生命保険免許の実質審査始まる
資本集めと人材採用が進む間も、金融庁との認可折衝は続いていた。第七回のエントリーでは「よろしくご指導ください」とお辞儀をして終わっていたので、今回はその続きから。
時計の針は再び、2007年10月に。保険課長との面談の翌週の10月12日、実務担当者となる係長クラスの方々との初めてのアポがセットされた。ここから、実質的な折衝プロセスが開始することとなる。このミーティングには以下の三名の係長が出席した:
・監督局保険課 生命保険第一係長
・ 同 商品室 生命保険商品第一係長
・ 同 保険サービス監視第一係長
我々の方から、課長に渡した資料を使って一通り説明すると、「ざっと話を伺った印象で、感想めいたことをお話します」とのことで、全体を総括する係長から、以下のコメントをもらった。
「保険分野でも『顧客利便』が平成16年12月の答申でもキーワードとなっていますが、今回のビジネスモデルが顧客保護に資するものであることを期待しています。今後のヒアリングのポイントについては、監督指針と検査マニュアルに詳細に書かれていますので、よく読み込んでおいてください」
「今回のビジネスモデルの大前提は、業務を効率化して低コストで営むということでしたが、保険金支払など、コンプライアンスが重要になる部分については、きちんとコストをかけて作って欲しいと思います。また、ネット生保という業態の特性上、インターネットの不安定性については特に配慮して欲しいところです。システムが止まってしまうと顧客へのインパクトが大きいので、システム管理体制はきっちり作り、何度もテストをするように心がけて下さい」
「出口さんもよくご存じだと思いますが、審査の大まかな方針が変わって、付加保険料についてはこの4月より認可の対象外となり、今後は保険会社の創意工夫に任せて、自己責任でリスクを取ってもらうことになりました。当局としては事前の審査よりも、事後のモニタリングを通じて監督することになったことも留意して頂きたいと思います」
5人の担当官
次に、「保険業の免許申請書」という書類を受領し、今後の認可取得のための大まかな流れについて説明を受けた。
まずは、事前の検討が行われる。ここでは大きく分けて(1)事業方法書、(2)約款、(3)算出方法書という基礎書類と、事業計画の審査が行われる。
(保険業法上に記載された認可基準については、第七回 免許審査基準を参照)
事業計画の中では、募集に関する審査もなされる。ここで内容について確認ができた段階で、正式に予備審査という形で書類を提出する。数か月の審査期間を経て、予備審査が終了すると、本審査に入ることとなる。
基礎書類については商品室の係長が担当し、事業計画については自分が担当する。募集や管理体制に関する事項は事業計画の中に入れ込んでほしい。窓口が二つで説明が重複するかもしれないが、それは理解して欲しい、とのことだった。
結局、認可折衝は、金融庁内部でも5つのラインに分かれて行われることとなった。
1) 全体の取りまとめと、運営体制や収支計画の審査を行う総括係長
2) 事業経営に関する方針を記した事業方法書と、第一分野の商品約款を担当する商品審査室
3) これとは別に、第三分野商品(医療保険)の審査を担当する係長
4) 算出方法書の審査を行うアクチュアリーである数理官
5) そして、開業後のモニタリングを行う部署から、募集コンプライアンス担当の係長
商品室の係長からは、まずは商品概要書を、他社の保険料との比較表を付けて提出して欲しいとの依頼があった。そして、特に気を付けて欲しいポイントとして、生命保険の心臓部分である医的選択(新契約の審査)について、審査基準を事業方法書にできるだけオープンするべき、という指摘があった。
今後の進め方としては商品概要書と基礎書類の骨格を詰めて、それが済んでから事業計画書の審査に入るということだった。
そして、認可折衝プロセスを通じて、僕たちにもっとも特に強い印象を残したのが、この商品審査を担当する情熱的な行政官だった。爽やかさと強い正義感、優しさと厳しさを併せ持つ彼は、「踊る大捜査線」の「青島刑事」を彷彿させた。
金融庁の青島刑事
翌月の11月10日、商品室とのアポが入り、実際に基礎書類の審査がはじまった。
この頃、金融庁は庁舎を建て替え中であって、会議室は常に満室だった。虎ノ門交差点付近の別のビル内に会議室があり、待ち合わせはこのビルの1階、エレベーター前だった。いつも20分くらい前については、一階にある喫茶店でアイスコーヒーを飲んで時間が来るのを待つ、というのが習慣だった。
認可申請が始まるに連れ、頼もしい味方が加わっていた。アクチュアリー(保険数理人)であり、チューリッヒ生命の立ち上げ時から8年間社長を務めた野上憲一である。大阪から東京まで、金融庁と面談があるたびに上京し、保険数理の専門的な資料を用意してくれた。
青島刑事は、少し日焼けした顔と昭和っぽい髪型、グレーのシャツ、青い大きなバインダーを脇に抱えながら、ややがに股で笑顔を浮かべながら歩いてきた。熱血体育教師のようでもある。
書類について、出口が自ら一字一句を書いた商品概要書と定期保険の約款、野上が書いた数理の概要書と、僕が作った保険料比較表を持参した。一つ一つ説明しながら、係長から質問がなされていった。
・ 受取人を配偶者などに限定する正当な理由はあるのか?多様な家族形態があるのでは?保険会社のモラルリスク管理は保険金の上限を定めるなどの方法で行うべきで、消費者にとって選択の自由を保険会社の都合で狭めるべきではないのでは?
