私が皇位継承問題を提起したのは、2000年に出版された『日本の国と憲法第三の選択』(同朋舎・角川書店)で取り上げたときだ。愛子さまが誕生したのは、その翌年だが、その2週間ほど前にはリヨンで開かれた小規模のシンポジウムで、小和田恆さんが、お孫さんの誕生を前祝いする祝いの言葉に対して謝意を述べるとともに、日本における女性の地位の低さについて熱く語るのを聞いて、内親王の誕生を予感した。

宮内庁HPより
ただ、そのころは、雅子さまが第2子を得られる可能性もあったので、それほど緊迫した論争ではなかった。しかし、その後、第2子誕生の可能性が低いと言われるようになると、突然、小泉内閣が、女性天皇や女系継承、それも男子があっても長子優先というラディカルな皇室典範の改正を言い出し、騒然となる中で、私も性急な議論に強く疑義を呈したりしているうちに、紀子さまの懐妊が伝えられ、悠仁さまが誕生し、皇室典範の改正は前提条件を失った。
私が皇室問題を研究し始めたのは、1970年代の終わりにさかのぼるが、現実の論争に加わりだしたのは、21世紀になってからだが、それでも、四半世紀前からだ。従って、この問題の歴史的な推移も裏側もそれなりに知っているので、一応、方向が定まったのを機に、少し率直に裏側を語りたいと思う。
この内容は、深田萌絵さんの『政経チャンネル』での『【皇位継承問題】旧皇族復帰か女性宮家か?ついに方針決定の「皇位継承」の裏舞台とは?』 の台本に少し手を加えたものである。動画では深田さんの突っ込みに答えて脱線もしているので、そちらもぜひ、ご覧いただき拡散してほしい。
この問題については、読者の皆さんはご存じの通り、池田信夫氏と私の考え方は違うのだが、池田氏がよって立っている皇室観は、戦前の天皇制がよって立っていたものと根本的に違う。それが歴史的に正しいかどうかは、別の議論のテーマであって、今回の国会における議論は、現在の皇室制度が、明治国家の皇室観を前提に、それを民主国家に適合するようにお化粧直しだけした現制度をもとにしたものであるため、見方が違うのは当然なのだ。
Q:皇位継承問題について大きな動きがあったようで、新聞やテレビでは、「安定的な皇位継承をめぐり、衆参両院の議長・副議長は8日、とりまとめ案を各党・各会派に報告した」と報じています。
この問題について、著作も多く、小泉内閣時代から黒子として調整にあたってきた八幡先生が、今だから話せるという話も含めて説明してくれるそうです。
この話、悠仁さまか愛子さまか、どちらを将来の天皇陛下にするかという話かと思っていたのですが、違うんですか。
A:それは最初から議論の対象にはなっていません。というのは、小泉内閣のときに、当時の皇太子陛下と秋篠宮さん以外に男子がいなくなったので、愛子天皇を前提とした議論があったのですが、悠仁さまが生まれたので前提が変わって棚上げになったのです。
その後、2012年に政権に復帰した安倍さんは、悠仁さまに男子がない場合にも備えた議論をしたいと言ったのですが、前の陛下が退位をしたいと仰ったので、そちらの処理が優先されました。
皇室典範全体を見直そうという議論もあったのですが、それだと時間がかかるというので、今回限りの特例を認める法律をつくって、陛下が生前退位をして上皇陛下になり、皇太子殿下が新しい天皇になり、継承順位1位の秋篠宮殿下を、皇嗣殿下という名称で次の天皇として確定させるため、国事行為として立皇嗣礼というのをして、皇太子の印である壺切御剣というものを陛下から授けました。
平安時代から、この儀式をしたにもかかわらず即位しなかった例はありませんので、次は秋篠宮殿下であることが確定し、そのあとは悠仁さまになりますので、愛子さまを天皇にという案は、政府・国会や皇室ではそもそも検討の対象になっていないのです。
ヨーロッパでは、これまで男子のみだったり、男子優先だったのを男女同じ扱いにする動きはありますが、既に生まれている子供については従来のままになっており、国際的な常識でも愛子さまが天皇というのは、悠仁さまに事故でもない限りはありえないのです。
Q:それなら今回の議論は、悠仁さまに男子が生まれなかったらどうするかということなのですか。
