- 若者の第一の資産は、自らの時間と能力を価値へ変える労働である。
- 日本は若者の労働価値を高める道より、金融市場へ参加させる道を先に整えた。
- 投資元本を生み出すのは労働所得であり、生活や能力を削る投資は若者の可能性を狭める。
- 金融資産は労働の代替物ではなく、労働が生み出した成果を将来へ運ぶものである。
- 若者を株主にする前に、若者を労働者として豊かにする必要がある。

給料日の夜、若い会社員が給与口座から証券口座へ1万円を移し、世界の株式へ分散投資する投資信託を買う。20年、30年という時間を味方につければ、複利が資産を育てる。その行動は堅実であり、新NISAはその選択を後押ししている。
その1万円を生み出したのは、労働である。
若者は自らの時間と能力を仕事へ注ぎ、賃金を得る。そこから家賃、食費、税、社会保険料、奨学金の返済を支払い、残った所得を投資へ回す。
若者が株主になるためには、まず労働者として報われなければならない。
若者にとって労働は、現在の生活を支え、仕事を通じて能力と経験を育て、他者や社会との関係を形成し、その後の生涯所得と職業選択を形づくる。若い時期の労働には、今日の生活と将来の自由を結ぶ価値がある。
日本は、この価値を経済政策と企業経営の中心に置いてこなかった。1990年代後半以降、雇用の維持と人件費の抑制が優先され、生産性の伸びが賃金へ十分に結びつかない状態が続いた。企業は正社員採用を絞り、非正規雇用を広げ、賃金カーブを平坦化してきた。仕事に就く機会は守られても、働くことによって現在の生活を築き、能力を育て、その成長を次の仕事と賃金へつなげる道は細くなった。
その状態に、「貯蓄から投資へ」という政策が重なった。
政府は「資産所得倍増プラン」を掲げ、新NISAの恒久化、非課税枠の拡大、金融教育の充実を進めた。NISAの口座数、買付額、家計の投資額、資産運用収入を増やす目標も具体的に設定した。金融市場への入口は大きく広がった。
日本は、若者が労働によって生活を築き、能力を育て、その成果を賃金へ結びつける道より、限られた所得を金融市場で運用する道を先に整えた。その結果、金融資産所得は、労働が生み出した余裕を将来へ運ぶものから、労働所得の不足を補うものへ近づいている。賃金をどう高めるかという分配問題も、どの金融商品を買うかという個人の運用問題へ移されつつある。
なぜ日本は、若者の労働の価値を高めるより先に、若者を株主にしようとしたのか。
若い労働が生み出す複利
若者の多くは、社会へ出る時点で土地、住宅、多額の預金や有価証券を持っていない。若者が最初に持つものは、自らの時間、身体、知識、能力、そして、これから何十年にもわたって働く力である。
若者にとって第一の資産は、自らの時間と能力を社会的な価値へ変える労働である。若者は働くことで現在の生活を支える所得を得るとともに、仕事を通じて知識、技能、経験、信頼を蓄積する。
若い時期に得た経験が次の仕事を呼び、その仕事が新しい能力を育てる。能力の成長が、より大きな責任と所得を伴う仕事へつながる。若い時期の労働には、今日の仕事が明日の能力を育て、その能力が次の仕事と所得を生むという複利的な力がある。
若い時間には期限がある。若い時期に教育訓練を受け、試行錯誤を重ね、自らの適性を発見する経験は、その後の職業人生を左右する。能力形成の機会が乏しいまま数年を過ごせば、その期間に育つはずだった技能と経験も失われる。
月2万円を投資信託へ積み立てることは、労働から生まれた余裕を将来へ運ぶ行為である。同じ2万円を書籍、資格取得、転職準備、健康維持へ使うことは、労働の可能性を広げる行為である。
労働は生活と成長を生み出す。金融資産は、その成果の一部を将来へ運ぶ。
若者に長期投資を勧める社会は、金融資産の複利と同じ熱意で、若い労働が生み出す複利にも目を向ける必要がある。若者にとって最も希少な資源は時間である。その時間を労働へ投じたとき、現在の生活を支える所得が得られるか。仕事を通じて能力を高められるか。その成長が将来の賃金と職業選択へつながるか。若い労働の価値は、この連鎖によって決まる。
