辻元清美参議院議員が、「旧宮家の男系男子の養子縁組」についてFacebookでこんな投稿をしている。

2026年5月12日辻元清美議員Fbページ
旧宮家の男系男子を皇族の養子とすることを可能にする案が、焦点の1つとなっている。
しかし、養子縁組が130年以上も前に禁止された理由を十分咀嚼しているのか。
旧皇室典範作成過程でまとめられた『皇室典範義解』(明治22(1899)年)によれば、
「養子を為すことを禁ずるは、宗系紊乱(ぶんらん)の門を塞(ふさ)ぐなり」と伊藤博文がいったという。
「世襲という人の行為が入り込む余地のない原則で皇位継承を定めようとしているところに人為的な親子関係が入り込んでくるとき、様々な人の思惑などが入り、家同士の争いなどを反映して継承順位や皇統の正当性に争いが生じる種になる」という意見もあった。
多くの犠牲の上に新時代を築いた先達は、いつの世も変わらない人間の本質を冷徹に見通していた。先人たちが歴史の教訓から導いた重みから、私たち現代の政治家は謙虚に学ぶべきだ。
もっともらしく見えるが、戦前の制度は、皇族の数が増えすぎることを心配して講じられた措置で、現在のように皇族の数が足らない状況には当てはまらない。また、別の理由で皇位継承の混乱を防ぐために、熟慮のうえで講じられたことを知る必要があると思い、次のようなコメントをしておいた。
皇位継承問題や世界の王室制度を長く研究している立場から申し上げる。
辻元議員の言うとおり、君主制の運用にあっては、あらかじめ定められた順位に沿って皇位も宮家も継承していくのが好ましいのは言うまでもない。ただ、明治憲法下の皇室典範で養子を禁じたのは、皇族が多くなりすぎることを避けるために、男子がいればそのまま継承させるが、いない場合は、その宮家は廃止して、総合的な判断で新たな宮家を創設することにしたわけである。宗系紊乱を避けるとは、そういう意味である。
宮家の次男坊以下は、原則として臣籍降下して華族となったが、明治天皇の皇女と結婚した4人の宮様が北白川、朝香、竹田、東久邇の各宮家を創設されたのは、やはり将来の皇位継承者不足に備えられたものだろう。
いま、悠仁さましか若い男性皇族がいないなかで、もし悠仁さまに男子が生まれなければ、どこに皇位継承者を求めるかについて、旧宮家から出すか、女系継承を認めてもいいのではないかという2つの議論がある。
この議論は容易に決着が付くものではないから、両方の可能性の芽を残すというのが賢いのではないだろうか。
その場合に、旧宮家のなかでどの系統を復活させるかについて、すべての男子を皇族にするのは多すぎるし、選別するのに誰しもが納得するルールもない。ただ、皇室の歴史において数家の世襲宮家を置くのが常態であり、対象者は、家柄、現天皇ご一家との近さ、資質、品行、年齢、本人の希望などを総合的に考慮して選ぶのが妥当かと思う。
その場合に、皇族が皇室会議などの仕組みを通じて反映される意見を踏まえて、とりあえずは、誰かが養子という方法で、常陸宮、三笠宮、高円宮の名跡と財産を引き継ぐというのは、コスト面も含めて、現実的妥当性の高い考え方かと思う。
また、最初に書いたように、旧宮家からの養子をとるということは、男系か女系かという議論に決着をつけようというものではなく、どちらも選択肢として残そうという趣旨であることを確認したいと思う。

立憲民主・辻元清美氏 立憲民主党HPより
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