A:そうです。悠仁さまに男子が生まれたら、これをやめてという議論はやりにくい。ですから、生まれなかったときのことです。
その場合に、ふたつの意見があって、昭和22年に皇族でなくなった、いわゆる旧宮家の男系男子子孫をあてるか、それとも、悠仁さまの娘とか、あるいは佳子さまや愛子さまの子供やその子孫にするかという議論があるわけです。
この議論は、どちらにも支持者がいるので、どちらかに決めても、反対する人は納得しそうもありません。そこで、両方の可能性をニュートラルに残しておこうというのが今回の趣旨です。
つまり、愛子さまや佳子さまが結婚しても、ご本人だけは皇族のままにして、皇室とのご縁が切れないようにする。ただ、夫や子供を皇族にすると、悠仁さまに代えてとか言う人が出かねないので、とりあえずはしないということです。
また、旧宮家の人たちは、このまま何もしないと、皇室との距離がどんどん広がるので、何人かに皇族になってもらおうということです。
Q:これまでずっと民間人だった人たちが、急に皇族だ、天皇になるとかいうのはありなんですか。また、そんな人たちがいるのですか。それから、その人たちを宮家復活でなく養子というややこしい形にするのですか。
A:旧宮家というのは、南北朝時代に皇室から分かれて、皇統が断絶したら天皇を出すように置かれていた家である伏見宮家の系統です。昔は有栖川宮家とか閑院宮家もあったのですが、戦前に断絶してなくなりました。一方、伏見宮家は子だくさんなので、戦争が終わったときに11宮家に分かれていたのです。江戸時代や幕末にも、ずっと皇位継承候補として位置づけられていました。
そのうち現在では7つの宮家が残っており、そのうち4つの家に現在のところ11名の未婚の男子がいます。問題は、皇族の数は多すぎても少なすぎても困るということなのです。また、それなりに出来の良い人、できることなら現皇室と近い人など、皇族になってもそれにふさわしい人に復帰してほしいわけです。そのためには、適切な人を選ばないといけないわけで、それを選別する方法として養子制度を取ることにしたのです。
さきほど11宮家と言いましたが、すでに4つの宮家は消えています。また、3つの宮家には若い男子がいません。未婚の若い男性という括りで言うと、東久邇家に6人、竹田家に2人、賀陽家に2人、久邇家に1人います。
このような状況ですから、子孫がいない宮家を復活させても仕方ないし、男子がいる宮家をひとつずつという方法が適切とは思えません。
残っている4つの宮家については、いずれも分家ですので、家の格付け順位をつけるのが難しいのです。歴史的にも、年長の兄弟の子孫が本家とは限らないのです。
一方、東久邇家は昭和天皇の長女成子さんの子孫で、現在の天皇ご一家との親密さでも別格なのです。皇位継承候補としては、昭和天皇の子孫かどうかは重要です。
第1号は、常陸宮さまがご自分の姉である成子さんの子孫、つまり東久邇家の誰かを養子にすることになると思いますし、東久邇家から複数ということになる可能性が高いでしょう。ただ、かといって、他の宮家からは取らないというのでは、不公平だということになります。バランスをどう取るか難しいのです。
Q:年齢とかはどうなんですか。
A:15歳以上という方針です。また、未婚を想定しています。15歳以下だと親が勝手に養子に出せるのですが、今回は、国民としての自由がなくなるので、民法で本人の意向を確認する年齢である15歳以上にすべきだと考えています。そのころになれば、本人の出来・不出来も分かります。
Q:養子は今回、何人か採って終わりなんですか。
A:そういうことではありません。すでに申し上げたように、皇族としての公務の担い手の適正な人数は、4~5つくらいの宮家が適正です。それを悠仁さまや先に養子になった人のお子様の人数などをにらみながら追加していけばいいのです。ただ、いずれにしても、旧宮家の血を引く11人とその子孫は、大事な皇位継承予備軍として将来にわたって大事に温存してほしいです。
Q:これまで民間人だった人が急に天皇なんかになって大丈夫ですか。
A:旧宮家の人にもいろんな人がいますが、小泉内閣の頃から皇族復帰の可能性が取り沙汰されてからは、自分たちの方から望む話ではないが、お声が陛下からかかれば、できる限り応えられるように子供たちを育てなくてはならないという意識です。
