原さんの記事を読んで、同じ時期に原発の取材をしていた者として、共感するところと違うなと思うところがあります。
1980年代には、石油危機のあと「脱・石油」の旗印のもと、原発が推進されました。民放のローカルニュースにはたいてい電力会社がスポンサーになっていたため、反原発の番組はほとんどなく、新聞も同じでした。特に朝日新聞は、科学部の木村繁部長と大熊由紀子記者が激しい原発推進キャンペーンを繰り広げていました。社会部の記者はみんな反対派でしたが。
そんな中でスポンサーのないNHKは、反原発のリーダー的存在で、私も伊方原発訴訟の一審と二審を取材して、国と反対派の討論番組をつくりました。当時は、原発をテレビで取り上げること自体がタブーで、四国電力の社長が記者会見で「NHKの番組は偏向している」と名指しで批判したこともあります。
当時も今も、原発の問題点は変わりません。原さんもいうように、軽水炉の技術的な限界による炉心溶融の可能性は否定できず、放射性廃棄物の処理と保管は数百年もかかる終わりのない作業です。NHKも「原子力」というシリーズを何回もやりましたが、結論はいつも同じで、原発事故は論理的には起こりうるが、日本の原発の安全設計は世界一なので現実的にはそのリスクは小さいということでした。
だから原発は技術の問題ではなく、こうしたリスクとエネルギーの安定供給というメリットをどう評価するかという経済問題なのです。それを日本のメディアは、ちゃんと問うてこなかった。原発を「迷惑施設」として福島や敦賀に集中立地し、それが結果的に今回のような事故の際に大きく電力の失われる原因となりました。
もちろん原発なしですむなら、それに越したことはありません。しかし今回の事故で原発の新設が不可能になり、ただでさえ割高な日本の電気料金がこれ以上高くなったら、新興国との競争で不利になるグローバル企業は日本から出て行き、国内には生産性の低いサービス業だけが残るでしょう。
後世の歴史家が振り返ると、今度の大震災を衰退する日本にとどめを刺した出来事と位置づけるかもしれません。原発は大量生産・大量消費の高度成長の象徴でした。そういう豊かさを「あまねく平等」にわけあう生活が原発とともに終わり、これからは縮んでゆく経済の中で効率を上げる競争社会にならざるをえない。
それはとっくに終わっていたのですが、この20年、日本はかつて築いた富を食いつぶして問題を先送りしてきました。しかしこれ以上やっていると、今度は財政破綻による「突然死」が待っています。今度の災害は、日本がこれまで避けてきたつらい選択を迫っているようにみえます。
コメント
完全に、同意します。日本経済の構造的な問題が「1940年体制」にあるにも関わらず、この国には、大規模な改革をしよう、社会を変えようとする意欲が全くありません。これからは、非現実的な「反原発」が、主流になるでしょう。これからは、イギリス病が日本でも加速するでしょう。つまり、優秀な企業や人材が香港やシンガポールへ流出して、低生産性の産業や他国では価値のない人材が国内に留まる訳ですね。
皆さんには、「脱藩」をお勧めしますよ。外国でも通用する人材になりましょう。
震災による損失は、GDP 4%か5%か、その程度に過ぎません。これは回復可能です。年間の休日を少し減らす程度で済む。
停電による損失は、はるかに上回り、GDPの2割か3割に及ぶ可能性があります。これは致命的です。
