黒坂岳央です。
ローソンが9月に順次発売する「一点突破すぎ!」シリーズがSNSで騒がれている。

「一点突破すぎ!」シリーズ ローソンHPより
SNSには「こういうのでいいんだよ」と歓迎する声が並ぶ一方、「日本人はここまで貧しくなったのか」「政府の失策の影響だ」という反応が相次いだ。後者は的外れ、というか外し方が示唆的に感じる。
牛丼はご飯と肉と玉ねぎしか入っていないし、惣菜パンはパンと具が一品だけ。うな重に至ってはご飯と鰻しかないが誰もそれを貧乏飯とは呼ばない。なぜコンビニ弁当が同じことをやった途端、「日本は貧しくなった」という話になる。
正直、このズレた発想こそが貧しいと感じる。持論を述べたい。
コンビニの弁当だけ叩かれる違和感
今回の一点突破弁当だけに留まらず、コンビニの弁当は何かと叩かれやすい。
スーパーの惣菜と比べれば、分量でもカロリー単価でも勝負にならない。ディスカウント系の店に行けば、200円前後で普通サイズの弁当が買える。一点突破弁当は確かに安いが、、そちらと比較した瞬間に値段は確実に負ける。実際、今回の批判にも「300円でも高い」「スーパーのほうが得だ」という指摘が混じっている。
だが、それはコンビニを理解していないだろう。コンビニがなぜ割高なのかというと、利便性というサービス料だ。駅近すぐの場所にあり、深夜でも開いている。様々な決済方法に対応しているなどその利便性にも金を払っている。
米の質やおかずのグラム数だけで比較する消費者は、そもそもスーパーへ行けばいい。コンビニを使う人間は、割高さを承知で時間と利便性を買っている。そんなコンビニが「一点突破」をやることにこそ大きな意味がある。
削ったのは食材ではなく工程
ローソンの一点突破主義弁当はどういうコンセプトの弁当なのか?公式の発表によると、盛り付けが一つで済むため工場でのコストが劇的に下がり、容器もスーパーの惣菜などで使われているフードパックを利用している分、中身にお金をかけたと説明している。
具材については、年間を通じて販売している定番惣菜で使うコーンやソーセージなどを活用。もともと大量に仕入れている原料を使うことで、スケールメリットも生かせる。つまり、削ったのは食材ではなく、盛り付け工程と容器と調達の非効率だ。
そして認識を変えるのはローソンではなく、消費者側かもしれない。我々は長いあいだ、弁当の食味だけではなく「見た目」にお金を払ってきた。仕切りが増えれば盛り付ける手間が増えるし、彩りのために品目を増やせば、調達も製造工程も複雑になる。当然、そのコストは弁当の価格に乗る。
一点突破弁当がやったことは、「これでいいんだよ」という消費者に答えるためのコストカットだ。別にすべての商品を捨てて一点突破弁当だけにするわけではない。新たな選択肢の提供という意味で、ローソンは何も失ってはいないのだ。
同社は同時に、えび、いか、あさりを使った「贅沢すぎ!海鮮づくしペスカトーレ」を税込797円で投入している。高価格帯の酒類やスイーツが好調で、「ご褒美消費」の傾向も見られるという。和栗のモンブランは786円だ。
ローソンは297円の商品と800円近い商品を同時に売っている。この現象を「日本人が一様に貧しくなった」は矛盾する。
貧しいのは弁当ではなくマインド
誤解のないように言っておくと、実質購買力が落ちているのは事実だ。
ローソン自身、総務省の家計調査で実質消費支出が8カ月連続で前年を下回っていることを引き、節約対応として一点突破弁当を位置づけている。だがここで言う節約は、コンビニというチャネルの内側での相対値にすぎない。
200円台のディスカウント弁当と戦う話ではなく、コンビニを使う層が支出にメリハリをつけたいという話だ。
こうした背景を無視して一部の人は、ソーセージが敷き詰められただけの弁当の画像から、国家の衰退まで読み取る。何も書かれてない文脈は彼らの脳内で生成されているもので、ローソンからは一切メッセージとして発信されていなかった。
だがそれなら、ご飯と鰻しかないうな重やシャリと魚しかない寿司はなぜ批判しないのか。
◇
コンビニ弁当にだけ「何種類ものおかずが彩りよく並んでいなければならない」という様式美が要求されてきたのは、その様式にかかる工程の手間を、消費者が長年当然のこととして弁当の価格に上乗せしてきたからだ。
味に還元されない手間に金を払い続けろと言っているに等しい。それを「貧しくなった」と読むのは、弁当が貧しいというより、マインドが貧しいのではないだろうか。
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