時間のダイバーシティ:失われた日本の可能性

異様な高熱が引かずに身体まで震え出し、入院せざるを得なくなってしまった(現在は退院)。そのため連休はじめ、公私の予定を入れていた方にはキャンセルの連続で、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。

驚いたのは、PCRがコロナもインフルも陰性だったことで、医師もひたすら首をひねっていた。患者として苦しいのは熱であって、どのウイルスかは二の次でいいのだが、ふり返るとけっこう深い論点が、ここにある気がする。

コロナが「陽性/陰性」という判定が、本人の自覚症状より優先された時代が遠くない昔にあった。なんでそんなヘンなことになったかと言えば、検査して “一瞬” で「答え」を出してほしい。

――危機と不安のなかで、そんな時間感覚が、社会を支配したからだろう。

稀代の知性が傷つき、倒れ、起き上がるまで『知性は死なない 平成の鬱をこえて 増補版』與那覇潤 | 文春文庫
稀代の知性が傷つき、倒れ、起き上がるまで 気鋭の歴史学者を三十代半ばに重度のうつ病が襲う。回復の中、能力主義を超える社会のあり方を模索する。魂の闘病記にして同時代史。『知性は死なない 平成の鬱をこえて 増補版』與那覇潤

2015年からの前回の(メンタルでの)入院の話をする際、ぼくが用いる概念に「時間のダイバーシティ」がある。それぞれの人が持つ時間感覚にも多様性を認めないかぎり、その構想はニセモノにしかならないという趣旨だ。

たとえば「空飛ぶ高速車椅子」が開発され、脚に障害がある人の方がむしろ移動が “便利” になったとしよう。それ自体は、いいことだ。でも「なんで、今後は配慮すんのやめますね」と言われたら、なんか変じゃないだろうか。

これがメンタルになると、もっとグロテスクだ。1錠飲むだけで超ハイテンションになる「スーパー抗うつ薬」ができたから、それ飲んで働けば休職とかしないでいいでしょ、なディストピアに、住みたがる人は誰もいまい。

トイレットペーパーはなぜ消えたのか? | 斎藤環×與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』刊行記念特別企画 | 斎藤環 , 與那覇潤 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

まちがえて覚えている人が多いが、コロナ禍でも2020年の3月までは、そうした多様性がまだ息づいていた。当時の記録を調べると、ぼくは26日と31日に対面で取材を受けており、「Zoomにしますか?」なんて声はなかった。

とくに重要なのは、片方は共同通信の取材で、この時点でもなお「五輪延期をどう捉えるか?」がテーマだった。さすがに4月の掲載時には、タイトルもコロナに替わったが(*)、当時はメディアもそんな温度感だったのだ。

(*)「危機と生きる 新型ウイルス考(新型コロナ考)」で、登場順に大野更紗・東浩紀・與那覇・将基面貴巳・椹木野衣・磯野真穂の各氏。

興味深いことに、大野氏を除く全員が、この時点では対策よりもその副作用の方に重きを置いてコメントしている。

なので、いまは単著に収めているその時の寄稿(聞き書き)で、ぼくはこんな風に喋っている。

朝日新聞出版 最新刊行物:新書:歴史なき時代に
第二次世界大戦、大震災と原発、コロナ禍、日本はなぜいつも「こう」なのか。「正しい歴史感覚」を身に付けるには。教養としての歴史が社会から消えつつある今、私たちはど...

「4年に1回」のペースにあらゆる国が合わせる五輪は、工場労働のような「同一の時間軸への同調」をテコにエネルギーを調達する近代社会の象徴です。でも、それはいまも有効ですか。五輪のスケジュールに合わせて投資を回収するはずだった産業は、大ダメージを受けていますよ。

逆にコロナショックの教訓は、時間軸の「分散化」こそが感染防止に役立つこと。時差通勤やテレワークが典型ですよね。多様な時間軸が併存する社会の方が、むしろ危機に対して強いんです。

五輪とセットのパラリンピックは、本来1位を争うものではないと思います。障害の程度が違うのだから、それぞれの基準で全員がたたえられていい。そうした多様性を尊ぶ感覚を養う期間として、開催を待つ1年間を捉えてはどうでしょうか。

「同調から多様な時間軸へ」
2020.4.3配信、155頁
(強調を付与)

言うまでもなく、ここにあるのがホンモノの思想だった。ホンモノを採用していれば、各国が感染対策に狂奔したコロナ禍の時期、日本が “世界の中心で咲き誇れた” ことは、まちがいない。

前にも紹介したが、たとえば英国の一流紙は昨年(2025.7.28)の時点で、当時をこう総括する。

[FT]衰退する西側リベラリズム 批判より前向きな主張必要 - 日本経済新聞
政権を率いる政党が支持率を失うと、野党が支持率を上げる――。この政治の法則が最近は崩れている。トランプ氏の支持率下がっても民主党のは上がらず米調査会社ギャラップが7月24日に発表した世論調査で、トランプ米大統領の支持率は第2次政権発足後で最...