・ 自殺免責を3年としている根拠は?他社も3年でやっているのは分かるが、商法上はあくまで無期限なのだから、きちんと説明できるようにして欲しい。
・ 解約返戻金などがないことはきちんと説明してほしい。また、この確認書類は、現状では保険会社が「交付」しなければいけないことになっており、ダウンロードではできないことになっている。今後の規制緩和に期待するほかない。
・ 手続きの一連のフローはどうなっているのか?別紙にまとめて欲しい。
・ ここで使われている予定利率の水準は高すぎないか?解約率は低すぎないか?それぞれ、妥当性を説明するために別紙を準備してほしい。付加保険料のうち、集金費はなぜ高い?大手や新設会社の実績は?
このような形で、我々が考えている商品や事業のあり方について、細部にわたって一つ一つ、質問がなされ、追加の説明文書を求められていく。同様に、定期保険の約款についても一条一条、丁寧に読み込んでいき、一通り時間が来るまでやり取りをすると、次回への宿題を確認した上で、別れるようになった。次回への宿題として、各種の説明文書、および事務フローの大まかな流れ、そして事業方法書と約款の修正版を送ることとした。
商品を担当する青島刑事は非常に快活でエネルギッシュだった。普段はフランクに意見を言い、優しい笑顔を見せつつも、肝心の顧客保護にかかわるところになると、急に厳しい表情を見せる。事業方法書や約款については、細部の細部にまで渡って知識を持っており、まさに職人であると同時に、強い倫理観と正義感を持って、個別の商品認可を通じて顧客保護を図ろうという熱意が伺えた。金融庁が大蔵省から分離されてからは、このような高度な専門性を持ったスペシャリストが育成されているようだった。
「昔の大蔵省には、こんなに保険に詳しい人はいなかったよ」
かつてのMOF(大蔵省)をよく知る出口も、青島氏の専門知識とプロフェッショナリズムには舌を巻いていた。
> Haruaki Deguchi (2006/11/17 18:02):
>
>青島さま
>
>先日頂戴した次回打合せ用の「宿題」の一部ですが、定期保険の概要書と約款(案)を、とりあえず、送付させていただきます(電子メールの表現など、いくつかの点につきましては、週末にない知恵を絞るつもりです)。なにとぞ、よろしくご指導下さいますよう、お願い申し上げます。
>
>なお、医療保険、事務フロー、事業方法書等につきましては、案が出来次第、お送りさせていただく予定にしております。どうか、良い週末をお過ごしください。
>
>ネットライフ企画 出口拝
>
手書きの事務フロー
翌週の11月17日。このような折衝が始まるなか、知人の紹介で、金融庁を最近辞めたという人と意見交換をする機会に恵まれた。そのときに聞いた内容は、出口の読みが外れていないことを、後押ししてくれた。
「認可の審査にあたっては、一番には経営者の経験や対応を見ている。時間をかけて、信頼関係を作って行くことが重要。無理のない陣容で、5年から10年で収支が安定することが見込めるか。販売予測については、明らかに背伸びをしていなければ問題がないはずだ。
付加保険料の弾力化は、金融改革プログラムの保険分野のなかでは目玉だったから、この規制緩和を利用したビジネスモデルについては、期待されているはずだ。もちろん保険料のダンピングは困るから、事後的にはきめ細かくフォローされることになる。」
また、金融庁としては個々の商品についてどこまで情報公開を進めていくかが評価のポイントとなる、という点が述べられた。この席で、出口ははじめて、保険料の計算方法まで開示していくつもりだと語った。これはのちのネット生保の飛躍のきっかけとなる「付加保険料の開示」についての抱負を語ったものである。
最後にこの人が口にしたのは、あくまで個人的な見解だが、既存の保険業界には不信感を抱いている、不払いや不正募集なと、問題は根深い。そういった点からは、高い志を持った企業の新規参入は、きっと歓迎されるのではないか。そのような言葉に勇気をもらい、その後の折衝に臨むこととなった。
2週間後に予定されていた次回のミーティングに向けて、出口が夏から作成していた事務フローを完成させた。
驚いたのは、申込手続きから新契約の査定、毎月の収納と未収の場合の手続き、住所変更や減額などの異動管理、そして保険金支払という生命保険の一連の事務手続きについて、かなり細部にわたって、やや不器用なワード文書で書かれ、かつ手書きでフローチャートを作ったのだった。手書きのフローチャートを見ながら、パワーポイントで作ってあげた。
この人、財務畑のはずなのに、なんでこんな細かい事務フローまで書けるんだろう。不思議に思って、聞いてみた。
「出口さん、保険の事務、やってたことあるんですか?」
「いや、ないけど、きちんと考えれば、これくらい分かるよ」