日本がつぶれるかどうかは、地震によっては左右されませんが、停電によっては左右されます。(停電対策ができるか否か。)
まずはこの核心を理解することが大切です。詳しい話は下記。
→ http://bit.ly/es07dm
原発に代わる代替発電手段としては火力の増設が最も有力でしょう。現在の関東圏の電力不足は原発だけでなく火力の停止も大きな原因の一つです。
火力を推す理由としては以下のとおりです。
(1)石油・石炭・LNGの新規供給先の開拓
中国・ロシア極東(サハリン)からのパイプラインが実現に向けて建設されています。かつて田中角栄氏が挫折した東南アジアからのエネルギー供給が、今度は北から実現しようとしています。石油メジャー、米国の妨害が懸念されますが。なおウランも輸入頼りだったことを考えれば、輸入リスクはそう変わらないでしょう。
(2)CO2地球温暖化犯人説の崩壊
原発も発電過程でCO2を出しますが(冷却装置の電源は外部供給だった)、火力はより多くのCO2を排出します。これが電力会社の原発推進プロパガンダに使われましたが、もはやこの詭弁も通じなくなりました。
もっともCO2を含む有害物質の排出は少ない方がいいのは当然で、更に研究・技術開発に投資する必要があります。
これに加えて、短期的には家庭用・地域用太陽光発電装置設置の促進、長期的には蓄電池の開発の3本柱で電気供給政策を転換してほしいと考えております。
原発を廃止しても廃炉・放射性廃棄物の後始末という難しい問題が残ります。原子力研究はこちらにより多くの研究費用を投下すべきでしょう。
必要は発明の母です。
原発が衰退することで新技術への投資が強まり、「宇宙で発電しマイクロ波で地上に送電」や「核融合発電」などの新しい発電システムが開発されるでしょう。これらの技術は一応これまでも研究はされては来ましたが、「取りあえず原発がある」という理由もあり、申し訳程度の予算しか付いていませんでした。揉めに揉めた国際熱核融合実験炉 ITERでさえ、予算はせいぜい原発2,3基分(しかも10年で)であり、人類の未来を託す研究にしては高額とは言えません。原発が表舞台から退場することにより、これらの新技術への期待が高まりました。これを機にこのような新発電システムの研究予算を増額し、次世代の発電システムを構築すべきです。
そもそも原発開発が推進されたのも石油資源依存からの脱却が「必要」とされたからです。これからは原発からの脱却が「必要」とされます。原発という20世紀の遺物を棄て、21世紀のエネルギー源を探すときが来ているのです。
少し悲観的すぎるかな。
今回の大震災を後世の歴史家が日本のターニングポイントと位置づけるのは間違いないでしょうが、このまま衰退・滅亡へというのはあまりに悲観的すぎますね。原子力発電は指摘されるように不完全な技術であるのは、素人の私でも今回理解しました。この原子力発電は今回の事故を機になくしていく方向に行くべきでしょう。しょせん原子力は電力会社が云っていたような夢のクリーン技術でもなければ、反対論者が云う地球滅亡への死の技術でもなく、次期エネルギー源が登場するまでの”つなぎ”の技術だったという位置づけでいいんではないでしょうか。今後もあくまでも発展成長をめざして、石炭石油から原子力、そして原子力から次期新エネルギー源開発ということです。たぶん個人的には自然エネルギーからの新しい抽出技術が登場してくると期待しています。新産業革命で日本の再生を!というのは楽観的過ぎますか?
