
終戦記念日の8月15日、『産経』のコラム「産経抄」に目を疑うような事実が記されていた。その見出しは「閣僚でただ一人、靖国神社に参拝した高市首相」。有料記事なので全文は引用しないが、焦点の一節はこうだ。
中江要介元中国大使は、昭和60年に中国の胡耀邦総書記と靖国問題を協議した際のエピソードを証言している。胡氏が「もう靖国神社の問題は両方とも言わないことにしよう」と述べたのに対し、中江氏は対日批判を促した。「もし今黙っちゃったら、日本では『ああ、もうあれでよかったんだ』と思ってしまう」。
こうした事実も、また中江氏のことも知らなかった筆者は、Wikiで中江要介を当たってみた。すると脚注に「13年8月17日付『産経』の“【靖国考】(下)首相が堂々参れる日いつ? いまだ残る『熱狂と偏見』”」と「第147回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号 平成12年4月12日」が挙げられている。
早速、『産経』デジタル版のアーカイブを検索し、【靖国考】を読む。こちらは無料記事で、「中江要介元中国大使は12年4月に国会で、昭和60年12月に中国の胡耀邦総書記(当時)と靖国問題を協議した際のエピソードを証言している」とある。阿比留瑠比の署名記事なので、冒頭の「産経抄」も阿比留氏の筆であろう。
参議院サイトには、「第147回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号 平成12年4月12日 ○国際問題に関する調査 (「二十一世紀における世界と日本」のうち、東アジアの安全保障について)」の23,000字の長い会議録があり、参考人として国分良成慶大法学部教授と共に中江氏の名が確かにある。
中江発言
阿比留氏が示した胡耀邦への中江発言は、8400字余りの口述の一節だった。中江氏は冒頭、「中国の問題というのは、非常に広範でまた奥行きの深いものですのでなかなか簡単には話ができない」と断りつつ、「余り言われていないことが一つと、今までだれも言っていないことが一つ、この二点に絞ってお話しする」とした。
中江氏は先ず自身の立場を、「中国を敵視したいんだと言わんばかりの姿勢の人」「対抗していくんだという意気込みの人」「協調していくんだという人」「友好的な関係が望ましいんだという」人がいると思うが、自分は「この四つの中でいえば少なくとも協調、でき得れば友好的な関係が望ましいという姿勢」であると述べた。
次に「日中関係でいつも言われることは二つ・・、一つは台湾問題であり、一つは歴史認識の問題である」とし、「その歴史認識というのは日中の二国間の問題」だが「なぜ台湾問題が台湾問題たり得るのか」の理由を、「アメリカの戦後の極東あるいは世界軍事戦略の中の台湾というものの位置づけ(だ)」とした。
台湾は本稿の主題でないので簡単に触れれば、彼は台湾問題を「日中間の問題というよりも、第一義的には中国人同士の問題」、「もしそうでないとすれば中国とアメリカとの問題」で「日本としてはそれよりもずっと遠いところに位置している問題だ」という。筆者の認識とは異なるが、そのことは別途改めて論じたい。
そして中江氏は、「中国はなぜ対日賠償を放棄したか、これが余り言われていないことの一つなんです」と核心の一つ目に論を進める。
彼の先ずの論は、日中共同声明に「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」とあり、これは「日本側に日中友好に対する姿勢に陰りがあったりあるいは間違いがあったりすると、これは賠償を放棄したことについて黙ってはおれないぞという中国の姿勢が出てくることを暗に示している」というふうに要約できる。
次に彼は、「実はそれにもう一つ問題がある」として毛沢東と周恩来の考えを推察・代弁し、あの戦争で日本が中国に与えた大きな損害は「日本人民が中国人民に害を及ぼしたのではなくて、一握りの日本の軍国主義者が・・日本人民を唆し」た結果、「中国人民が生命、財産の被害を受けたのだ、だから我々が受けた損害について責任を持つべき者はその一握りの軍国主義侵略指導者なんだという論法」を置いたとする。
そういう論法で「日本に一文も賠償を請求しない」ことを「中国の指導者」が「五億か六億か当時おりました中国の人民に納得させるかというのは・・大変な仕事であった」から、東京裁判のA級戦犯である「一握り軍国主義者」に対して、「中国としては戦争の責任をあくまでも追及するというのでなければ、先ほどの周恩来の一般日本国民を解放した論理とは両立しなくなる」と中江氏はいうのである。