それ以来、自分も保険会社の経営の一端を担う以上、オペレーションの隅々まで知るように勉強しよう、と決めた。
次回の面談時は11月27日。このミーティングでは、医療保険の担当者も同席した上で、医療保険の商品概要書について説明をした。それから、定期の約款と商品概要書、そして事業方法書について、一通りの概要をおさらいし、先方から気になる点の指摘を受けた。
事務フローについても、一つ一つ丁寧に説明をしていった。印象的だったのは、青島刑事が「重要事項のページでは、大きくコールセンターの電話番号を記載して欲しい」と言ったことだった。
曰く、自分自身がネットで買い物をしていると、電話をかけたいのに電話番号がみつからないことがあって、非常に不便である、とのこと。自身が一人の消費者として感じている不満を、新しい会社のサービスには反映させてほしいという判断は、極めてまっとうだし、顧客の立場に立って正しいことを提案していけば、必ず審査は通るはずだ、という自信にもなった。
そのほか、申込手続き、収納通知や未収の督促、控除証明書、保険金の支払いなどについて議論をしているうちに、あっという間に二時間が過ぎ去って行った。次のステップとしては、数理官と連絡を取って、算出方法書に関する打ち合わせをしてほしい、とのことだった。そして、事業方法書に関する指摘事項が修正され次第、再度説明に来てほしい、とのことだった。
年内、最後の打ちあわせとなったのが12月11日。この日は商品担当と数理担当、別々に二つの打ち合わせが予定されていた。しかし、数理官との初めての面談で、我々は出鼻をくじかれる。
数理官の洗礼
はじめての顔合わせとなる数理の打ち合わせは、それまで比較的友好ムードで進んでいた認可申請プロセスにおいて、再びハードルが高いことを思い起こさせるものだった。先方は、民間の保険会社から金融庁に移籍していた、ベテランのアクチュアリーだった。
「初めての打ち合わせなのに、会社概要も商品概要書も持ってきていないのですか」
「え・・・青島さんにお渡ししておりますが」
「私はもらってません。数理の概要書だけじゃぁ、審査の相談もできないじゃないですか。」
まずは先制パンチをくらった。打合せの終了時間を確認したあと、出口は席を外して、資料を取りに行くために、会社まで走って戻った。溜池交差点の付近にオフィスがあったこの頃は、文字通り、走って戻れたのである。その間、野上が一人で応戦することとなった。
金融庁の執務室内にある狭い机は4人がけであり、僕は二人と向かい合って、先方の隣に座ることになった。途中から、まるで自分が金融庁の担当者になった気分で、やり取りを丁寧にメモしながら聞いていた。
「低廉な保険料、って書いてありますけど、もっと安い保険料の会社もありますよね。正確でないことは書かないでください」
「そもそも、『定期死亡保険』という表現、聞いたことないですよ。普通は『定期保険』ですよね。どこかで使われてるんですか、この表現。出口さんの本にしか書いてないじゃないですか」
「割増率の数字の根拠を教えてください。解約率はなぜこの水準で保守的と言えるのですか。また、年限を問わずに一律の数字を使うことの妥当性はどこにあるのですか」
「負債のデュレーションはきちんと計算されているのですか。ここの一文がまだ練れていません」
「年齢や性別を誤った場合、保険料はどのように処理するのですか」
「入院給付金は1095日の限度いっぱいまで払ったら、契約はどうなるのですか。払込免除はどうなっているのですか・・・」
鋭い突っ込みを何度も受けながら、いくつもの宿題を預かった。自分たちだけで作った書類はまだ粗削りのところが多かった。いくつか、重大なミスが見つかった。最後に一言、チクリと言われた。
「資料は、出口さんがすべて目を通されているのですか?これでは、お粗末すぎますよ。次回からは、もっと綿密にチェックをしてきてください」
打ち合わせは終わった。部屋から出て廊下を歩きながら、出口と野上は顔を合わせてニコッと笑った。エレベーターホールについたところで、僕は二人に聞いた。
「今日はずいぶんと厳しかったですね」
これまでの担当者の方々が比較的丁寧に接してくれたため、これだけ厳しい対応には驚いたのだった。
「いやぁ、昔に比べたら、全然優しい方だよなぁ、野上君」
出口がほほ笑みながら言うと、野上はにやりと相槌を打った。
「昔は、もっと厳しい人、いくらでもいましたもんね」
思いがけず厳しい認可折衝の日々が続く中、平行して我々は資金集めと人材採用に、日夜取り組んでいた。
(つづく)
(過去のエントリー)
第一回 プロローグ
第二回 投資委員会
第三回 童顔の投資家
第四回 共鳴
第五回 看板娘と会社設立
第六回 金融庁と認可折衝開始
第七回 免許審査基準
第八回 100 億円の資金調達
第九回 同志
第十回 応援団