もっとクリエイティブで、みんなが参加できる政治を

大西 宏

各党の政策を聞いていて、なにか帯に短し襷に長しというのでしょうか、それにリアリティが不足しているような印象を持ってしまいます。とくに経済政策です。日本の経済活力を再生することは、もちろん健全な社会を維持するうえでも欠かせないことですが、それだけにとどまらず、国際社会での日本への期待感、また日本の存在感を広げていくことは、ひいては日本の安全保障とも関わってくる問題です。


経済活力の再生に関して、なにか遠い世界で議論されていると感じるのは、どうもリアルなビジネスの世界をどのように進化させていくのかのビジョンの不足だと感じてなりません。明日にむかってどう日本が変わっていくべきか、なにを梃子にして変えていくのか姿が描けておらず、未消化なままだと感じるのです。ひとつの例として少子高齢化問題で感じていることを書いてみます。

日本が抱えている大きな課題は少子高齢化問題や労働人口の減少です。これは、先進国に共通する問題であり、あるいは中国にしても、韓国にしても抱えています。このまま少子高齢化が進んでいけば、いまは年金や医療の問題だけが議論されていますが、それだけにとどまらず、日本が過剰なまでにつくってきた社会インフラの維持も困難になってくるものと思います。

現役世代は消費の担い手です。とくに、子どもを持った家庭での子育て期には消費も旺盛です。高齢世帯とは、日々の買い物金額でも、その他でも必要とするものが比較になりません。子育て期の現役世代が減少すると国内需要も減少していきます。

住宅でもそうです。身近なところで感じるのは、労働人口が増えないために、かつては郊外に広がった住宅地で高齢化が進み、住宅がぽつりぽつりと歯抜け状態のように空き家になってきています。当然、地価も住宅価格も下がってきます。人口減は、よほどの大都市の商業用地域か、大都市のなかの住宅以外は、不動産価格を押し下げる要因になってきています。それが資産デフレの原因ともなってきています。

需要が伸びないばかりか、ひとりひとりが負担しなければならない社会インフラ維持コストも増えてきます。

たとえば日本は道路王国です。どこに出かけても、これほど立派な舗装道路が必要なのかと思ってしまうほど整備されています。国土面積に占める舗装道路の比率は先進国でも1km平方あたりで1km~2km程度ですが、日本は3.13kmと突出しています。
道路舗装率の国際比較等について(PDF資料)

確かに便利でしょうが、国の予算だけでも、平成19年度でみると、道路に約3,4兆円が使われ、その内の1.36兆円が維持費に使われています。さらに広域農道と名前のついた立派な道路や地方自治体の道路予算も加わります。
たとえ、新設道路をつくるのをやめたとしても、廃道にでもしなければ、維持費は減りません。かつての高度成長期に広げた道路網の改修も迫っており、むしろ増えていくのです。中央自動車道・笹子トンネル事故がそのことを象徴しています。それは労働人口が減少した将来世代のひとりひとりにツケとして残ります。さらにさまざまな公共サービスのコスト負担も重くなって、やがてさまざまな公共サービスの維持すら困難になってくるのでしょう。

自民党の掲げる国土強靭化計画も強靭化の名前による不必要な公共工事の増加を生み出す危険性をもっていると感じます。復興予算もそうでした。将来世代もその利益を享受するから建設国債を発行しても問題が無いというのは悪質な詭弁です。公共事業という名目で、実質的には仕事をつくる社会福祉予算がばら撒かれ、それがまた将来世代のツケとして回ってくることは目に見えています。いつまでも過去の人口増を前提とした政策はやるべきでないのです。

少子高齢化問題をクリアするためには、まずは少子化に歯止めをかけるか、移民政策を進めるのかになってきますが、後者は社会の秩序の維持を考えると、合意を取ることが難しい問題で、いずれにしても少子化対策は日本の重要課題の柱になってくるはずです。しかしこの問題は政府だけでは解決しません。

その少子化対策を考えた場合、今の議論では、保育園などの施設整備や、義務教育の無料化や子ども手当てなどでの子育て支援がほとんどです。それを国が担おうというのは荒っぽい議論で、地域によって事情は異なるので、本来は地方が自ら考えるべき問題です。国が子育て予算をつけるというよりは、子育て予算は地方に移し、主導権を地方に移すことを決めなければなりません。

さらにもっと重要なのは、いかに夫婦で子育てができる働き方を変えていくのかのソフトウェアや文化の問題です。つまり子育て期でも、働きながら残業をせず、夫婦が揃って帰宅して子育てができる環境をつくることも必要になってきます。
そうするためには、政府や地方自治体だけでなく、企業や働く人たちのマインドも変えて行くことが求められてきます。リードするのは政府や地方自治体だとしても、企業や国民が参加したムーブメントをつくりだしていくという発想が必要です。

子育て支援も、いかに予算をつけるか、設備をつくるかだけでなく、それを国民の大きな目標として描き、国民が参加して実現していく課題だということです。産業の高度化もしかりです。産業に新陳代謝が起こってくる政策誘導だけでなく、その必要性についての国民の理解、より高い付加価値を生み出すビジネスの変革への企業マインドづくり、あるいはそれを評価する風土づくりがなければ、笛吹けど踊らずになってしまいます。

もっと国民が考え、国民が参加できる環境づくり、制度づくりを各党が協力してみてはどうかとつくづく感じます。いつまでも公共工事や手当で票をとるというよりも、もっと将来に責任をもって、クリエイティブな政策つくりをやってもらいたいものです。その第一歩としては、インターネットによる開かれた選挙、ふだんから政治家と国民が双方向で議論しあえる努力を政治家の人たちにも努力をしていただきたいのです。