「皇位継承についての国会の総意」の解説シリーズとして、「本人のみ皇族」なら愛子さま、佳子さまの結婚は容易に」と「皇位継承の歴史と旧宮家の復帰決定までの正しい経緯」を書いてきたが、今回は、「旧宮家男子の養子」について具体像を解説する。
なお、この内容は、「【皇室のご結婚】佳子さま愛子さまのご結婚事情 悠仁さまのお相手に必要な条件を八幡視点で大胆激白!」で深田萌絵さんを相手に分かりやすく解説した。おそらく、いちばん、この難しい話の舞台裏を理解できる動画だと思う。
皇位継承候補として旧宮家を論じる理由
皇統に属する次世代の男系男子が悠仁さま以外に皇族にいない現状に鑑み、現皇族外から男系男子を求めるとすれば、対象は1947年に皇籍を離脱した11宮家(いわゆる旧宮家)の人々が主たる対象になる。

悠仁親王成年式関係儀式行事 宮内庁インスタグラムより
ほかにも男系男子はいるのだが、歴史的経緯からしても、戦後における皇室とのお付き合いの密度からいっても、ほかの諸家とは別格であり、とりあえずは、皇位継承候補としては旧宮家の子孫に限って論じてよいだろう。

伏見宮系11宮家の複雑な序列
前回も説明したように、これらの諸家は、いずれも幕末の伏見宮邦家親王の子孫である。ただし、これらの家の序列をどうみるかは難しい。というのは、伏見宮家を継いだのは、正室だった関白鷹司政煕(東山天皇男系曾孫)の女子である景子を生母とする第14王子の貞愛親王で、庶兄だった晃親王が山階宮家を創設し、4男の朝彦親王が久邇宮、第13王子が北白川宮、第16王子が閑院宮、第17王子が東伏見宮を名乗った。
さらに、久邇宮家では第3王子が久邇宮家を継承し、第2王子が賀陽宮家、第4王子が梨本宮、第8王子が朝香宮、第9王子が東久邇宮となっており、北白川宮から竹田宮が分かれている。こういう事情なので、長幼の順で序列を決められない。
さらに、このうち北白川宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮には明治天皇の皇女が嫁しており、さらに、東久邇には昭和天皇の第1皇女が嫁しているので、旧宮家という枠だけでなく、ご親戚という扱いで現皇室との交流が深い。
皇位継承予備軍としての宮家の役割
前回も書いたように、光格→仁孝→孝明→明治と成人した親王は1人ずつという状況のなかでは、伏見宮家ないし有栖川宮の王を猶子(準養子)としたりして皇位継承の予備軍としていたし、明治体制では有栖川宮家が重んじられ、大正天皇が成人しなかったら皇位を継承する可能性が高かった。
しかし、大正天皇は、健康面に優れた妃として九条家から貞明皇后を迎えたかいがあって4人の健康な親王を得た。一方、有栖川宮家は断絶したので、残るは伏見宮家系だけになったが、彼らが皇位を継承するとすれば誰なのかといった議論はさしあたってする必要もなかった。
すでに書いたように、11宮家の序列は、長幼だけでは割り切れないし、もし、11宮家が皇族に留まり皇位継承の可能性が出た場合に、明治天皇や昭和天皇の血を引くかどうかが、考慮要素として浮上したかどうかは、仮定の話でしかない。
さらに、11宮家の次男以下が、新しい宮家を創設した可能性もある。とくに東久邇家ではその可能性も高かったのではないか。また、他家の次男以下の王たちについても、内親王と結婚することで新しい宮家を創設することを許された可能性も否定はできない。臣籍降下するかどうかの原則はあったが、例外を許さないものではなかったからだ。
東久邇家6人、賀陽家・竹田家各2人、久邇家1人が養子候補に
旧宮家の人々の皇族復帰については、旧宮家の復活という主張もあった。とくに保守層からは、11宮家の皇籍離脱をGHQの圧力と断定する見方もあり、それを元に戻すという哲学をとれば、とりあえず、11宮家のうち、すでに断絶している山階、閑院、梨本宮、東伏見の4家を除く7宮家の当主が皇族に戻るのが原則ということになる。
しかし、これらの宮家のうち、伏見、北白川、朝香の各宮家は若い男子がいないので、そのまま断絶する可能性が高いのに、復活させる合理性は乏しいともいえる。
一方、若い未婚男子は、東久邇の6人、賀陽と竹田の各2人、久邇の1人だが、ここから1人ずつとすると、そうでなくとも、将来を保証するための貴重な男系男子の半分以上を切り捨てることになるし、東久邇が昭和天皇のDNAを引き継ぎ、現皇室と血縁でも日常的な交流でも深いという皇位継承に好ましい材料をもっているだけにもったいないと思うのも当然だ。
