トヨタがル・マンで勝っても、W杯の引き分けに勝てない「自動車大国」

この週末、トヨタがル・マン24時間レースで総合優勝した。7号車のドライバーはマイク・コンウェイ、小林可夢偉、ニック・デ・フリース。8号車も3位に入り、トヨタは1-3フィニッシュを果たした。トヨタにとってはル・マン6勝目である。

ル・マンは世界三大レースにも数えられる伝統の耐久レースであり、今年も35万人を超える観客を集めた。日本車が勝ち、日本人ドライバーも勝った。普通に考えれば、日本のスポーツニュースの大きな話題になってよい出来事である。

しかし、日本の空気は静かだった。

もちろん、報道がなかったわけではない。テレビ朝日NEWSも報じていたし、J SPORTSや自動車専門メディアは大きく扱っている。問題はそこではない。問題は、ル・マン優勝が「国民的スポーツニュース」として扱われていないことだ。

トヨタ4年ぶりのル・マン制覇。可夢偉組7号車がタイヤトラブルを乗り越え逆転勝利/決勝24時間後レポート | ニュース | autosport web
フランスはル・マンに位置するサルト・サーキットで、6月13日16時にスタートが切られたWEC世界耐久選手権第3戦『第94回ル・マン24時間レース』が14日の1

同じ週、日本ではサッカー・ワールドカップの日本対オランダ戦が大きく報じられていた。日本は強豪オランダに2-2で引き分けた。これは立派な結果である。しかも試合はNHK総合でも生中継され、DAZNでも日本戦全試合が無料配信されるという。

だが、冷静に見れば「引き分け」である。一方、ル・マンでは日本車が総合優勝し、日本人ドライバーが表彰台の中央に立った。ところが報道量、扱いの熱量、社会の反応には大きな差がある。

ワールドカップ【詳報】日本代表、初戦オランダと劇的ドロー…後半終盤に鎌田大地が同点ゴール
【読売新聞】 サッカー・ワールドカップ(W杯)北中米3か国大会に出場している 日本代表 は日本時間15日午前5時から1次リーグ(グループリーグ)F組( グループF )で、初戦の オランダ 戦に臨んだ。日本代表( 世界ランキング 18

もちろん、サッカーとモータースポーツを単純に比べるのは乱暴である。ワールドカップは世界最大級のスポーツイベントであり、国民的関心を集めるのは当然だ。だが、その乱暴な比較をして初めて見えるものがある。日本社会では、サッカーは「日本代表の物語」として処理される。一方、モータースポーツは「自動車業界ニュース」として処理される。ここが決定的に違う。

サッカーなら「日本代表が強豪と戦った」となる。野球なら「大谷翔平が打った」となる。五輪なら「日本人が金メダルを取った」となる。しかしル・マンでは、「トヨタが勝った」「ハイパーカーがどうだった」「耐久レースで技術力を示した」という話になりやすい。

小林可夢偉が勝った。トヨタが勝った。日本の技術が勝った。どれも正しい。だが、どれが主語なのかが一般読者には分かりにくい。人間の物語なのか、メーカーの物語なのか、技術の物語なのか。マスコミはそこを翻訳することが苦手である。

この落差は、かつての日本を知る世代ほど奇妙に映るはずだ。F1ブーム、鈴鹿、日本人ドライバー、スポーツカーへの憧れ。かつてクルマは、若者にとって自由や背伸びの象徴だった。もちろん、そこには暴走や騒音の負の側面もあった。だが、それでもクルマには「かっこよさ」があった。今の日本では、その感覚自体がかなり薄くなっている。

メディアは世論を作るが、同時に世論に従う。モータースポーツを大きく扱っても、視聴率や閲覧数が取れないと判断されれば、扱いは小さくなる。扱いが小さくなれば、次の世代は競技を知らない。知らなければ関心も生まれない。関心が生まれなければ、また報じられない。これは冷淡というより、文化が縮むときに起きる典型的な悪循環である。

本来、モータースポーツほど人間臭い競技はない。24時間を走り切る集中力、判断力、恐怖心との戦い、機械を信じる感覚、チームの総合力。そこにはサッカーや野球とは違う極限のドラマがある。だが、日本の一般報道はそれを「スポーツ」として語らない。せいぜい「トヨタが優勝」と短く伝えるだけである。

なぜそうなるのか。

一つは、視聴者市場の問題である。日本では若者が減っている。2024年時点で15歳未満人口の割合は11.2%と過去最低、65歳以上人口は29.3%と過去最高である。若年層の厚みが薄くなれば、車、バイク、スピード、機械、冒険への憧れも文化として広がりにくい。

これは単に「若者がクルマを買わない」という話でもない。若者が少なければ、若者向けの文化に投資する企業も減る。広告も減る。番組も減る。記事も減る。結果として、クルマやバイクを趣味にする入口そのものが見えにくくなる。自動車メーカーは世界で戦っているのに、国内の消費者文化としてのクルマは痩せていく。このねじれが、ル・マン優勝の扱いの軽さにも表れている。

もう一つは、若者に金がないことだ。モータースポーツは入口が高い。車両、駐車場、保険、燃料、タイヤ、整備、サーキット走行料。観戦するだけでもCSや配信サービスが中心になりやすい。昔のように、若者が中古のスポーツカーを買い、峠やサーキットに向かう導線は細くなった。車は自由の象徴ではなく、維持費のかかる負担になった。

日本自動車工業会の2023年度乗用車市場動向調査でも、平均月間維持費や維持費全体への負担感は上昇傾向とされ、特に燃料代への負担が増えている。非保有世帯の非保有理由でも維持費負担は上位に来る。クルマを持つだけでも重い時代に、モータースポーツが大衆的な入口を持つのは難しい。

さらに、日本社会では「速さ」が憧れではなく、迷惑や危険として語られやすくなった。騒音、事故、暴走族、高齢者運転、環境負荷。車は夢の対象から、管理すべきリスクへと変わった。そうした社会で、モータースポーツだけを明るく語るのは難しい。

一方、ワールドカップは分かりやすい。国旗がある。代表がある。相手国がある。勝敗が単純で、感情移入しやすい。テレビも新聞もネットも「日本代表」という物語に乗ればよい。早朝5時の試合でも、引き分けでも、十分にニュースになる。

ル・マンにはそれがない。いや、本当はある。だが、日本のマスコミはそれを物語にしていない。

トヨタがル・マンで勝っても、日本はあまり騒がない。それは日本人に才能がないからではない。日本車に力がないからでもない。むしろ逆である。日本は勝っている。勝っているのに、その勝利を社会が受け取れていない。

日本は自動車大国である。しかし、自動車競技を国民的スポーツとして語る国ではない。

ワールドカップの引き分けは国民的ニュースになる。ル・マンの総合優勝は業界ニュースになる。

この差の中に、いまの日本社会が見える。若者が減り、車が遠くなり、速度や冒険が迷惑として語られる社会。日本は車を作る力を持っている。だが、車で競う人間を物語にする力を失いつつある。

続編・追加資料は Xで更新します。

X:George.Kujo IR Analysis Independent Researcher

資料や体験談があればXでお寄せください。

コメント投稿をご希望の方は、投稿者登録フォームより登録ください。

コメント