「財政危機」の真に正しい理解のために-土居 丈朗

アゴラ編集部

慶應義塾大学経済学部教授

昨年、ギリシャの財政危機が顕在化して以降、わが国の財政状況をめぐり様々な見方が飛び交っている。日本はギリシャよりも多く政府債務を抱えている上に、今後高齢化で社会保障費の増大が見込まれ、消費税を増税するなど財政健全化を真剣に取り組まないと日本でもギリシャのような財政危機が顕在化する、とする見方がある。他方、日本はギリシャよりも多く政府債務を抱えているが、ほとんどが国内で消化されているからギリシャのようにはならないので、財政危機をあおるのは増税したがる一派の陰謀で、無駄な財政支出を削減したり「霞が関埋蔵金」を取り崩せば増税は不要だ、とする見方もある。

どうやら、財政危機についての議論は、極論が横行し、冷静な議論が欠けているように思う。


結論から言えば、問題なのは、日本がギリシャのようになるかならないか、財政破綻するかしないか、なのではなく、(誰から見ても金額として巨額に上る)政府債務を誰の負担で返済するか、である。その負担のあり方によっては、政府から行政サービスの便益をあまり受けていない人に過剰な負担を強いることになったり、多くの便益を受けている人で本来その財政負担を負うべきはずなのに、負担を免れることになる人がいたりする。政府がデフォルトしたらどうするか、とか、政府債務が累増してハイパーインフレを助長することになったらどうするか、という心配も巷間にはあるが、それらも政府債務を誰の負担で返済するか、という視点で統一的に見れば、その良し悪しを評価できる。

まず、正攻法の財政運営で、巨額に上る政府債務を返済するとすれば、歳出削減か増税を大規模に行わなければ不可能である。確かに、政府が保有する資産を売却することも足しにはなるが、政府債務の返済財源としては不十分な規模しかない。おまけに、政府保有資産を売り急いで安売りしてしまえば、なおさら返済財源は確保できない。

もちろん、無駄な財政支出をなくすことは、不断の努力が求められる。これは怠るべきではないが、無駄な財政支出を大規模に削減して、増税を回避できるかと言えば、かなり非現実的だ。「非現実的」というのは、社会保障給付や教育費など、そうした歳出削減に反対する人は結構多く、圧倒的多数の人が大規模な歳出削減に賛成してくれるという状況が容易には実現しないという意味である。歳出削減できない(して欲しくない)という以上、その財源は増税で賄わざるを得ない(増税のタイミングは別途要検討)。増税をせずとも、経済成長を促せば税収が増えて、政府債務の返済財源が確保できるというのも、小泉内閣の時代までのお話である。それ以降、特に、麻生内閣、鳩山内閣で政府債務はさらに増えたため、もはや景気がよくなっても、金利が上昇するため、税収増よりも利払費の増加の方が多くなって、放って置いても財政赤字が解消されるわけではない状態なのである。

だから、正攻法の財政運営で政府債務を返済するなら、今を生きる我々が何らかの増税を甘受せざるを得ない(もちろん、歳出削減や政府保有資産売却が多ければ、それだけ増税が小さくて済む)。

日本銀行が国債を引き受ければ、政府はデフォルトもしないし増税をしなくても済む、との見方がある。これは、そもそも正攻法の財政運営ではない。日本銀行が無制限に国債を引き受ければ、どういうことが起こるか。確かに、目下はデフレの状態だから、一見するとデフレを止められるように見える。しかし、一旦日銀券(日本円)の信頼が低下すれば、デフレを止めたどころでは済まず、インフレになる。インフレは、日本で財政状況がさほど悪くなければ程ほどに収まるかもしれないが、そもそも先進国で最も悪い状態であるから、一旦信頼が失われると、ますます信頼が低下する。すなわち、財政悪化下での悪性インフレに陥る。おまけに、ただでさえ、政府支出は、無駄遣いやバラマキが多いと批判されているのに、日銀引受けで国債が増発できれば、ますます無駄遣いやバラマキは増える恐れすらある。

