知的財産推進計画の失敗 - 山田肇

山田 肇

『知的財産推進計画2010』が公表された。この新しい推進計画には次の三つの戦略が書かれている。

1. 国際標準化特定戦略分野における国際標準の獲得を通じた競争力強化
2. コンテンツ強化を核とした成長戦略の推進
3. 知的財産の産業横断的な強化

国際標準化の重要性は自民党時代の推進計画にも書かれていたが、これほどあらわに戦略事項としたのは今回が初めてである。この戦略の目玉は「国際標準化特定戦略分野」の指定である。知的財産推進計画には「今後、世界的な成長が期待され、我が国が優れた技術を有する産業分野を選択」し「国際競争力強化につながる国際標準の獲得や知財活用を行うための知的財産マネジメントを推進する」と書かれている。そして第一弾として、(1)先端医療、(2)水、(3)次世代自動車、(4)鉄道、(5)エネルギーマネジメント、(6)コンテンツメディア、(7)ロボットの七つが指定された。

実は、僕はこの特定戦略分野のリストを作る国際標準化戦略タスクフォースの構成員なのだが、その場での議論の様子や推進計画の記述には違和感がある。それは「我が国が優れた技術を有する産業分野」「競争力強化戦略をオール・ジャパンで2010 年度中に策定」といった言葉が繰り返し出てくる点である。


わが国が優位な技術をオール・ジャパンで国際標準にしようという施策は、過去の推進計画から長く続くものである。知的財産推進計画の初版(2003年)には、すでに「日本発の国際標準化を、我が国として一貫性をもった形で迅速かつ効率的に進めて行く」との記述がある。2005年版には「各府省間の連携及び産学官の連携を一層強化し、継続的に情報交換・意見交換等を進めるとともに、諸外国の標準化活動の動向把握・分析や国際標準化に関する審議においても適切な連携を図る」とある。2006年版は「我が国発の技術標準が国際標準として採用されるよう産学官が協力し、戦略的に国際標準化活動を強化することが必要である」と説き、2006年12月には『国際標準総合戦略』が策定された。つまり、政府は一貫してオール・ジャパンで国際標準を目指してきたのである。

その結果は思わしくなく、国際標準を獲得して競争力が強化された際立った事例は見受けられない。一方には、国際標準になったが誰も採用しない次世代PHS(XGP)のような例がある。推進計画以前の取り組みではあるが、日本方式の地上デジタル放送は世界の孤児である。「南米各国が採用」という大本営発表(総務省の報道発表)は繰り返されているが、彼らが採用しているのは日本方式を基にしたブラジル方式であって、日本方式とは互換性がない。6月9日付の日本経済新聞(『規格採用の果実は韓国勢に』)によれば、日本メーカーは南米市場の獲得に成功していない。情報通信分野は世界全体でみれば市場拡大が続く中、わが国からの情報通信機器の輸出は年々減少し、今では輸入額のほうが輸出額を上回る状況になっている。

オール・ジャパンで国際標準化を進めようという施策は二つの点で間違っている。

第一は、国際標準化活動は参加者の多数決で決まる政治的な交渉である、ということに理解が届いていない点である。できる限り多くの関係者(国や企業)が利益の分け前を授けるような(少なくともそう見える)構図を描いたとき、初めて多数派となれる。わが技術は優位だと、押し込むだけでは支持は得られない。そもそも標準化は入り口であって市場に普及してはじめて経済的利益がもたらされるのだが、そのためにも標準化の段階で多数の賛同を得ておくことが肝要なのである。

第二は、国内関係者の意思は統一されており、オール・ジャパンで取り組める、と信じている点である。数年前にHD-DVDとBluRayが争っていたことがあったが、両陣営は手を取り合うことができたのだろうか。特定戦略分野として次世代自動車が指定されているが、国内自動車メーカーの意見は揃うのだろうか。そもそも、これらメーカーは自社の戦略を、オール・ジャパンだからと、他社にも話すのだろうか。

国際標準化活動は妥協点を求める政治的な交渉なので、互恵主義的な立場に立たない限り、自らの技術を国際標準に盛り込むことはできない。「肉を切らせて骨を断つ」という言葉があるが、どこを切らせ、どこを守るかが分別できてこそ、政治的な交渉に臨むことができる。その成果として世界市場が獲得でき、国際標準の果実を味わうことができる。そんな戦略的発想こそが求められるのである。

「わが国が優位な技術をオール・ジャパンで国際標準にしよう」と書けば、他国・他企業は、日本が技術を押し付ける、と警戒するだけだ。なぜ、そんなふうに有害な(少なくとも役に立たない)意思を露骨に表明するのだろうか。実はタスクフォース構成員には守秘義務が課せられているのだが、推進計画自体に対する意見の表明はその範囲の外と見做して、僕の感じている違和感について説明した。7月23日に開催される情報通信政策フォーラム(ICPF)のセミナーでは『標準化活動と企業経営:知的財産推進計画の失敗』と題して講演する。ご来場いただければ幸いである。

山田肇 - 東洋大学経済学部

コメント

  1. hitoeyama より:

    韓国メーカは、携帯電話端末でも、日本同様自国ではGSMを採用していないのにもかかわらず、日本メーカと違って世界シェアトップですよね。地デジのブラジル方式は日本方式と互換性がないとは言え、日本方式がベースですから、自国で採用されてない韓国に比べれば日本メーカのほうが有利に思います。にもかかわらず韓国メーカに負けるとは、いったい日本メーカは何をしているのでしょうか? 素人の感想です。
    あと、地デジについては、オールジャパンじゃなかったからブラジル方式が成立し、南米各国で採用されたと思うのですが、だとすると山田さんの志向する日本の標準化への取り組みかたとはあっているのではないのでしょうか?それが日本企業の利益になっていないという点では目的を達成できておらず大きな課題とは思いますが。

  2. MIC より:

    山田さん

     標準化には、ITUやISOのようなレガシーかつ国家間交渉のものと、IEEE/IETFなどのフォーラム型がありますが、この計画は明らかに前者をベースにしているのでしょう。
     しかし、今やフォーラム型標準化の産業競争力が大きくなっている背景を考えれば、標準化戦略、知財戦略は、ドメイン、レイヤー毎に同時並行的に展開する必要がある事を、ぜひ判ってもらいたいものですね。