核の脅威がこれほど現実味を帯びた時代は、冷戦終結後なかったかもしれない。
ロシアはウクライナ侵攻の中で核使用を繰り返し示唆し、欧州最大のザポリージャ原発を占拠し続けている。米ロ間の核軍縮体制も揺らぎ、中国は核戦力の増強を急ぐ。
にもかかわらず、その脅威に正面から向き合う数少ない多国間の場である「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」を、欧州を含む世界のメディアは驚くほど報じていない。
先月27日からニューヨークの国連本部で開かれているNPT再検討会議は、終盤の交渉局面に入っている。
5年に1度開かれるこの会議では、核軍縮、核不拡散、原子力の平和利用というNPTの「3本柱」について加盟国が現状を確認し、今後の行動指針を「成果文書」として採択する。成果文書とは、各国が合意した目標や具体的措置をまとめた文書で、次の5年間の核軍縮・不拡散に向けた国際的な指針となるものだ。
NPTは1970年に発効し、現在191か国が加盟する世界最大級の軍縮条約だ。一方で、インド、パキスタン、イスラエルは加盟しておらず、北朝鮮は2003年に脱退を宣言した。これら4か国・地域をどう扱うかも、会議の重要な論点となっている。
会議は22日の閉幕まで残り1週間を切ったが、全会一致の成果文書採択に向けた交渉は難航中だ。関係者の間では、「3回連続で成果文書なし」に終わる可能性への懸念が広がっている。

NPT再検討会議が行われている国際連合総会会議場 Wikipediaより
「爆弾」が多すぎる交渉
NPT再検討会議では、成果文書の内容に1か国でも反対すれば合意は成立しない。
前回2022年の会議は、ザポリージャ原発をめぐる文言で決裂した。ロシアによる占拠への懸念を成果文書に盛り込もうとしたところ、ロシアが反対し、合意に至らなかった。2015年の会議でも、中東非核地帯構想をめぐって米国とアラブ諸国が対立し、成果文書は採択できなかった。
20年以上にわたり国連を取材してきた米ジャーナリスト、マーク・レオン・ゴールドバーグ氏は、今回の状況をこう表現する。
「過去の再検討会議では、事前に最大の争点がある程度見えていた。しかし今回は、合意を吹き飛ばしかねない『爆弾』が至るところにある」。
ただ同氏は、NPTそのものは依然として「成功の物語」だとも強調する。現在の核保有国数は冷戦期に予想されたほど増加せず、核兵器開発を断念した国も少なくない。原子力の平和利用も広く制度化されており、NPTが核拡散を抑えてきた役割は依然大きい。
最大の焦点となるイラン問題
今回の交渉で特に重くのしかかっているのがイラン問題だ。
会議の議長を務めるベトナムのヴィエット国連大使は、成果文書採択への強い意欲を示している。会議序盤の記者会見では「成果文書なしでは成功とは言えないか」と問われ、「その通りだ」と即答した。
最初に公表された「ゼロ草案」は、イランがIAEA(国際原子力機関)との保障措置協定上の義務を履行していないことを直接指摘し、イスラエルおよび米国によるイラン核施設への攻撃を明確に非難する内容だった。IAEAは数か月前の理事会でイランの義務不履行を認定しているが、イラン側は核開発は一貫して平和目的だと主張している。
しかし第一草案(14日公表)では、義務不履行の主体があいまいにされ、核施設攻撃への非難も削除された。前者はイランの反発を避けるため、後者は攻撃を行った米国・イスラエルへの配慮とみられるが、軍事行動の責任は会議で正面から問われない形となっている。
英国とカナダはイランの義務不履行の明記を求めた。ただ両国とも米国・イスラエルと同盟関係にあり、イランへの攻撃非難の削除には異論を唱えていない。イラン側の責任は問う一方、攻撃側への批判は避けるという構図に、会議の地政学的力学がにじむ。
ロシアは義務不履行の明記に強く反対する。イランが「国際ルールを破った国家」という印象を与えれば、イスラエルや米国による軍事攻撃を事後的に正当化する材料になりかねない、というのがその論理だ。イラン自身も「特定国を名指しする表現を避けることが会議成功の鍵だ」と訴える。