つまり中江氏は、A級戦犯が合祀された靖国神社に「内閣として、あるいは総理として閣僚として」参拝することは、「中国としては、そこに戦争責任を集約した戦争犯罪人の名誉を回復するとか、あるいはそれは間違っていたんだ、あるいは間違っていなかったんだと、そういうことを意味するような参拝であるならばこれは認められないというのが中国側の態度であった」というわけである。
そして話は「今までだれも言っていないこと」に進む。85年8月15日、中曽根総理が靖国神社を公式参拝し、韓国と中国から猛烈な反発が出た。当時北京在勤中の中江氏は「この問題について当時の胡耀邦総書記といろいろ交渉した」「その内容を、これは今までどこにも明らかにされていなくて、きょう初めて言うんですが、文言そのとおりはまだ公表することを認められていない文書ですので、その要旨だけを御参考までに申し上げておきたいと思います」とし、中江氏は要旨こう述べた。
その年の十二月八日、胡耀邦総書記が私に昼の食事を一緒にしたいと言ってきた。「大地の子」を書かれた山崎豊子先生をお招きするから「大使も来い」ということでお昼御飯を一緒した。その日の日記を見ると、重要極秘電報を八本夜遅くまでかかって書いたとあり、うち一本がこの靖国問題だったという。以下は会議録をそのまま引用する。太字は筆者
胡耀邦はそのときに、もう靖国神社の問題は両方とも言わないことにしようと、こう言い出したんですね。まだ戦争が終わって四十年しかたっていないじゃないかと。その当時はそうなんです。一九八五年です。義和団事件で八カ国が中国に干渉したことに対する中国人の怒りというものは、そのときから八十五年たった最近やっと中国人の関心が薄らいできているぐらいなんだから、靖国の問題というのは、黙って八十五年でも百年でも両方で騒がずに静かにして自然消滅を待つのが一番いいじゃないか、こういうことを言い出して靖国の問題が話題になったんです。
このうち「まだ戦争が終わって四十年しかたっていないじゃないかと」との一節が胡耀邦のものだとすると、後の「黙って八十五年でも百年でも両方で騒がずに静かにして自然消滅を待つのが一番いいじゃないか」と辻褄が合わない。が、それは措いて胡氏は「もう靖国神社の問題は両方とも言わないことにしよう」といった。
そこで私は、もし今黙っちゃったら、日本ではああ、もうあれでよかったんだと思ってしまう人が出るかもしれないよと、こういうことを言いましたら、(*胡耀邦が)それは困る、それは困るんだと。もう一度靖国参拝が出たとすると我々の立場はなくなるということを言って、その後に、靖国には戦犯が二千人もいるじゃないかと、こう言ったんですね。
これに山崎豊子氏が「(二千人は」A級ばかりじゃなくてB級、C級みんな入れての話でしょう」というと、胡氏が「そうだと。とにかく戦犯というのはAもBもCもみんな変わりはないんだ」といい、それに中江氏はこう返した。
A級は東京裁判で平和に対する罪とか人道に対する罪とか、ちょっと後から見ると納得のできない罪名をつくって処刑されたにしろ、一応A級戦犯というのは戦争犯罪人ということになっている、だけれどもB級、C級という中には、A級の人たちの命令に従って、あの体制のもとでは命令に従って軍事行動を起こさざるを得なかった、そういうやむを得ない人たちも含まれているはずだ。
B級、C級まで含めてはちょっと日本国民としては承服できない人がいるだろうと。こういう話をしましたら、胡耀邦が、なるほどそれはわかった、それなら文革の後で中国がやったように、実は本人には責任はないけれども、いろいろのいきさつ、経緯、命令系統その他でやむを得ずそういうことになった人たちの名誉を回復するという措置をとったらどうだと。だから、B級、C級のこれぞと思う人は名誉を回復してあげればいい、本当に戦争に責任のある人だけに限ったらどうだと言った。
ですから、もう時間を節約してしまいますと、A級戦犯だけに限ればあとは相当問題は変わってくるだろうと。だから、A級戦犯だけ靖国神社の合祀から外して別のところにお祭りして遺族なり関係者がお参りする、こういうふうにすることはそれはちっとも構わないと。いわゆる一般の靖国神社の中に入って、それに日本政府を代表する人たちが靖国を参拝するということが問題だと、こういうことを言ったんですね。
中江発言への異論