また、養子になった本人は悠仁さまの同世代ですから、皇位継承候補になりません。そして、その子供は生まれながらの皇族ですから、なんの問題もありません。
Q:愛子さまに旧宮家の男子をという話もあるのですか。
A:そういうことを言う人が昔からいるのですが、皇室ではかつて近親結婚が多かったので、たとえば、平均より出生率が低いのです。それを考えれば、やめた方がいいと思います。
ただ、賀陽家の2人については、比較的、近親関係が薄いのですが、逆にほかの養子候補に比べて現皇室とは縁が遠いのです。いずれにせよ、結果的にそういう結婚が成立すればいいですが、限られた数の男性との結婚を強く愛子さまに迫るのは反対です。
Q:いずれにせよ、悠仁さまに男子ができなかったら、旧宮家の人か佳子さまや愛子さまの子や孫から選ぶしかなくなりますが、いつごろそれを決めるのですか。
A:2045年がひとつの節目です。陛下が、上皇陛下が退位された85歳になられ、悠仁さまが39歳だから、悠仁さま、佳子さま、愛子さまなどの子供が何人くらい生まれているかもはっきりします。そのときの世代が、議論して議論の方向づけを行い、さらに、最終決定は、悠仁さまが60歳代になったころまでに皇嗣を決めたらいい。悠仁さまが85歳になるのは2092年です。
私は、悠仁さまに男子がなかったら、しばらくは、10年とか20年の任期で交代する制度にして、みんなが納得するところに落ち着くのを待つのも一考だと提案しています。ふたつの意見があるときには、無理をせずに軟着陸するのがいいのです。
Q:世界中、ロイヤルファミリーの華といえばプリンセスです。プリンセスという言葉は、王子様と結婚された妃殿下と、王女さまたちの両方に使われます。今日は皇室のプリンセスたちの秘密とロマンスについて、八幡先生からとっておきの話をしていただきたいということです。
A:まず、説明したいのは、現在の皇室の全体像です。この系図にあるように、広い意味の妃殿下は、美智子さま、雅子さま、紀子さま、華子さまのほか、未亡人が三笠宮寛仁親王妃信子さまと高円宮久子さま、内親王が佳子さまと愛子さま、女王は三笠宮彬子さま、瑶子さま、高円宮承子さまです。
天皇の孫までは内親王ですが、ひ孫は女王です。現在の制度では、結婚すると皇族でなくなります。1億円から1億5000万円の一時金が出ますが、その後は一般人になります。
Q:これまでどんな人と結婚しているのですか。
A:昭和天皇の娘まではお公家さんや大名の子孫に嫁ぎましたが、戦後、財産を失っているので経済的にはたいへんでした。それもあって、その後は難航しています。三笠宮の甯子さんは近衛家で順当ですが、容子さんは裏千家です。当時の常識としては名家とはいえませんでした。清子さまは学習院ですが、華族とかではない。高円宮の典子さまは出雲大社ですが、これも異例。絢子さまはパーフェクト婚と言われたが、私の役所の後輩の息子で普通のサラリーマンです。いわゆる名家名門は、お金がかかるから敬遠する傾向があります。名家が内親王・女王を迎えるなら、それなりの支出が必要です。日本人の若い成功者は、芸能人とか名門の令嬢を狙いません。
Q:小室圭さんと眞子さんのケースは。絢子さんは。
A:小室氏も弁護士として頑張っているから、結果的にはまともだったかもしれません。高円宮絢子さんは、堅実なサラリーマンという新しいケースです。
Q:今度の制度改正で、愛子さまや佳子さまの結婚の条件は変わるのか。結婚相手も皇族にすると主張する人もいますが。
A:今度の制度の方がいいと思います。皇族になるというと、相手が限られます。本人は皇族のままで年に3000万円もらえて、赤坂に一戸建ての家がもらえて、夫はそこに住んで仕事を続けられるのはおいしい。
Q:結婚といえば、悠仁さまの結婚はどうなるか。
A:早く探さなくてはいけません。上皇陛下のときも陛下のときも、本当に候補がいませんでした。小泉信三のような人が必要ですが、1人でなくチームを組んだ方がいいでしょう。
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