こうして、日銀が国債を引き受けて悪性インフレを誘発すれば、その返済負担は、国債や通貨(日本円)を持っている人に及ぶ。まさに、終戦直後の日本で経験したことである。つまり、政府は、表向きは額面通りに返済するものの、通貨価値を大幅に下落させて実質的な返済負担を軽減させる裏側で、国債や通貨(日本円)を持つ人がその分財産価値を失って負担を強いられる。政府が、デフォルトを宣言すれば、いうまでもなくその時点での国債保有者が財産価値を失って負担を強いられるので、その意味では、日銀引受けで国債増発してインフレにするのも政府がデフォルト宣言するのも、本質的には返済負担を債権者に負わせるという意味では同じである。さらにいえば、政府が国債保有税を課すのも同じである。だから、デフォルト宣言するのを問題視して、日銀引き受けをしてインフレにするのは問題視しないと見るのは、ナンセンスである。

要するに、消費税や所得税などの納税者に返済負担を負わせる形で増税して借金を返すのか、インフレにしたりデフォルト宣言したり国債保有税を課したりして国債保有者や日本円保有者に負担を負わせる形で返済するのか、という差でしかない。

そうなれば、誰がその政府債務の返済負担を負うのが妥当かという議論こそが、本質的に意味を持つのである。日銀引受けで国債増発してインフレにしたり、政府がデフォルト宣言したりすれば、一見すると国債を保有する「お金持ち」に負担を強いて低所得の「弱者」は負担から免れるかのように見えるが、貸借契約の秩序が失われ、日本の金融システムを大きく破壊することになる。おまけに、インフレになれば、物価が上昇するほどには給料が増えない低所得者が憂き目を見ることになる。このように、日本の金融システムを大きく破壊するという災いの大きい副作用を伴う返済の仕方をするのが、望ましい政策とは思えない。政府債務を返すのに、何も日本の金融システムを破壊する必要は全くない。

金融システムを破壊しないで政府債務を返済するには、正攻法の財政運営、(歳出削減や政府保有資産売却も行うが、不可避の)増税するしかない。それは、何も財務省の手先だとか、財政危機をあおるとか、そういう問題ではない。民間経済での活動や市場取引の秩序を守りながら、今ある政府債務を、本来負担を負うべき人が税負担を負って返済するには、どうすればよいか、という問題である。

そもそも、政府債務は返済しなくて良い、という見方がある。しかし、それは絵空事の発想である。それは、貸し手側の気持ちになって考えればよい。「一度借りたお金は、借換えを重ねることで返済しなくて良い」と考え、放漫なお金の使い方をしている借り手に対して、お金を貸す気になるだろうか。プロでありビジネスとして政府にお金を貸す金融機関や投資家なら、そんなアマチュアな考え方で臨む借り手には、容赦はしない。貸し手が、自らの都合でいつ何時返済を迫るか分からない。そのときでも、いざとなれば返せるだけの資力があることを証明して見せてこそ、貸し手はお金を貸してくれるものである。もちろん、一国の政府は、その国の中では最も信用される存在ではあるが、返済する気がないという素振りでも見せようものなら、たちまち新たにお金を借りることは困難になる。政府債務は今すぐ全額返済する必要はなく、長い期間(日本では60年)かけて返済するとしても、返済する用意があることを示してこそ初めて、返済期限が来ても借り換えることに金融機関が応じてくれるものである。だから、政府債務は返済しなくて良い、という見方や態度は禁物である。

政府債務の問題では、究極的には誰がその返済負担を負うかが重要な視点である。早期に増税しなければ、政府債務の返済負担が若年世代や将来世代により多く負わせる羽目になる。これほど巨額に上る政府債務の返済負担は、(政治家や官僚のせいとしたいとは言え、民主主義国家である限り主権者たる)今を生きる国民が負ってこそ、将来世代に対して真っ当な責任を果たすことになる。今ある政府債務に目を背けることなく、その返済負担を誰が負うのが望ましいかという視点に立って議論してこそ、政府債務に煩わされない日本経済に立て直すことができる。
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