700万バズの『スズメバチ』はアブだった

お盆の帰省で福島県に入り、レンタカーで墓参りに向かおうとした矢先のことである。運転席の窓に、黒とオレンジの縞を持つ大きな虫が張りついていた。スズメバチだと思った。周囲は大群に囲まれているので、車から出られない。

その様子を撮影し、「たぶんスズメバチだと思うんですが、違いますかね?」と書いてXに投稿した。反応は予想を超えた。表示回数は瞬く間に伸び、数時間で400万を超えた。リポストと返信も積み上がっていく。本稿を書いている8月10日未明の時点で、表示回数は700万に達した。

同時に、投稿の下に見慣れない枠が現れた。コミュニティノートである。そこにはこう書かれていた。これはオオスズメバチではなく、アカウシアブという大型のアブである。スズメバチに似た黒とオレンジの縞模様を持ち、しばしば誤認される、と。出典のリンクも添えられていた。

興味深いのは、この時点でノートがまだ公開されていなかったことだ。表示は「Xに表示されません・評価が必要です」。つまり提案の段階であり、他の参加者の評価を経なければ一般の目には触れない。私はその段階で内容を読み、自分の誤りを知った。

世間より先に、間違えた本人に届いたのである。誤りの第一報が、責める言葉ではなく、事実と出典の形で届く。この順序は、人を素直にさせる。

ここに、この仕組みの巧妙さがある。

誤情報対策と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、削除や警告表示だろう。間違えた者を罰する発想である。運営の措置に限らない。SNSで誤りを指摘する声は、しばしば嘲笑や晒しの形をとる。

あれも罰の一種だ。だが罰は、間違えた側に「認めたら損をする」という動機を植えつける。訂正すれば恥をかき、黙っていれば見過ごされるかもしれない。ならば黙っていよう。こうして誤りは温存される。罰は人を頑なにする。

コミュニティノートの設計は、ここが違う。ノートは投稿を消さない。書き手を晒すわけでもない。事実と出典を並べて置くだけである。しかも公開前の段階で、書き手本人の目に入る。責められる前に、自分で気づく機会が与えられている。罰の代わりに、退路が用意されているのだ。

私は引用リポストで訂正を出した。スズメバチではなくアカウシアブだった、教えてくださった方に感謝します、と。すると、この訂正投稿もよく読まれた。元の投稿を見た人にとって、訂正は「答え合わせ」として機能したのだろう。

つまり、間違いを認めた側が損をしなかった。むしろ話題は二度目の波を得た。誤りを正すことが、書き手にとって利益になる。この損得の逆転を、プラットフォームが設計として備えている。その意味は決して小さくない。

もっとも、万能ではない。ノートは、立場の異なる評価者がそろって「役に立った」と認めて初めて公開される。評価が集まらなければ、あるいは割れれば、提案のまま終わる。拡散の速い投稿には、間に合わないこともある。現に私のノートは、表示が700万に達したいまも公開されていない。

今回うまく働いたのには、条件もそろっていた。虫の同定という、白黒のつけやすい主題だったこと。そして私の投稿が、そもそも「違いますかね」と尋ねる形だったことだ。訂正を受け入れる素地は、最初からあった。政治や歴史認識のように、事実そのものが争われる領域では、同じようにはいかないだろう。

それでも、この一件で私は自分の誤りを半日で知り、訂正することができた。SNSは誤情報の温床だと批判されて久しい。だが少なくとも、私の窓に張りついた虫については、集合知が正確に働いた。名前を知らなかったのは私のほうで、知っている人は確かにいたのである。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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