箕輪さん、ミッドエイジクライシス対策に「反サロ」というMMORPGはいかが?

東 徹

幻冬舎の有名編集者、箕輪厚介氏がミッドエイジクライシスについて言及した投稿やYouTubeが多くの人に話題になっている。これについては私もとても共感している。

成長ゲームの終わり

ミッドエイジクライシスについては私もかなり強く覚えがある。そして医師の多くは陥りやすいのではないか、と思う。

初めて感じたのは、精神保健指定医という資格と、精神科専門医を取った時である。単純に、次に目指すものがなくなった、と思った。

私の実感を正直に言えば、専門医を取る頃には、日常診療の大半はルーチンワークになっていた。もちろん、医療なので個別性はあるし不測の事態はある。そこをマネジメントしていくのが医師の技量ではある。が、それも大体パターンが決まっている。それを覚えた頃に与えられる称号が、専門医なのだ。つまり、専門医になってしまえば、さほど苦も無く一通りのことは出来るし、楽をしようと思えばできるようになっているということだ。

そしてこれは、医師の特殊事情ではない。熟達の逆説、と言ってもいい。上手くなればなるほど、仕事は楽になる。楽になるほど、成長している感覚は減る。会社を立ち上げた頃は毎日が初体験だった経営者も、10年もやれば大抵のことは経験済みになるだろう。

人生の前半は、資格を取る、会社を大きくする、金を稼ぐ、地位を上げる——つまり「自分」というキャラクターのレベル上げのゲームである。それでいい。だが40代、50代になると、レベルはかなり上がってしまい、伸びしろにも、残り時間にも限界が見えてくる。能力が衰えるから危機なのではない。達成してしまったから危機なのだ。

問題は、成長ゲームが終わった後に何をするかである。

ミッドエイジクライシスについては私もかなり強く覚えがある。そして医師の多くは陥りやすいのではないか、と思う。

初めて感じたのは、精神保健指定医という資格と、精神科専門医を取った時である。単純に、次に目指すものがなくなった、と思った。

私の実感を正直に言えば、専門医を取る頃には、日常診療の大半はルーチンワークになっていた。もちろん、医療なので個別性はあるし不測の事態はある。そこをマネジメントしていくのが医師の技量ではある。が、それも大体パターンが決まっている。逆に言えば、それを覚えた頃に与えられる称号が、専門医なのだ。つまり、専門医になってしまえば、さほど苦も無く一通りのことは出来るし、楽をしようと思えばできるようになっているということだ。

そしてこれは、医師の特殊事情ではない。熟達の逆説、と言ってもいい。上手くなればなるほど、仕事は楽になる。楽になるほど、成長している感覚は減る。会社を立ち上げた頃は毎日が初体験だった経営者も、10年もやれば大抵のことは経験済みになるだろう。

人生の前半は、資格を取る、会社を大きくする、金を稼ぐ、地位を上げる——つまり「自分」というキャラクターのレベル上げのゲームである。それでいい。だが40代、50代になると、レベルはかなり上がってしまい、伸びしろにも、残り時間にも限界が見えてくる。能力が衰えるから危機なのではない。達成してしまったから危機なのだ。

問題は、成長ゲームが終わった後に何をするかである。

自分が死んでも続くゲーム

そこで私はどうしたか。それが社会保障改革運動への参加である、ということなのだ。

これは私が医師であることと当然関連は深い。医療とは社会保障の根幹である。

なぜ医師は過労なのか。
なぜ救急車のたらい回しは起こるのか。
なぜ病院はいまだにFAXを使っているのか。
なぜコロナ禍の初年度、受診が激減したのに死亡者数はむしろ減ったのか。

日々の仕事を少し俯瞰して見るだけで、社会保障制度の問題点は山積みであるし、闇が深すぎて底が見えないほどだ。

専門医も取得して、日々の診療がルーチンワーク化して余裕が出来た私は、SNSを通じていろんな縁が重なり、社会保障改革運動に参加するようになったのである。そして、周りを見渡すと、意外と、いや結果的には当然の帰結として、医師や医療関係者が多く運動に自ら参加していた。

と書くと、医療関係者向けの話なのかと思われるかもしれないが、そうではないのである。

そうではないから、勧めている。

ここで精神科医として一つ断っておくが、社会保障改革運動にミッドエイジクライシスの治療効果がある、という医学的エビデンスがあるわけではない。ここからは、私自身の経験に基づく提案である。

ただし、発達心理学者エリクソンは、中年期の発達課題として「世代性」を挙げた。自分自身の成功だけでなく、次世代を育て、後世に何かを残そうとする方向への関心である。社会保障改革という活動は、少なくともこの考え方とは非常に相性がいい。

第一に、いうまでもないが、社会保障は誰にでも関係の深い問題だ。医療関係者だけではない。今の日本は未曾有の少子高齢化社会であり、その中でも最も先鋭化した高齢化先進国である。それは不可避的に現役世代に重くのしかかってきている。昨年、日本維新の会が社会保障改革を看板政策として連立与党入りした。衆院選での「社会保険料高すぎやろ〜」という吉村氏の動画はかなり拡散された。つまり、もはや社会保障改革は日本全体の中心課題である、ということだ。