さらに取材班が入手した米国代表団の発言が交渉を一段と複雑にしている。「イラン非難が欠落した成果文書なら、ない方がましだ」。対イラン非難が盛り込まれなければ合意を拒む可能性を示唆している。
イラン問題だけではない。ゼロ草案にあった「北朝鮮の核・ミサイル開発への懸念」も第一草案では削除された。何を明記し、何を削るか。その一つひとつに、各国の利害と圧力が反映されている。
核軍縮の後退という大文脈
イラン問題にとどまらず、交渉を阻む要因は多岐にわたる
欧州ではロシアの核威嚇以降、「核なき世界」よりも「核抑止の現実」を重視する空気が強まっている。
ドイツやポーランドでは、米国の「核の傘」やNATOの核共有政策を維持・強化すべきだとの声が強まっている。加えて、ロシアの脅威と米国への不安を背景に、フランスの核戦力を欧州全体の抑止力として活用する議論も広がりつつある。
米ロ間の最後の主要な核軍縮条約だった新戦略兵器削減条約(新START)の失効(今年2月)も、こうした流れに拍車をかけた。中国は核戦力の増強を続け、米国やフランスも核兵器の近代化を進めている。
核軍縮を義務づけるNPT第6条をめぐり、非核保有国の不満は強い。しかし欧州安全保障の現場では、「ロシアの脅威が続く限り、核抑止を手放せない」という認識が急速に広がっているのが現実だ。
核実験を全面禁止する「包括的核実験禁止条約(CTBT)」も、新たな火種になりつつある。米国と中国はいずれも批准しておらず、核実験をめぐる不信感は再び強まり始めている。
さらに、過去の合意を「再確認」するだけでも難しくなっているという、近年の国連に特有の問題もある。以前の政権なら当然合意していたような内容に、より保守的・権威主義的な政府を持つ国々が難色を示す場面が増えており、このNPT再検討会議でも同様の傾向が出ている。
日本以外はほとんど報道なし
これほど重大な会議にもかかわらず、国際社会での報道は多くはないようだ。
筆者が住む英国でも、この会議はほとんどニュースになっていない。背景には、ウクライナ戦争の長期化による「核リスクの日常化」や、多国間外交そのものへの報道関心の低下があるとみられる。外交・軍縮分野を専門に扱う記者の減少を指摘する声もある。
しかし、核保有国である英国の市民に、こうした議論がほとんど届いていない現実は重い。
現地取材を続ける関係者によれば、「継続的に会議を追っている主要メディアは、日本勢が目立つ」という。
被爆国である日本では、核問題は依然として強い社会的関心を持つテーマだ。核保有国の英国との温度差は、報道量にも表れている。
それでも積み上げられるもの
それでも、完全な停滞だけではない。
核兵器禁止条約(TPNW)を支持する非核保有国や市民社会の動きは強まり続けている。核保有国が参加しておらず拘束力に限界があるTPNWだが、今回の再検討会議を弾みに、今年後半に予定されるTPNW関連会議へ向け、核軍縮を前進させようという機運は確実に高まっている。
もっとも、NATO加盟国の多くはTPNWに参加していない。核抑止をNATOの安全保障の柱と位置づけており、TPNWへの参加はその放棄を意味しかねないためだ。NPTとTPNWの溝は依然として深い。
一方、NPT体制内部では、核保有5か国(P5)の透明性向上を制度化しようという動きも進む。核戦力の規模や構成について定期報告を義務づけ、加盟国が質疑できる枠組みを整えようという提案だ。
興味深いのは、核保有国自身にも一定の支持がある点である。互いを透明性の枠組みに組み込めるという計算が働いているためだ。
最終的に成果文書が採択されるかどうかは、なお見通せない。それでも、NPTが半世紀以上にわたり核拡散を抑制してきたという事実は変わらない。
軍縮が後退し、核抑止への依存が再び強まる時代の中で、22日の閉幕に向け、交渉は最後の正念場を迎える。
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2026年5月21日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。







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