また、本人の資質や皇室に連なる者としての自覚、スキャンダルのなさといった点も重要な要素だ。
養子制度という形を取ったのは、以上のような総合的判断が可能なようにするものであって、前例があるとかないとかいうレベルで論じるべきものではない。もともと資格がある人たちのなかから選抜する方便なのである。
15歳以上・未婚という条件の意味
さらに、本人の意向も無視できない。なにしろ、普通の養子と違って、権利義務において失うものも得るものも大きいのだから、きちんと詳細を説明して納得してもらうべきだ。また、皇族としての教育を特別のプログラムでする必要もある。また、結婚しているとその配偶者の扱いがややこしいので避けたい。
ということで、民法で養子になるにあたって、本人の同意が必要となる15歳以上とし、未婚で子供もいないことを条件にしたのである。それに当てはまるのは、東久邇系の4人と賀陽家の2人である。
ただし、現在、15歳未満であっても、また、これから生まれてくる子も、将来、新たに皇族の養子となる可能性を封じるものではない。
養子の人数と養親となる皇族の意向
また、人数については、公務の担い手確保と皇位継承予備軍として適切な数であるべきで、常識的には数人ではないか。
また、皇族側で養親となる人の意向がどのくらい尊重されるかだが、これは本人の同意はもちろん必要だが、政府と宮内庁で全体のバランスを考慮する必要もあるから、よく話し合って最後は皇室会議の同意もいるのではないか。
ただ、具体的に考えると、東久邇家については、常陸宮殿下にとって姉の曾孫であるから、殿下が高齢でもあり、一刻も早く、複数の養子をお迎えされることが自然ではないか。
一方、三笠宮家や高円宮家については、こちらは、どの宮家からという制約なく、また、新制度のもとで彬子さま、瑤子さま、承子さまが結婚をどう考えられるか、それぞれのご意向も尊重しつつ決めたらよいと思う。
いったん、常陸宮殿下がとられた養子に、三笠宮や高円宮の名跡を継がせてもおかしくはない。
男系男子は旧宮家だけではないが
皇室(天皇家)の男系男子というと、旧宮家のほかに、明治以降に宮家の次男以下で、皇籍を離れ侯爵や伯爵になった者がいる。
彼らを賜姓華族と呼んでいる。たとえば、伏見宮系で長子系統だったのは山階宮だったが、本家は断絶している。ただ、分家である山科侯爵、筑波侯爵、鹿嶋伯爵、葛城伯爵家があった。
このほか、有名どころでは、北白川宮家から分かれた小松伯爵家からは、伊勢神宮大宮司だった小松揮世久が出ている。また、東伏見宮家では久邇宮家から邦英を養子にすることを望んだが許されなかったが、邦英は東伏見伯爵となって祭祀は継承した。現在の青蓮院門跡である。
また、江戸時代に皇族が公家の養子になって、その子孫で男系男子を維持している者があって皇別摂家と呼ばれている。後陽成天皇の正妻格の女御は、関白近衛前久の女子で、後水尾天皇の母だが、弟を近衛家と一条家の養子にした。
また、東山天皇の皇子が閑院宮家を創始して、そこから光格天皇が出たが、その甥が鷹司家に養子に出た。
この3家の本家は途中で養子が入っているが、近衛家では近衛文麿の弟で指揮者だった近衛秀麿の系統は男系男子を維持しているし、一条家の子孫で醍醐家や南部家もそうだ。現皇室に、男系の血筋だけからいえば近いのは、上記の鷹司家から分かれた華園家(京都の興正寺)、梶野家(河内長野神社)、徳大寺家(公爵)の順になり、住友家も徳大寺家から養子を取っているのでこれに属す。
皇族女子の結婚相手としての可能性
とはいえ、これらの家は皇籍を離れて時間も経つし、皇室との日常的な交流はないので、皇位継承候補者としては弱いが、ただ、たとえば、愛子さまや佳子さまなど皇族女子の結婚相手ということであれば、旧宮家に限らずこちらにも注目してもいいのではないか。
もちろん、清和源氏でも仮に男系男子が途切れていない家があるかもしれないが、南北朝や戦国の混乱が収まったあとの後陽成天皇以降の男系男子子孫は、宮内庁で名簿だけでも管理して、明治天皇の女系を含めた子孫とともに、皇統譜の別表にしたらどうかと提案している。
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