3Dの劇場映画アバターは記録的興行収入をあげた。3Dのテレビも販売され、3Dパソコンまで登場した。3D元年ともいえる。しかし、よく考えてみれば3D映像は昔からあった。出ては消え出ては消えた歴史が3Dにはある。今回のブームも同じ歴史を繰り返すのではないか。そんな気がする。
戦中生まれの筆者だが、子どものころ劇場で立体映画(現在の3D)を観た記憶がある。やはりメガネをかけて鑑賞した。どんな内容だったかは忘れた。ストーリーより立体映像を見せることが主眼だったのだろう。
今から10数年前から30年前にかけて、米国のディズニーランドなどのテーマパークでも3D映画を何回か観た。それなりの人気を博していた。一般劇場で興行目的の3D映画はあのアバターまではなかった。つまり記憶の中では、3Dは出ては消える幽霊みたいな映像技術だといってもいい。
3Dで映像作品を創るにはカネがかかりすぎたり、3Dにふさわしいシナリオがないなどの理由があったかもしれない。当時に比べ、コンピューターグラフィックスが進歩し、簡単安価に3D映像が創れるようになったのだろうか。
最近ではメガネをかけなくても3Dで見えるテレビも開発されている。韓国や中国の追い上げで薄型テレビでは稼げなくなったわが国家電メーカーは、3Dテレビに社運をかけるといっているらしいが、ホントに3D時代は来るのだろうか。半信半疑になる理由はいくつかある。過去の歴史がそのひとつだが、人間は果たして3Dを必要としているのかという基本的疑問がある。かつて3Dを観た後、いつも平衡感覚がおかしくなった自分を発見した。船酔いのような感覚に似ている。3Dテレビでも同じ感覚を味わった。日常的に接するメディアではないな、と観るたびに思う。心理学あるいは脳生理学的理由は何かあるのだろうが、寡聞にして知らない。
3Dならではの映像は何か。3D視聴に人間は何時間まで耐えられるのか。子どもの脳の発達に支障はないのか。かつて過度な輝度を放つテレビアニメが子どもの発達に障害があると問題になった。3Dが普及する前に検討しておく必要がある。3D業界でも基準が作られているらしい。この原稿はテレビのゴルフ中継を観戦しながら書いている。個人的にはグリーンのアンジュレーショが分かる3Dテレビがあればいいと思うのだが、それ以外に3Dで観たいものが思いつかない。





