ネット生保立ち上げ秘話(13)増えていくサポーター - 岩瀬大輔

岩瀬 大輔

出会いが出会いを呼ぶ

2007年3月、男性誌「GQジャパン」の編集部から一通のメールが届いた:

「弊誌編集部一同で、岩瀬さんの『ハーバードMBA留学記』を興味深く拝読しました。読者の中には、この本をきっかけに人生設計を練り直す方も多いかと思います。つきましては、この本を軸に、岩瀬さんが現在手がけておられる事業のご紹介も含め、弊誌にて特集記事を組めればと存じます。思い切ったページ数での展開も視野に入れておりまして、まずは一度、編集部の人間ともども、ご挨拶と趣旨説明にうかがえませんでしょうか。」

このメールがきっかけとなり、同誌で8ページにも渡って、ネット生保立ち上げの特集記事が組まれることとなった。この雑誌をたまたま手に取ったヤフージャパンに勤める伊藤というシステムエンジニアが応募をしてきて、ネットライフ企画に加わることとなった。

その彼が、「今の僕たちに足りないものを」ということで、かつての同僚で「また働きたい」と思った二人、堀江と新井山を誘いこんでくれた。すると新井山が、自分のチームを強化したいとまた、田中・飯塚・廣瀬という、三人の優秀な仲間を連れてきてくれた。

一冊の書籍が一つの縁を呼び、そこからまた新たな縁が生まれ、僕らにとってはなくてはならないシステム部とマーケティング部の柱を担うことになった。


西海岸からのエール

留学中に書き綴っていたブログについて、日経BP社から書籍化のオファーがあったのは、2006年1月頃だった。同社内で新しい書籍のアイデアを探していたところ、たまたま留学を考えていた日経コンピュータの若手記者が、紹介してくれたのだった。

7月に帰国したのちに原稿を整理し、ついに11月には出版することができた。この一冊の書籍は、先にみたように多くの仲間が加わるきっかけとなったばかりか、社外の知名度向上、そして多くの「応援団」ができることにも大きく貢献した。

まず、本書がきっかけとなり、日経新聞が11月20日の夕刊記事で、僕らの取り組みを紹介してくれた。


 岩瀬は東大法学部四年で司法試験に合格。しかし卒業するとすぐにコンサルティング会社へ。その後、移った投資会社の先輩から「人生はマラソンだ」と言われ留学した。(中略)

 留学時代、そんな思いなどをブログ(日記風簡易型ホームページ)に書き込んでいた。今年六月に帰国。古巣に戻るつもりだったが、ブログを読んでいた投資家、谷家衛(43)から「君なら、すぐに金を出す」と言われ、方針を変えた。

「ベンチャーはアドベンチャーだから気概が必要。しかし方法論も大事で、粗削りなところもあるが、彼は二つとも持っている」。ネット企画に五〇%出資したマネックス・ビーンズ・ホールディングス社長の松本大(42)は岩瀬をこう評する。

 岩瀬の新事業には保険業免許が必要。ここ四年ほど生保の新免許は下りておらず、ネット専門となれば過去に例がないようだ。保険業法は免許条件として適正な財産基盤に加え専門の「知識や経験、十分な社会的信用」などを求める。巨大生保に挑むにはこの「法の壁」をまず乗り越えなければならない。

「ウェブ進化論」で有名な梅田望夫氏は、「1976年生まれの米国「資本主義士官学校」留学記」というタイトルで、長文のブログ記事で本書を紹介してくれた。


 僕自身は米国の大学に留学した経験がない。
 
 大学時代から強烈な留学願望があったが、経済的事情などなどで結局それは叶わなかった。米コンサルティング会社に入ってからは、「留学したつもり」で社内転籍に申し込みサンフランシスコオフィスで修業したりしたけれど、やっぱり若いときの留学は羨ましいなと、岩瀬大輔「ハーバードMBA留学記」を読んで改めて思った。

 岩瀬大輔は1976年生まれ。はてな近藤淳也やミクシィ笠原健治の一つ年下である。ハーバードビジネススクールで日本人としては久しぶりにベーカースカラー(成績上位表彰)を取った秀才である。彼の前にベーカースカラーをとった日本人はたしか名和高司で(15年くらい前のこと)、彼は卒業後マッキンゼーに行った。名和と面識はないが、同世代の感覚として「90年代前半の経営コンサルティング会社」はなかなか新鮮でエキサイティングな場所だった。名和にも、やはり留学経験をつづった「ハーバードの挑戦」という名著がある。

 しかし現代を生きる岩瀬は、経営コンサルティング会社には進まず、「生命保険のネット事業」を起業する道を歩く決心をする。新しい日本人が生まれつつあるんだなという感想を持つ。(略)