資産所得は何を補うのか
「勤労所得に金融資産所得を加える」という構想には、2つの順序がある。
労働によって現在の生活を築き、仕事を通じて能力と経験を育て、その成果として生まれた所得の余裕を投資へ回す順序では、金融資産が労働の成果の一部を将来へ運び、人生の選択肢を広げる。
労働所得が現在の生活と将来への備えを支えきれず、金融資産所得が不足を補う順序では、投資が労働所得の弱さを補修する。
日本が選ぶべきだったのは、前者の順序である。若い時期の労働の価値を高め、現在の生活と能力形成を支え、その成果の一部を金融資産として蓄積する。その順序によって、投資は労働が生み出した自由を将来へ広げる。
政府の「資産所得倍増プラン」では、投資未経験者が投資しない最大の理由として「余裕資金がないから」という回答が56.7%を占めている。金融知識の不足や投資への不安より、投資元本そのものの不足が大きな障壁となっている。
資産形成の入口は証券口座にある。その出発点は労働所得にある。そして、そのさらに前には、若者の生活、能力、経験を育てる労働がある。
最近では、NISAへの積立を優先するあまり、現在の生活に使える所得や手元資金が乏しくなる状態を、俗に「NISA貧乏」と呼ばれることがある。将来の資産を増やすために現在の生活を苦しくさせる逆転を表す言葉である。
若い時期の所得には、健康を保ち、人と関わり、知識や技能を身につける役割がある。その支出まで抑えて金融資産を積み上げれば、証券口座の残高が増える一方、現在の生活と人的資本は細っていく。
「若いうちに始めるほど有利」というメッセージは、長期投資の原理として正しい。同時に、そのメッセージが強まるほど、現在の生活や能力形成より金融資産の形成を急ぐ圧力も強まる。
若者にとって深刻なのは、労働から十分な生活と成長が生まれないまま、金融資産の形成を急ぐよう求められることである。
労働時間より、1時間の価値を高めよ
長時間労働から生命と健康を守ることは、労働を尊重する政策である。労働時間の適正化は、家族との時間、学習、休息を確保する。
日本の課題は、労働時間の量を抑える改革と、労働時間の価値を高める改革が分かれたことにある。
時間当たり賃金が上がり、勤務時間の中で能力を高められるなら、労働時間の短縮は生活を豊かにする。賃金と教育訓練の充実が伴えば、若者は現在の生活、能力形成、将来への備えを短い時間で支えられる。
日本は若者が働く時間を管理する政策を進めた。その一方で、1時間が生み出す賃金、能力、経験を高める改革は、同じ強さで進めなかった。
とりわけ若者にとって、勤務時間の質は将来を左右する。若者は職場で仕事を覚え、考え、試し、他者から教わりながら能力を形成する。企業が若者へ与える仕事と教育機会が、5年後、10年後の所得と職業選択を決める。
社会は若者の長い運用期間を理由に金融投資を勧めている。その同じ熱意を、若者の長い職業人生を支える教育訓練と労働経験にも向けるべきである。
労働者であり、株主でもあるという二重性
新NISAの普及は、労働者に株主という立場を加える。
職場では労働者として賃金の上昇、雇用の安定、人材育成を望む。株主としては、企業の成長、配当、株価の上昇を期待する。
2つの利益は両立できる。働く人へ適正な賃金を払い、能力形成を支える企業は、生産性を高め、持続的な企業価値を形成する。労働者による株式所有は、企業成長の成果を労働所得と資産所得の2つの経路から受け取る可能性を開く。
一方、短期的には人件費の抑制や人員削減が利益を押し上げ、市場から評価される場合がある。このとき、労働者として賃金や雇用条件への圧力を受け、株主として利益を受け取るという緊張が生じる。
毎月1万円を積み立てる若者も株主である。しかし、日々の生活を支える所得の中心は賃金である。少額の金融資産は、労働所得を補い、将来の選択肢を広げる役割を担う。
ここで生じる最大の問題は、個々の若者が株主利益を重視することより、賃金を高めるという社会的な分配問題が、株式を買って資産所得を得るという個人の運用問題へ移されることである。
