
時代が時代を「キャンセルする」ということが、あるのかもしれない。
焼け跡から始まった戦後という時代に、「戦前のキャンセル」という側面があったことは事実だろう。その戦後の価値観を否定することにだけ情熱を傾けるいまの政権は、80年後に来た「キャンセルのやり返し」とも言える。

もはや中東のテロの応酬にも似た、そんな「報復の連鎖」とは違う形で、ひとつの時代を穏当に卒業することは、なぜこうも難しいのだろうか。
宇野常寛さんの司会で、「柄谷行人と加藤典洋」の意義を萱野稔人さんと動画で議論する中で、そんなことを考えた。前半は萱野さんが平成以降の柄谷氏の展開を、後半はぼくがその前史からの加藤の軌跡を追う構成である。
1941年に生まれた柄谷行人は「60年安保」、48年生の加藤典洋は「70年安保」(全共闘運動)に、それぞれ一学生として参加した人である。いま振り返るとそのことは、意外なほど両者の思考を決めていたように思える。
当時の岸信介政権を「キャンセル」した60年安保が、戦前の否定という戦後の本質を集約して示すものだったのに対し、そんな戦後は「言うほど立派か?」を問うた70年安保は、時代に対する疑いの先取りだったからだ。
動画で大きな論点となるのが、1991年の湾岸戦争に際しての両者の分岐だ。柄谷氏が「国家を放棄する」可能性を問うて、戦後を象徴する憲法9条に急接近したのに対し、加藤はそれを思考停止だと見て激しく論難する。
『江藤淳と加藤典洋』でも引いたとおり、加藤自身がそのときの気持ちを直截に語っているので、ここでも掲げておこう。

その〔柄谷らの反戦〕運動が、苦境にある日本の戦後のあり方を自分のこととして受けとめるのでなく、いわばつまみ食い的に蚕食することで、自らは面目を一新しつつその先に進み出ようとする、軽薄な “父の「切り捨て」” と見えたことが、その理由である。
この「積極的な」行動は、私の目には、これまでの戦後を否定するのでも批判するのでもない代わり、おいしいところをつまみ食いして後は捨てる、戦後の継承の放棄を示す「忘恩的な」ふるまいと見えた。
202-3頁(強調を付与)
拙著での登場ページは262頁
いま風に言えば、AIに「反戦のシンボルにいいものないっすか?」と訊いて9条をオススメされたから、使います、みたいな安易さは、戦後の価値を受け継ぎますという顔をしつつ、過去とのつながりを無価値にしている。
1995年から柄谷と加藤が交わす『敗戦後論』をめぐる論争は、実はこの「つまみ食い vs 歴史の継承」の、第2ラウンドだった。それはたとえば、

戦後、50年をへて、わたし達の自己欺瞞は、ここまで深い。ここ〔柄谷らの反戦運動〕にあるのは個々人の内部における歴史感覚の不在だが、その事態が50年をへて、ここでは、本来はない歴史主体の、外にむけての捏造が生みだされているのである。
21頁(算用数字に改変)
といった、同書の一節にあきらかである。
こう考えるとき、『敗戦後論』はいわば「キャンセルカルチャー原論」でもあったことに気づく。”いま” 正しくないと思えるものをキャンセルするとき、人は “かつては” 自分もそれに従ってきたという過去を抹消している。
戦後が「戦前のキャンセル」だというのは、まさにその意味だ。戦前を生きた自分はあたかも居なかったかのようにして、戦後への意識の “アップデート” を行うとき、実際に起きるのは歴史の反省ではなくデリートなのだ。

壊れたPCをOSからインストールしなおすように、直前までの歴史をキャンセルした場合、語られなくなるのは、たとえばこうした過去の描写だ。
火事の中、地面に倒れた。と、誰かが自分の上に覆いかぶさり、気がついたら、その人はもう灰となり、すでに火は消え、自分はその灰に守られ、生きていた。その自分の真先にすべきことが、自分を守って死んだその人を否定することであるとしたら、そういうねじれの生の中に、そもそも「正解」があるだろうか。
戦争に負けるとは、ある場合には、そういう「ねじれ」を生の条件とするということである。
『敗戦後論』16頁(改行を追加)
とはいえ、語らないといけない人もいる。
国を代表するのが仕事の人は、まちがった戦争の死者であれ、①他人事のように「知らねーよ」することなく、しかし②いま自分はまちがいを認識している、という仕草で弔ってもらわないと困る。そうでない国には、ふつう住みたくない。
が、①に律儀だと「戦前肯定」のように叩かれ、②をやると保守や右ほどウケる平成以降は人気を落とすので、政治家や識者はおおむねどっちかをサボるようになった。なので孤軍奮闘、代わりにやらされる人も出てくる。
國分功一郎さんの新著が話題だけど、同書は1~2章の天皇論と3章の加藤典洋論が、途切れてつながっていない。前者は、国民主権の憲法の尊さを、その憲法により「主権」を失った天皇から教えてもらうのは、情けないよね、という話だ。
むしろ加藤典洋というプリズムを通したとき、先の天皇(現上皇)にぼくたちが見るべきは、戦前も戦後もつまみ食いせず貫いて生きた人の目線で、追悼も反省もサボらずに喋ろうとする人が、平成に彼しかいなくなったという事実だろう。

戦後50年の論壇に台風のような波紋を呼んだ『敗戦後論』を、いちばん実践したのは、時の天皇だったのかもしれない。それはさすがに、皇室以外があまりに仕事しなすぎじゃ、なかろうか。
文藝春秋+の前後編の動画では、目下の皇室典範改正につき、浜崎洋介さん・辻田真佐憲さんと「天皇とはそもそも、日本にとって何なのか?」まで掘り下げて論じている(後編はこちら)。
「女性・女系 vs 男系男子」のプロレスに囚われず、天皇が果たす役割を検証する中で見えてきたのは、まさに過去のキャンセルではなく歴史を受け継ぎ、語り続けることの意義だった。ぜひ、多くの視聴者を得ると嬉しい。
参考記事:


(ヘッダーは1994年、硫黄島で初めて献花する現上皇夫妻。東京都より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年6月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







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