第二に、現役世代だけでなく、それ以上に次世代にツケを回しかねないのが、少子高齢化時代の社会保障である。自分だけの問題ではなく、子供や孫にとって痛切な問題として厳然と立ちはだかっている。だからこそ、自分だけの人生、仕事であれば、ある程度目処がついた中年にとって、見過ごせない問題であるということだ。

第三に、簡単には解決しない難問である、ということだ。いかに経営者として成功したとはいえ、これは片手間で解決はできない。本腰を据えても解決できるかどうかは全く不透明。少子高齢化は終わる気配がなく、社会保障費の問題はどの国でも問題になっている。難問ということはそれだけやり甲斐も頑張りシロもある、ということ。人生の残り時間全てを賭けても終わるかはわからない。飽きる心配は皆無である。

第四に、これが最も重要かもしれないが、単独では戦えない。社会保障は医学つまり科学の問題であり、法律や道徳の問題でもあると同時に、経済の問題でもあり、政治の問題でもある。文系、理系問わず全方位的に考えなければいけない。他業種や多世代、あるいは海外の人たちなど、多くの人の協力がなければ太刀打ちできない問題である、ということだ。

つまり社会保障改革運動は、人とのつながりと承認(ソーシャリズム)、リアルな人との関わりと共同体の実感(ローカリズム)を同時に供給する。お金は元々持っているのであれば、これで三つが揃うのである。

一体何をしたらよいのか

とはいうものの、一体何をしたらよいのか、という問題もある。関わり方は大きく三つある。

最もわかりやすいのが政治参加である。与党内で社会保障改革を掲げる日本維新の会から、野党、新興政党まで、この問題に取り組む政党の幅は広い。どの党を応援するのも自由であり、選択肢は幅広い。

次に、草の根の言論活動である。私が主にやっているのが、反サロ活動である。反サロとは反サロン老人医療福祉の略であり、貴族のサロンのように浪費される高齢者の過剰な医療福祉を削減する運動である。

反サロとは一種のネットミームであり、XやYouTube、TikTokなどのソーシャルメディアでの実名、匿名問わぬ言論活動や、デモ活動、署名活動など草の根レベルの活動である。少し派生すると、全ての増税に反対し歳出削減を求める減税派も、結果的に最大の支出である社会保障費削減に直結する運動である。

三つ目は、研究・思想・政策提言である。学術的な色を好むのであれば、経済学や政治哲学、倫理学などを学び、自分なりの政策論を構築する道もある。自由主義思想を学ぶのもその一つである。アルゼンチンのミレイ大統領が進める自由主義的改革は、財政収支やインフレ抑制で一定の成果を上げている。思想的な学習をしつつ、情報発信をしていくのも良い。

そして、一口に社会保障改革と言っても、内容は必ずしも同じではない。たとえば消費税一つ取っても、財政規律を守るためにも高齢者からも徴収できる消費税は残すべきという意見と、まずは減税が大事という意見が、同じ反サロの中でも対立し、論争になったりする。あるいは、年金を廃止して最低限の生活保障は生活保護に統一すべきという意見もあれば、医療費自己負担のない生活保護を廃止して最低保障年金に統一せよ、という意見もある。

だが、大きな方向性として社会保障費を減らそうという意見であれば、瑣末な問題である。むしろ議論は活発にすること自体が有意義なので、論争をするのもまた良しである。自分なりの答えを考える余地が無限にある、ということだ。そして、自分が最も意見の近い人たちと意見共有や、実際に交流を持つことも有効である。

このように、社会保障改革運動自体に多様性があり、共同体としての価値と、そもそも活動自体に意義がある。自分に合ったスタイルで関わることができるのである。

冒険はこれからだ

さあ、暇と金を持て余した経営者の皆さん。キャバクラばかりに行っていないで、本当にやり甲斐と意義のある活動を、多くの人とバーチャルにリアルに交流を持ちながら、さながら大規模多人数同時参加型オンラインRPG(MMORPG)のように強く長く深く楽しんではどうだろうか。

巨大なマップがあり、職業の違うプレイヤーが必要で、攻略法をめぐって味方同士でも揉め、アップデートでルールまで変わり、そして一人では絶対にクリアできない。普通のゲームと一つだけ違うのは、プレイした結果、現実の世界がほんの少し良くなるかもしれない、ということだ。

念のため言っておくが、敵は高齢者ではない。ラスボスは、巨大化し、自己保存を続ける制度そのものである。それは闇の奥深くに潜んでいる。入口の動機は、自分の退屈を埋めたい、でも構わない。だが続けているうちに、自分よりも長く続く問題と、自分以外の人々の人生に関わることになる。目的地は、次世代に何を残すか、である。

冒険はこれからだ。

さらなる勇者の参加を待っている。一緒に戦おう。

箕輪さんも、いかがですか。


編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2025年8月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。

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