デフレのマクロ経済学的な問題点

小幡 績

実は、真のデフレスパイラルとはタバコ増税の問題と関連している。


マクロ的には、デフレの問題点は二つ。一つは、日銀がゼロ金利政策を実施しても実質金利がプラスになってしまい、金融緩和政策が取れなくなること、あるいはフレキシビリティが低下すること。もう一つは、真の意味でのデフレスパイラルが起こることだ。そして、真の意味でのデフレスパイラルは、その逆の現象である、タバコ増税などと同じ減少なのである。前者の議論は、日銀に何ができるか、という論点で議論すべきで、次回に議論することとしたい。問題はタバコである。

この論点は、1990年代末にポール・クルッグマンが日本のデフレの問題として指摘したことで、広い意味で言うと、ケインズが言ったことになっている流動性の罠の実体経済版となる。ここで、まどろっこしい言い方になっているのは、ケインズは流動性の罠という言葉を少なくとも著書「一般理論」の中では使っていないからである。これも別の機会に議論することとして、クルッグマンの言うデフレスパイラルとは何か。それは駆け込み需要の逆で、継続的な買い控え現象のことである。

1台500万円の高級自動車があり、所得も資産も十分にある中年男性が、この自動車の購入を検討している。彼は、すでに3年前に買った車に乗っており、必ずしも買い換える必要はないが、500万の新車もかっこいいのでチャンスがあれば乗り換えてもいいと思っていた。しかし、世の中はデフレで、この車の価格も継続的な下落が予想されていた。つまり、毎年25万円ずつ価格は下落していたし、今後も同じような動きが期待されていた。このとき、この男性は、この新車を買うタイミングをできるだけ遅らせ、最もお買い得となる一番安くなったところで買おうとしている。

こうなると、この新車価格が継続的に下落する中では、彼は一生、この新車を買えない。永遠に新車価格が底打ちをするまで待ち続けることになる。これがデフレが継続する中で、買い控えが起こり、さらなる需要縮小がデフレの継続性を強化することになる、理論上の真のデフレスパイラルである。

確かに、この状況では、デフレそのものが問題だ。継続的な価格下落を止めないことには、この新車は一生売れない。ではどうすべきか。

価格を上昇させればいい。そりゃそうだ。では、どうやって?もちろん、この自動車メーカーが価格を上げるのである。しかし、このメーカーが価格引き上げに転じたらどうなるだろうか?誰も、このメーカーの車を買わなくなる。まだ引き上げに転じないメーカーの車に需要が殺到することになる。この引き上げは、近い将来のライバルメーカーの値上げを想起させ、値上げ前の駆け込み需要を誘発するからである。したがって、どの自動車メーカーもライバルとにらみ合って、値上げには踏み切れない。結託して値上げする手もあるが、それはカルテルで、独占禁止法違反である。デフレスパイラルというよりは、デフレ縮小均衡のわなに陥っている、といったほうがいいだろう。このデフレのわなからどう抜け出すか。政策手段はあるのか。

クルッグマンは、これに対して、マクロ的なインフレを提案している(クルッグマンは、この自動車の例を挙げているわけでもないし、メーカー同士の競争に触れているわけでもなく、単にインフレをデフレからの脱却として提案している)。つまり、一旦インフレになってしまえば、値下がりを待つこともないから、値上がりする前の駆け込み需要が起きるはずで、それにより、需要が喚起され、デフレからも不況からも脱却できる、というわけである。

しかし、この提案は、机上の空論である。どうやってインフレを起こすのか、という最大の問題を別にしても、インフレが起きても、先ほどの自動車の例の中年男性は車を買うと思うが、それ以外のほとんどの人々は、車もモノも買わず、むしろ、消費は減少し、不況は深まるだろう。なぜなら、中年男性は、所得も資産も十分にあるから、財政的な制約には直面しない。しかし、ほとんどの普通の人々は、所得制約の下で消費をしている。その中で、モノの値段が上がり、給与が上がらないとすると、期待される生涯賃金の実質額はインフレにより低下するから、節約して、インフレが起きている老後に備えるのである。先回りして、30年分消費しておくわけに行かないから、駆け込み需要には限度があり、駆け込んだ後には、駆け込んだ以上の節約を強いられるのである。タバコですら、一生分買いだめするわけには行かないのだから、一般的な消費財ならなおさらだ。

さらに消費を減速させる理由は、自動車の駆け込み需要に関して言えば、もともと買おうと思って狙いをつけていた人々の需要は前倒しになるだけで、消費総量はニュートラルだが、値上げ後に、車を買いたくなった人々にとっては、値上げは、必ずマイナスである。後悔しても無駄だが、実際には、値上げ直後とわかって、それでもかまわず買う人は少数派で、多くの人は、値上げ後に買うなどという自分のおろかな行動を認めたくないため、買うこと自体を止めてしまうのである(これは行動経済学で後悔理論と呼ばれているものの一例である)。したがって、マクロ経済全体では、駆け込み需要を促すインフレ政策は、経済にマイナスの効果をもたらすのである。

実例は豊富だ。1997年の消費税引き上げは、経済企画庁(現内閣府)の駆け込み需要の反動減の予測を上回って、消費は減少したし、今回のタバコ増税も、そして、エコカー補助金、エコポイントも、この現象の影響が出てくるだろう。だから、クルッグマンは誤っているか、少なくとも現実の政策を提案する能力がないのである。日本でも世界でも、机上の空論だけを唱えている、経済学者、エコノミストは多いのである。

コメント

  1. ノッチ より:

    こういうマクロとミクロをつなぐ物語は面白いのでたくさん聞かせて欲しいです。そういえば、小幡さん、行動ファイナンスの本2,3冊出してましたよね。面白かったです。応援してます。

  2. https://me.yahoo.co.jp/a/9nN3JptMMPLaFXDuZ4hDYxdL3NlZVTQuP4zeDGbg#6d90d より:

    人為的なインフレ施策として消費税の税率引き上げが話題になると必ず反動減がネックとなります。
    であれば、毎年1%ずつ税率を引き上げていくというアイディアはいかがでしょうか。
    値上げ後に欲しくなった人も待てばさらに値上げとなると分かっていれば消費行動を辞めることはなく、反動減は低く抑えられるのではないか、と考えるものです。
    もちろん、永遠に税率を引き上げていくことはできませんから、欧米並みとされる15%を目処に向こう10年間とします。
    その間に景気回復し、財政状態が良くなればストップ、なっていなければ1年ごとに延長していきます。
    国民としては延長は嫌ですから、政府の財政健全化への施策に厳しい目を向けていくことになります。
    これは消費税率が比較的低い日本だからできることですが、問題はチャンスが一度きりであることでしょうか。