先ず中江氏が「余り言われていないことの一つ」とする「中国はなぜ対日賠償を放棄したか」についてだが、彼が代弁した毛沢東・周恩来の論法は、ホロコーストをナチに押しつけドイツ国民に責任なしとするような、典型的な二分論だ。中国人は共感するかも知れぬが、日本人のメンタリティは「先の大戦の敗戦責任は政府や軍だけでなく国民全体があらためて反省し、お互いに罪を悔い改めるべきだ」という「一億総懺悔」だった。
その何よりの証左は、52年5月に国の通達によって戦犯拘禁中の死亡者が「公務死」となり、また刑死や獄死した者もA級戦犯を含めて公務死に準ずる「法務死」として扱われ、遺族への年金支給などの援護対象となった事実、そして翌53年8月には衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が共産党を含む満場一致で可決された事実だ。こうした戦犯の赦免や名誉回復には、延べ4000万人の署名が集まった。
つまり、彼らは「戦犯」ではなく、職務の遂行中や公務に起因して死亡した公務員、即ち「殉職」した公務員だ。それを述べずして、天皇が認証した信任状を携行する日本の代表たる特命全権大使ともあろう者が、「もし今黙っちゃったら、日本ではああ、もうあれでよかったんだと思ってしまう人が出るかもしれないよ」などと、中国共産党総書記に勝手な私見を述べることが、国家公務員の服務規程に抵触しないとは到底思われない。
それとも中江氏が「文言そのとおりはまだ公表することを認められていない文書」というのなら、この調査会に出席していた与野党の参議院議員らは、「その文言は日本政府の公式見解だったのか」と中江氏に問わねばならなかったし、あるいはその旨の「質問主意書」を平成12年4月12日から間を置かずに提出すべきであった。
ここで胡耀邦に触れれば、81年6月に66歳で共産党中央主席、翌82年9月には共産党中央総書記に栄進した改革派のホープ、民主化と党風刷新を唱える一方、鄧小平、王震、薄一波ら長老が起こしかけていた、かつての文革に似た「精神汚染一掃運動」を「党中央は汚染されていない」と抑えに回り、知識人と青年から絶大な支持を得ていた人物だ(『胡耀邦―ある中国指導者の生と死―』楊中美)。
それが鄧小平の逆鱗に触れて、87年1月に総書記辞任に追い込まれ、89年4月8日の中央政治局常務委員会では「党風刷新」と叫ぶあまり心臓発作で昏倒、同月15日に心筋梗塞で死去した。霊柩車が天安門から長安街を抜ける沿道はその死を悼む百万の群衆で埋まった。こうした胡への追慕が6月4日の天安門事件に繋がったから、胡氏の中江氏への提案はきっと潰されただろう。
とはいえ胡氏の言に翻意を促し、15年後にその様子を参議院で語る中江氏も中江氏なら、それを聞いて疑問にも思わず、当否を質しもしない議員も議員である。85年12月18日から今日まで「靖国問題」は少しも変わっていない。その原因の一つが40年前のその日に起こったことは明白である。
最後に「中国はなぜ対日賠償を放棄したか」について中江氏が推察・代弁した毛・周の二分論に関連し、中江氏が「その前段として国民党政府の中華民国が賠償を放棄していたことももちろんあるわけですが・・」とさらりと触れていることにつき、筆者の私見を述べて結びとする。
蒋介石が「以徳報怨(怨みに報いるに徳を以てす)」と述べて、日本に対し賠償を求めなかったことは広く知られている。中江氏も口述で、第一次大戦後のドイツに要求したような「天文学的な数字を並べて日本国民に賠償を払えと言っても、結局、・・賠償の負担にあえいでいくのも日本国民だ」といっている。
が、筆者は蒋の「以徳報怨」には2つの理由があると考えている。1つは日本が大陸と台湾に残した膨大な「残置資産」である。外務省の「調査と情報第228号戦後補償問題-総論」によれば、台湾425.4億円、華北554.4億円、華中・華南367億円の合計1347億円に上る。46年度の日本の歳出予算は172億円だった。
2つ目は日本を防共の盾にしたい米国への「蒋の阿り」。途方もない残置資産を手にした上、更に賠償金を求めて、米国から睨まれるのを避けたのだ。一方、日中国交正常化時の毛と周には、蒋と比べられるのを避けたい面子があり、また半年前の72年9月、共に上海コミュニケを発したニクソンの顔も浮かんだのだろう。







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