特定の産業を「勝ち組」として選び出し、税金を投じて直接支援しようとする、かつての計画経済に近い危うさが見え隠れするからだ。

2. 日本の失敗:政府が「自ら」起業支援をしたがる弊害

日本の保守政権が陥りがちな罠は、政府が税金を使って「自ら」起業家を育てようとすることだ。半導体や次世代エネルギーなど、政府が旗を振る「国策プロジェクト」に巨額の予算がつくが、官僚が選定した「成功しそうな企業」に、市場を破壊するようなイノベーションは生まれない。かつての「電電ファミリー」や重工業界の歴史がそれを証明している。

政府の保護という温室に安住した企業は、世界的なスピード感から取り残された。日立製作所や三菱重工が再生したのは、政府の庇護を捨て、市場の規律に適応したからに他ならない。現在の時価総額ランキングを見れば、トヨタ、ソニー、任天堂、キーエンスなど、政府に「無視」され、自力で荒野を切り拓いた企業が上位を独占している。

3. 中国の「スマートな資本主義」との皮肉な対比

対照的なのが、皮肉にも共産党体制下の中国である。彼らの「企業対策」は、日本よりも遥かに資本主義の本質を理解している。習近平政権は、政府が直接手助けをするのではなく、資本主義の力学を巧妙に「誘導」しているのだ。

例えばEV分野において、中国政府はあえて苛烈な国内競争を放置し、生き残った強者を巧みに活用して世界へ送り出す。BYDやTikTokといった成功企業は、政府に守られたから強いのではない。苛烈な市場競争という「選別」を勝ち抜いた結果、国家の目的に資する存在へと成長したのである。

「政府が税金で育てる日本」と、「資本主義の強みを巧みに利用して勝者を産ませる中国」。この差が、そのまま世界市場での勝敗を分けている。

4. 社会政策の硬直性:外国人問題という「管理主義」の壁

この管理主義の危うさは、エコノミスト誌も触れた外国人労働者問題においてより顕著だ。高市政権は、外国人の受け入れに対しても「経済安全保障」を理由に、国家による選別と統制を強めようとしている。しかし、現場で起きているのは、募集賃金を上げても人が来ないというインフラ崩壊の危機だ。

本来、資本主義的な解決策とは、国家が「管理」することに執着するのではなく、民間が世界中から才能を惹きつける「魅力的な市場」をどう創るかにある。かつて私が提唱した「東南アジア諸国などの送り出し国と、日本の大学・介護施設を法的に直結させるパイプライン」のような、民間主導かつ双方向のシステムこそが、今の日本には必要だ。国家が壁を築く「新・鎖国」状態は、日本の活力を奪うだけである。

5. 結論:今こそ「本来の保守」への立ち返りを

今、日本に必要なのは規制を排し、国民の能力を信じる本来の保守の誕生である。これは何も新しいことではない。高市首相が模範にしたと聞くサッチャー氏が実行したことそのものである。

高市首相に求められるのは、特定の産業に金をばら撒くことでも、外国人や起業家を政府の型にはめることでもない。企業も個人も、政府を頼らず、自律して世界と戦える「土俵」を整え、坂道に差し掛かった時に列車の後ろから押す機関車のように、政府は黒衣に徹するべきだ。そして何より、政府が余計な口出しをしないことである。

「世界で最もパワフルな女性」の可能性を秘める高市首相の健闘を期待し応援すると同時に、もし日本を「国家資本主義」という名の古びた実験場にしようとしているのなら、私たちはその危うさを今、明確に指摘しなければならない。

北村隆司 (ニューヨーク在住