おそらく、現在の日本の安全保障にとって最重要と思われるテーマを題名に掲げた一書である。台湾海峡をめぐる国会での高市首相の発言によって、日本と中国との関係は悪化し、中国によるレアアースの対日輸出規制など、その余波は現在も続いている。台湾有事は、今や対中強硬派の旗印のようなトピックであり、最近の赤根ICC所長への制裁をめぐっても、「台湾有事を考えれば、米国との関係が最優先事項だ」との意見がよく見られる。
本年7月に公刊された『台湾有事』は、この問題について、豊富な情報、整理された歴史叙述、そして示唆に富む指摘を提供してくれる良書である。台湾海峡の問題に関心を持つ者にとっては、必読書と言える。著者の五十嵐隆幸氏は、長年にわたり、安全保障論の観点から台湾海峡をめぐる問題を研究してきた第一人者である。
ただ、五十嵐氏は「おわりに」で次のように書いており、「台湾有事」問題をめぐる社会状況の複雑さに対する思いを吐露している。
本書が、「台湾有事」という概念をいったん立ち止まって見つめ直すきっかけとなり、「台湾問題」を近代以降の歴史的連続性のなかで位置づけ、東アジアの平和と安定に資する議論を深める一助となるならば、著者として、これに勝る喜びはない。
それでもあえて「台湾有事」をタイトルにしたのは、前述のように前のめりになっている方々にも一読してもらいたいと考えたからである。著者は序章で述べた通り、「台湾有事」という言葉に長らく違和感を抱き、その使用を避けてきた。中公新書編集部・・・から出版のお声がけをいただいた際にも、「台湾有事」をタイトルにすることだけは避けたいとお願いし、別のタイトルで了承を得ていた。・・・著者自身が「台湾有事」という言葉と、それが日本社会で何を包含しているのかについて、心の中で葛藤し、迷い続けていたからである。・・・そうした迷いに一つの区切りがついたのは、『大陸反攻と台湾』の中国語訳版が世に送り出された2025年夏であった。日本社会に定着してしまった「台湾有事」という言葉に正面から向き合うことを決意し、本書のタイトルに用いるとともに、「台湾有事」をテーマとする講演を行うことも解禁した。(324頁)
五十嵐氏がこのような「躊躇」を持っていたのは、「台湾有事は日本の言論空間の中でビジネス化して」(ii頁)いると感じているからだ。本書が描き出すように、台湾海峡には、以前から一貫して緊張が存在してきた。その意味では、現在も緊張状態にある。しかし、「台湾有事」が近い将来に必然的に発生する出来事であるかのように言うことはできない。五十嵐氏によれば、特にあたかも2027年にXデーが訪れるかのような言説には根拠がなく、中国側の動きにそれを予感させるものはない。
当事者である中国でも台湾でも、そして米国でもなく、日本が「台湾有事論」を過熱させて緊張を拡大し、東アジアの不安定化を招くことが危惧される。日本が無自覚のうちに危機を作り出す主体となってはいけない。・・・本書は、「台湾有事」をめぐる昨今の過剰な言説に流されることなく、歴史と現実の接点を丁寧に検証していく。(iii頁)
こうした問題意識から、五十嵐氏は、第1章の現状確認を「歴史の影」という切り口で整理した後、第2章「冷戦後の台湾」、第3章「中国の台湾侵攻は可能か?」という二つの章で、歴史的背景を重厚に描写していく。
私自身は、台湾海峡に関連する問題の専門家ではない。しかし、日本で暮らしてきた時間も長いため、台湾海峡をめぐる国際ニュースは一通り知っている。ただ、すべてを整理して説明せよと言われれば、簡単にはできない。その私からすると、本書を読んでいると、「ああ、あんな事件があった。なるほど、あれにはそういう背景があったのか。そうか、それで次にこういう展開になったわけだな」といった気付きを多々得ることができる。自分の理解がすっきりと整理されたように感じられるのは、大変に爽快である。

2025年5月1日、頼清徳・総統と会談した高市氏 高市首相Xより
五十嵐氏が優れているのは、そうした大きな事件を、細かな事情の解説とあわせて精緻な筆致で描き、流れるような歴史の展開をわかりやすく再現してみせる点だ。
第3章「中国の台湾侵攻は可能か?」と第4章「台湾はいかに守るのか」では、多くの日本人が関心を持つ、軍事面から見た台湾有事について整理している。第5章「軍事侵攻か?平和統一か?」は、台湾内部の政治問題に踏み込んだ分析である。第6章「『台湾有事』は回避できるか?」と終章「台湾海峡の平和と安定」では、現状維持を続けていくための政策上の留意事項が説明されている。

習近平国家主席 中国共産党新聞網より
全体を通じて筆致は抑制的であり、台湾海峡が第二次世界大戦終結後、ずっと緊張を抱えてきたにもかかわらず、有事を避けることができている理由が分析されている。伝統的なアメリカの「戦略的曖昧さ」の政策は、「(大陸中国の)武力侵攻と台湾独立の双方を同時に抑止する仕組みである」。「対中関係を調整しつつ、台湾を一方的に切り捨てない」ようにするバランス感覚によって、「戦略的曖昧さ」が維持されている(72頁)。
冷戦初期には、むしろ台湾による大陸への侵攻を抑止することが課題だった。冷戦終焉後は、中国の国力増大を受けて、もっぱら中国による台湾侵攻の抑止が大きな課題となっている。しかし、そうした時代の変遷を経ながらも、双方を抑制することが「戦略的曖昧さ」の本質である。「武力侵攻と台湾独立の双方を同時に抑止する仕組みである」点は、今も昔も何ら変わりがない。
重厚な内容だが、この基本的洞察が明晰であるがゆえに、全体の統一感が非常に高い。豊富な情報と明快なメッセージの両方を、一冊で同時に受け取ることができるのは、本書の大きな魅力だ。
「台湾有事」のみならず、台湾海峡をめぐる問題を正確に把握したい読者にとって、新書というコンパクトな形でその願望を満たせるのは、非常にありがたい。いずれにしても、台湾問題は日本にとって最重要事項の一つだ。さらに言えば、台湾海峡は世界的な注目の対象でもある。日本外交、あるいは国際安全保障一般に関心のある者にとって、本書の価値は計り知れない。
【目次】
序 章 「台湾有事」とは何か
第1章 歴史の影――海峡を隔てた内戦の継続と冷戦
第2章 冷戦後の台湾――統一圧力下の危機管理と現状維持
第3章 中 国の台湾侵攻は可能か?――決断を縛る三つのハードル
第4章 台湾はいかに守るか?――台湾防衛の実像
第5章 軍 事侵攻か? 平和統一か?――台湾統一への道筋
第6章 「台湾有事」は回避できるか?――抑止と危機管理のメカニズム
終 章 台湾海峡の平和と安定
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