日本の論文は注目されないのか?

日本は盆休み入りですでに帰郷の途についた方も多いでしょう。世界も夏休み真っただ中でここバンクーバーも明らかに観光客であふれかえっています。私の事務所は著名観光地、スタンレーパークの入り口にあるのでレンタサイクルにジョガー、散歩の人でごった返しています。世界を見れば政治もお休みでトランプ氏の「口撃」も若干抑制気味に見えます。ある意味、来週は真空地帯で緊張感が最も緩むときになりますが、想定外のことが起きないことを祈ります。

では今週のつぶやきをお送りします。

だから相場は難しい!為替も金利も読めないぞ

私が為替や株を予想する時は与件を書いたカードを頭の中でずらっと並べ、今、一番強いのはどれかという判断をするのですが、今朝、アメリカで発表された7月の雇用統計は新たなカードを提供し、実に難しい変数となりました。雇用者数はマイナス2.3万人、また過去分も5月が12.9万人から6.3万人に、6月が5.7万人から2万人に下方修正されました。これをグラフで見るとアメリカの雇用環境が明らかにおかしいことが見て取れます。

パウエル前議長が異変は24年5月頃からスタートしていると指摘したことがありますが、確かにその頃から雇用は下落傾向をたどります。ただ、一直線に下がるのではなく、急激に雇用が回復したと思ったらまたずるずる下がる、ということを繰り返しています。特に悪さが目立つのが25年全般で今年も3月に一旦回復したように見えたもののその後、下落となっています。25年1月から26年7月までの19か月で雇用がマイナスの月が7回も発生しており、24年後半から見れば雇用成長率は微増程度に留まります。

その理由は確かにトランプ氏の政策にもありますが、氏の大統領就任前からの傾向を鑑みれば、AIによる産業構造の変化の事由は大いにあると思います。また金利が高止まりしていることもありますが、アメリカの消費が衰えていないためにパウエル氏は利下げに躊躇したわけです。一方で若年労働者の失業問題を含め、企業が若年層の雇用抑制をしているということは国家全体が「今をしのぐ」という短期的目線の政策になっている感じも無きにしも非ずです。この雇用悪化がFRBのウォーシュ議長を余計悩ませることになるでしょう。市場はつい先日までの「年内利上げバイアス」から一気に反転し、金利低下でメリットがある金が買われるなど新たな変数の登場で私も日々の相場つきに「今度はそう来るか?」となかなか一筋縄に行かない相場の世界にうーんと思わず立ち止まることもしばしばです。

日本の論文は注目されないのか?

文科省が発表した「科学技術指標2026」で「注目される論文数」は日本は4年連続の13位。一方の研究開発投資は世界3位。この2つを関連付けるのは容易ではないのですが、投資はすれど投資の基礎となる論文が世界で陽の目を見ないということでしょうか?論文については以前は日本人による英語の論文数が少ないのでは、とみられていましたが、実は英語の論文数は年間7万本で世界第5位なのです。にもかかわらず、引用数が少ないというのは質の低下ないし、国際学究レベルでみて見劣りすると考えられます。

Sanga Park/iStock

ちなみに韓国の注目論文数は8位、中国が1位です。ただし中国は国内での引用回数が多いとされ、1位の中身は精査する必要があります。韓国は研究開発費でも世界第5位につけています。韓国はご承知の通りノーベル賞は文学賞と平和賞が一つずつあるだけで科学分野での受賞がなく、これが悲願であります。また韓国は昔から教育熱心国と言われながらも財閥系入社という狭い考えが蔓延し、花が咲かなかったのですが、近年は電池から半導体まで財閥の仕切りから産業の仕切りへの構造転換で大きく伸び始めた分野も多く、彼らの成長ぶりは否定できないものがあります。また中国は西側諸国からの様々な制約で自国内で開発しなくてはいけないプレッシャーが極めて高く、学術を含めた研究が伸びているともいえそうです。

日本が学究分野において伸びないのは研究費が劣ることはあるのでしょう。そういえば東大が赤字になったという報道もありましたが、「広く平等に教育を受ける権利」のような感じが「当たり前の教育観」を生み、切迫感を伴った研究推進になっていないのかもしれません。「博士号をとったけど…」民間企業に転職しにくく、大学などの研究室に残れば正直言って貧乏暮らしです。決して派手な生活は出来ません。もちろん華美なことが良いとは言いませんが、地道な研究が浮かばれなければ日本のノーベル賞受賞は今後、減少傾向を止められないだろうという推測にならざるを得ません。

忘れられていた道州制、維新吉村氏はそれが最終ゴールと

産経が維新の吉村代表とのインタビュー記事を掲載しているのですが、副首都構想の話から最終的には道州制に移行して複数の副首都をおくのが理想と述べています。今、道州制の話は政府レベルでは棚上げになっていますが、この話も忘れた頃にひょっこり飛び出してきます。江戸時代、日本には約300の藩がありました。それが明治に廃藩置県となり、紆余曲折を経て今の47都道府県になりました。300の藩=大名は1万石以上ある場合を指し、悪く言えば目が届く範囲で統治するのが大名、それ以外の地は将軍家直轄でありました。

47都道府県への移行は人口が増大した日本において大名という個人レベルからより組織的かつシステマティックになったと思いますが、ここにきて人口減が急速に進行しており、日本人だけの人口を見れば直近で年間91万人も減っているのです。島根県65万人、鳥取県54万人の人口を考えると地方の県が毎年無くなるぐらいの勢いなのであります。当然、税収の配分の問題、インフラの整備など地方財政への負担は大きくなり、政府部門や地方自治体における効率的運営という点では今の都道府県制では追い付かなくなる可能性は確かにあります。

一方、平成の大合併などで市町村の形が大きく変わったことに賛否両論がありますが、私は正解だと思うのです。地方行政は減少する域内居住者への対応からより大きな枠組みで運営する方が良いのは間違いありません。もちろん「おらが村をどうする気だ!」と怒る方もいるでしょうが、橋が無くなり、道路が穴だらけになり、財政が破綻するかも、ということでもよいのか、であります。いまや兵庫県が財政危機に陥っており、2030年頃に「早期健全化団体」指定という破綻一歩手前になりそうだとされます。ならば吉村氏のいう道州制の議論は私は避けて通れるものではない、と考えています。

後記
当地のあるNPOの理事会で会長に「辞めろコール」が出たと。理由の一つが在任期間が長ったからのようです。本人は「候補者がいればいつでも譲るのに」とぼやきます。別の団体でもトップに就く人が「天皇」のようになっているところがいくつかあります。私は早々にNPOの会長を退いて現在はただの理事職なのですが、最近はほとんど発言もせず、私しかできないような特殊なことに絞って支援しています。ポジションにしがみつくのは「老害」であり、組織の活性化を遅らせ、新陳代謝の悪化を招きます。私のことを昭和のにおいがすると時折コメントがあります。ただ昭和を全面否定する必要もなく、そこはむしろ引き出しの一つだと思っていますが、基本的には今風の考え方を取り込み、改善し続けないと組織がマンネリ化するのは確実。海外の日系社会はそこが難しいのが弱点かもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年8月8日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。

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