多くのファンを持つ梅田氏のブログで取り上げてもらえたことで、これまで僕らのことを知らなかった新しい層が、ネットライフの挑戦を知ることとなった。

親友からのメッセージ

 そして、本書は新たなサポーターを増やすだけでなく、これまでの友人にも起業の想いを知ってもらい、応援してもらえることにも繋がった。

 大学時代の友人であり、軽井沢でインターナショナルスクールを立ち上げようとしている小林りんからは、旦那さんの出張先のニューヨークから、以下のようなメールが届いた:


 From: Lin Kobayashi
 To: Daisuke Iwase
 07/1/31

 岩瀬君、

 NYCに来ています。朝ホテルの部屋でゆっくりとお風呂に入りながら、岩瀬君の本を読み終えました。私、この本好きです。岩瀬君を知っているから尚更なのかも知れませんが、HBSのカリキュラムや学生の質の高さだけでなく、岩瀬君がどんな人たちに囲まれて何を学びとっていったのかを感じることができて、そしてそれにとても共感を覚えて、素敵な読後感でした。ありがとう。

 特に、LCAの最後の授業の朝に書いたという「経営者宣言」、いいですね。リーダーシップや倫理観は教わるものではないのではと私も思っていたけれど、この宣言を読んで、確かに岩瀬君がそれをあの2年間で「学んだ(あるいは他の学生から吸収した)」のだなと思いました。ソーシャルエンタープライズに関する章で、自分が生きているうちには成果を見ることができないかも知れない事業に取組むことを、カテドラル建築に例えた先生の話もよかったです。

 この本を読んで、ますます岩瀬君と私の間には似たような価値観が横たわっているのだという確信を強めました。3月に会えるのを楽しみにしています。

 りん

人気ナンバー1弁護士も顧問に

 さらに、開業後に顧問弁護士になってもらうお願いをしに、久保利英明弁護士を訪れた。久保利先生は僕が司法試験と格闘していた頃、毎年のように「日経ビジネス人気弁護士ランキング」で1位に輝いていた、伝説の弁護士である。松本さんと同様、高校の大先輩、という繋がりがあった。

  日比谷公園を見下ろす気持ちいいオフィスに着くと、先生が笑顔で出てきた。

 「久しぶりだね。いやぁ、君のことはよく覚えているよ。高校の後輩で、司法試験に合格したのに弁護士にならずに外資系に就職するっていうので、なかなかいないタイプだなと思っていた。今回は大胆な挑戦をするんだね。ぜひとも応援したいと思う。

 社外役員は、他の金融機関の社外取締役をやっているのでちょっと難しいと思うが、事務所として法務面のお手伝いは、ぜひやらせてもらうから。」

 久保利先生とは実は、学生時代に一度だけお話をしたことがあった。司法試験予備校の「伊藤塾」に講演に来ていた際に、伊藤先生のご厚意でお話しする機会があったのだった。

 しかし、10年以上も前のことを覚えているわけがないと思っていた。そんな僕のことを覚えていただいていて、感激した。そして、国内最強の弁護士の先生がついて下さるなら、まさに鬼に金棒だと思った。

悩みながら進めていた

それでも、決してすべてが順調に行っているわけではなかった。この頃の自分の手帳を振り返ると、「これまでの反省点」ということで、多くのことが殴り書きされていた。

***

仕事が中途半端、力を出しきっていない。漫然とPCに向かっている時間が長すぎ。9月以降、これというアウトプットを出せていない。目が疲れて残業できない。人と会っているだけで1日が終わってしまう。本も全然読めていない、頭を使っていない。決して時間がないわけではない、使い方が下手なだけ。ジムに全然行けていない。不健康。家と部屋が散らかしっぱなし。新しい学びがほとんどない。マスコミで取り上げられていい気になっている。ブログが面白くない。もっと書けるはず。毎日を辞めて月水金にする?テーマを事前に定める?写真をもっと使う?開業まで時間があるから、もっとできることがあるはず。HBSでの学び、忘れている。使っていない。海外の情報をチェックしなくなった。やると言ってやっていないことがたくさんある。

***

あとちょっとのようにも思えたけど、やったことのない「保険会社の立ち上げ」という作業、いつ許認可が取れるかも分からないなか、終わりが見えないトンネルの中でもがいているような感覚を時折覚えた。

いつまで続くんだろう。そんな気持ちになることもあったが、今から振り返ると、会社設立準備は大きな山場を迎えつつあった。

(つづく)

過去の記事

第1回 プロローグ 
第2回 投資委員会 
第3回 童顔の投資家 
第4回 共鳴   
第5回 看板娘と会社設立 
第6回 金融庁と認可折衝開始
第7回 免許審査基準
第8回 100億円の資金調達
第9回 同志
第10回 応援団
第11回 金融庁の青島刑事
第12回 システム構築