通常はリベラルなスウェーデンは、集団免疫の獲得を狙って国民の行動を規制しなかった。誰もがそれを愚かな行為だと非難したが、同国の死亡率は欧州で最も低い水準となった。だがこの事実が注目を集めたことはない。

新型コロナ禍の経験を無視して、これほど多くの若い有権者がなぜ右傾化しているのか理由を調べるのは時間の無駄だ。
(中 略)
リベラル派は「科学に従え」と主張したが、科学への信仰と混同していた。科学とは試行錯誤の過程であり、異論に耳を傾ける余地があってこそ成り立つ。これは大学のキャンパスでも新聞社、シンクタンク、社会全体の議論でも重要なルールだ。

日本経済新聞訳、2025.8.1

これが科学であり、学問だ。しかし……

それでも、日本人は「ニセモノ」を選んだ。

上記した共同通信の配信からわずか4日後、総理大臣が呼びかけて「接触8割削減競争」なるスポーツ競技が、全国民大で一律に始まった。誰がいかにしてそんなミスリードを起こしたか、いまはもう実証的に解明されている。

隠蔽された「8割削減」の真実: やはり、それは2度目の "満州事変" だった|與那覇潤の論説Bistro
今年の6月に岩本康志氏(東大経済学部教授)の刊行した『コロナ対策の政策評価』が、反響を広げている。2020年4月、当初は "専門家がエビデンス・ベースで" 発案したように報じられた「接触8割削減」の政策の、完全な無根拠ぶりが立証されているか...

ホンモノの思想を見出すには、それなりに時間がかかるが、ニセモノのそれはお手軽だ。いま、この “一瞬” に「みんなが断言してほしいこと」を先読みし、大声で喚けばメディアが寄ってくる。

根拠なんて別に要らない。とりあえずセンモンカぶっておけば、「なにか計算があるんだろう」と報じる側が忖度してくれる。後でまちがいがわかっても、「根拠があるとまでは言ってません」で居直れるから、マジで無敵。

学問の信用を崩壊させるのは「言い逃げおじさん」である: 西浦博氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
ちょうど4年ほど前に、初めて「言い逃げ」をタイトルに冠した記事を出した。ある歴史学者が炎上した際、叩けば叩くほどウケるときには散々罵りながら、形勢が変わるやダンマリを決め込む姿勢を批判してのことである。 この事件は、日本の学界におけるキャン...

ところが問題は、ニセモノでも “一瞬” なら実際に、キモチヨクなれることだ。たとえるならそれは、うつの人に覚醒剤とか飲ませて「ほぅら、元気出たジャン?」と言ってるようなものだが、当事者はなかなか気づけない。

で、その後あらゆる危機が起きるごとに、ニセモノのメリーゴーランドのように顔だけ変えて、同類が次々出てきたわけだ。患者が薬剤ショッピングをしているのと同じ、危険な状態だが、売人はそんなことは気にしない。

その証拠にこの人たちは、みな “一瞬” で相手を決めつけるのが大好きだ。SNSで自分と違う意見を見るや、PCRもどきで「親露派だ!」「壺(統一教会)だ!」と認定するセンモンカは、ある時期すっかりおなじみだった。

ウクライナ論壇でも始まった「歴史修正主義」: 東野篤子氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
2020年の7月に出た雑誌への寄稿を、「コロナでも始まった歴史修正主義」という節タイトルで始めたことがある。同年4~5月の(最初の)緊急事態宣言が明け、その当否の検証が盛んだった頃だ。 池田信夫氏のJBpress(2020.5.15)より ...
まさかの「一日天下」に終わったベネズエラの専門家: 坂口安紀氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
たしか『記憶の場』のピエール・ノラに、「歴史が加速している」という表現があったのを妙に覚えている。元の用法と同一ではないかもだが、こんな話をするとき、その語がいつも脳裏に浮かぶ。 戦争の記憶と結びついた「戦後」という歴史の感覚が、2010年...

そんな人に公共精神があるわけはないので、彼らはどこにでも寄ってくる。たとえばトランプ(やプーチン)の悪口を「言ってあげる」んで、リベラルや左のメディアも、私を使ってギャラ払ってくださいよなんて朝飯前だ。

社会のいちばん深い多様性を自分で毀損しながら、「ダイバーシティが大切です。みなさんもトランプを批判しましょう」とやって平気な人は、人間の根本が壊れている。彼らこそ、病院に入れることが必要だとさえ思う。

どうして学者も専門家も「コピペ・マシーン」になったのか|與那覇潤の論説Bistro
ぼくも結構お世話になった雑誌『ひらく』(現在は完結)の、2019年の創刊号で東浩紀さんが言っていたことが、妙にずっと引っかかっていた。監修者の佐伯啓思さんに、先崎彰容さんを交えた鼎談での発言である。 ひらく①分野を横断しながら、多様な「問い...

疲労の結果、久しぶりに入院もして、そんな思いを新たにした。

しばらくはリハビリしながらなので、noteの質・量もペースダウンすると思うけど、長い目で見てくれるなら嬉しい。

参考記事: ついにここまで来ましたね。

リベラルとはネオンサインのホルモン屋を守ることである|與那覇潤の論説Bistro
去年の忘年会で、はじめて池袋西口の「酒蔵 力」(さかぐら りき)に行った。力は1969年に浦和で創業して以来、埼玉を中心に展開している串焼きチェーンで、肉の卸問屋の直営。新鮮なホルモンが売りである。 酒蔵 力 池袋西口店 (池袋/居酒屋)★...

(ヘッダーは、東武動物公園のBlogより)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年5月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。

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