合理的個人という物語 - 『人間らしさとはなにか?』

池田 信夫

★★★★★(評者)池田信夫

人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線
著者:マイケル・S. ガザニガ
販売元:インターシフト
発売日:2010-02
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著者は脳神経科学の第一人者であり、特に分離脳の研究者として知られる。彼の行なった次の有名な実験は、脳科学の入門書によく出てくる:

分離脳の患者の視野をまん中で仕切って右と左が別々に見えるようにし、右目(左脳)にはニワトリの足先を見せ、左目(右脳)には雪景色を見せた。そのあと患者に見えたものと関係のある絵を選ぶようにいうと、右手(左脳)でニワトリ、左手(右脳)でシャベルを選んだ。そこで患者に「なぜニワトリを見てシャベルを選んだのか?」と質問すると、「ああ単純なことです。ニワトリ小屋を掃除するにはシャベルが必要だから」と答えた。(本書p.415)


この患者の言語中枢は左脳にあるので、右脳(左目)が雪景色を見たことを知らない。右脳(左手)は雪景色を見てシャベルを選んだのだが、それを知らない左脳は、ニワトリとシャベルを結びつける物語を咄嗟につくったのだ。しかも患者には物語をつくったという意識がなく、「私の行動の理由は私が知っている」と主張した。

このような実験例は多く、夢も左脳がランダムな記憶を無理やり奇妙な物語に編集したものと考えられている。右脳が感じるばらばらの感覚を左脳が「私の感覚」として統合する機能が「自我」の意識を生み出し、行動の整合性を生み出しているのだ。脳が分離している患者も自分が2人いるとは感じず、すべて「私の行動」だと考えている。

「人間が合理的である」というデカルトの仮説は、脳科学の実験では否定されている。それどころか「我思うゆえに我あり」という場合の「我」が実在するかどうかも疑わしい。ただ生存競争では、敵に襲われたとき右脳と左脳が別々に指令を出したら死ぬだろう。だから1000億のニューロンを1人の<私>として統率する感覚は、進化の過程で形成された辻褄合わせの機能と考えられる。

合理性とは、このような進化上の要請から作り出された物語であり、辻褄が合うというだけなら宗教も科学も同じく合理的だ。近代社会では、工学的に応用可能な実証科学の合理性が特権的な地位をもったが、今では脳科学にみられるように、自然科学の多くは素朴な合理主義を否定している。しかし経済学は、いまだに合理的個人というフィクションにしがみついている――まるでニワトリをシャベルと結びつける患者のように。

コメント

  1. nippon5050 より:

    大変興味深いお話ありがとうございます。
    合理的個人というものは幻想であるなら、人々の将来の行動を正確に予測するのは不可能ということになります。
    つまり政府の恣意的な産業育成や財政出動による景気刺激策は、かかるコストに比べ果実の少ない不合理な政策という事ですね。
    政府がお金をバラマイても人々がそれを全部消費に使えばインフレになるだろうし、貯金すればデフレになるでしょう。
    将来の正確な予測をするのは不可能。だからこそ自由を担保しておいて、環境の変化に対応出来るようにすべきということですよね。
    ハイエクの時代にはまだ脳の研究はここまで進んでいなかった筈ですよね。
    だとしたら彼はすごい洞察力の持ち主であるといえますね。

  2. 海馬1/2 より:

    こういう話の入り口と出口は「サブリミナル効果」ですので、
    マスコミであまり取り上げないですね。