若者の所得をどう高めるかという課題が、どの商品へ投資するかという課題へ置き換わる。労働への分配を増やす代わりに、各自が資本への分配へ参加する。その転換によって、労働の価値を高める責任は、政策と企業から個人の証券口座へ移っていく。
資産格差は自由の格差である
金融資産がもたらす最大の違いは、運用益の大きさだけではない。
金融資産は、働き方を選ぶ自由を生み出す。
十分な資産を持つ人は、現在の職場を離れ、新しい仕事を探す時間を確保できる。収入が一時的に減る学び直しにも踏み出せる。自分に合わない仕事を断り、健康を優先して休むこともできる。
生活費の大部分を賃金に依存する人には、仕事を離れる大きな負担が生じる。賃金が途切れる期間をつくりにくく、職業移動や学び直しも手元の資金によって制約される。
資産格差は、配当や値上がり益の差であると同時に、仕事を選び、断り、離れ、移る自由の差である。金融資産の差は、労働市場における交渉力の差へつながる。
だからこそ、親から資産を受け継がない若者も、自らの労働によって生活を築き、その成果から資産を形成できることが重要になる。
労働は、現在の所得を得る営みに加え、能力と経験を育て、次の仕事を選ぶ力を生み出す。その成果の一部が金融資産として蓄積されれば、若者は職業移動や学び直しのための時間を確保できる。そこで得た経験が能力を高め、次の労働所得へつながる。
若者が自らの労働によって生活を築き、その成果から資産を形成できるとき、労働は将来の働き方を選ぶ自由まで生み出す。
若者を労働者として豊かにせよ
新NISAは、若者が企業の成長成果を受け取り、将来の選択肢を広げる有力な手段である。
本稿が問うのは、資産形成へ至る順序である。
日本は、若者の労働によって生活が築かれ、仕事を通じて能力と経験が育ち、その成長が次の賃金と職業選択へつながる道を太くするより、若者を金融市場へ導く政策を急いだ。労働から生まれた余裕を金融資産が将来へ運ぶ順序より、限られた所得から金融資産を先取りして形成する順序が前面に出た。
いま必要なのは、その順序を正すことである。
1時間の労働が生み出す所得を高める。若い時期の経験と能力を賃金上昇へつなげる。企業が人材育成の時間と費用を負担し、若者へ責任ある仕事と成長機会を与える。若者が働くことによって現在の生活を築き、自らの能力を発揮し、人や社会と関わりながら成長できる環境をつくる。
若者への適正な賃金と教育訓練は、若者の現在の生活を支え、将来の生産力をつくる。働く人を育てる企業が成長し、その成果が賃金と株主利益の双方へ還元される。それが、労働者であり株主でもある社会の望ましい姿である。
日本は、若者を労働者として豊かにする前に、株主として将来へ備えることを求めた。
そして、若者を株主にする政策の成否は、若者を労働者として豊かにできるかによって決まる。
労働は、まず現在の生活をつくる。仕事を通じて能力と経験を育て、人と社会を結ぶ。その成果が所得と将来の選択肢を広げる。金融資産は、その成果の一部を将来へ運び、働き方を選ぶ自由をさらに広げる。企業の成長成果は、賃金と資産所得の2つの経路を通じて若者へ戻る。
この循環の起点は、労働である。
「貯蓄から投資へ」という道を確かなものにするために、日本が最初に太くすべき道は、「労働から生活へ、生活から成長へ、成長から資産へ、資産から自由へ」という道である。
若者の労働に正当な価値を与えること。それは、若者が現在の生活を築き、自らの能力を育て、社会へ参加し、親の資産に左右されずに将来の働き方を選べる社会をつくることである。
編集部より:この記事は財政学者・島澤諭氏のnote「市民経済論で読む日本」2026年10月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は島澤氏のnote「市民経済論で読む日本」をご覧ください







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