衰退、非常に危惧されます。阪神大震災のときと重ね合わせて復興に進もうとしているのは分かりますが、条件が違う気がします。
阪神大震災で最も被害を受けた地域は大都会で、被災して更地になっても新しく家が建ち、被害を受けた小売店は復興して再び周辺から消費者を集めました。
しかし今回の盛岡、宮城、福島の沿岸都市は既に衰退を始めていた地域です。商店街はシャッター通りになり、若者は都会へ出て行く。買い物は仙台に行くような地域。
地震によって地域が衰退へと向かう均衡点を一気に飛び越えてしまった気がします。町ごとを元通りに復興することを目標にするのではなく、仙台を中心にした地域全体の再構築計画を立てる必要があると思います。
なぜリスクとメリットのバランスが評価されてこなかったのかと問うなら、その原因は第一に原発が「国プロ」だからです。
事故リスクが非常に予測不能なため、他国をみても分かるように民間企業の自発的な経済追求によって簡単には原発は開発されません。日本では中曽根康弘以来の、国家による研究開発投資(と賠償法整備)があって初めておこなわれてきたものです。
福島を例外としたとしてもJOC事故のように風土に根ざしていると指摘される原発事故は定期的に発生しますし、原子力開発も方向性を持たず安全面に対するモラルも低いものであったと指摘されます。
多大な税をムダにしてごく一部の権威に利益を与え市場を撹乱するのが国プロのごく一般的な帰結ですが原発も同じです。自然なプロジェクトマネージメントや企業活動のなかでリスク・メリットが評価されてきていません。
僕はうまくいく原発開発シナリオもありえた(あるいは修正がありえる)と考えますので、今後原子力開発がされるべきか否かについて意見を持ちません。問題は、エネルギー政策の転換において、政府は直接的に科学技術に興味を持ったりリーダーシップを発揮したりすべきではない、民間の自発的活動にまかせなくてはいけないということです。政府にはそういう能力はないということが広く理解されることが重要でないかと思います。
原発をやるのはよいですが、責任を持ってやらないと誰にも信用されません。
電力会社は
1)本社ビルをどの民家より原発の近くに置くことから始めましょう。
2)原発で得た利益ですべての損失をカバーし、国の補償を断りましょう。
残念ながら、いずれもできないから、やめるしかないと思います。
全く同感です。 それにしても日本人の公共意識ってどうなっているのでしょうか。 これだけの被害が出ているのに、臨時増税に対する反発の物凄いこと。 慶応の土居丈朗教授が震災復興税を提唱されていますが、この位のことさえ簡単ではない。 日本人の冷静な行動が世界で賞賛されているという報道が相次ぎましたが、実は単に自分の頭で考えられない人ばかりなのではないか? 外界の刺激に反応して動いている羊の群れのような感じに思え、怖くなりました。
未だに、震災も単なる他人事のように捉え、「可哀想だけど負担は嫌だよ」という国民がどうも大部分のように思えます。 自分の国なのに、ずっと受け身のまま、自分の利害だけで動く人ばかりなら、滅びるしかない!
原発への対応:原発と地球人の戦いという構図にもっていく。コミティーを立ち上げて、米英のみならず、中国、ロシアを含めたオール・ジャパンではなくオール・ザ・ワールドで対処する。人脈のある人が世界の本当の原発ノドリームチームを作って対処できないだろうか?そうして、原発の設計、使用法、危機の対処については個別の電力会社ではなくオール・ザ・ワールドが責任を持って国を超えて行うようにできないであろうか?
現在、原発で起こっていることは原発、医学研究者、プラント商社などにとっては、研究論文や、商機のもとになる宝の山かもしれない。しかし目先の学会や利益に目を眩ませるのではなく、全世界の人類の英知と手段で制圧し、今回の貴重な経験、データを人類の共有の財産として欲しい。 そして今一度原発推進へと舵を取れないだろうか? イニシアティブは日本でなくともいい。実力のあるものがとればいい。そしてIAEAも巻き込んで、モニュメント的に日本に原発研究の国際機関を作るといい。
中国の原発がいずれ問題化するのは必定である。その時、黄砂が西へ飛来することを考えると今よりもっと問題は深刻になるはず。そのような意味で新しい原発の作製にあたっては今回の経験を広く共有できるようになって、そのイニシアティブを日本がとることはできないだろうか?
アメリカでは以前から、原子力をはじめ化石燃料を利用するエネルギーのプロジェクトは、基本的に一般人では扱えない分野であり軍需産業等と同じように国家レベルのプロジェクトになり、一部の特権層に利権を集中させやすい構造を可能にすると指摘されています。反対にバイオ燃料は一般家庭でも製造可能です。インターネットで「バイオディーゼル」と検索すれば誰でも簡単に作り方を知ることができます。数年前にバイオ燃料が世界的に注目された時には食物の高騰が懸念されましたが(食物の高騰を引き起こす一番の原因は先物取引における強欲な投機筋かもしれませんが・・・)、竹やケナフ、ヘンプ等の一年草のように雑草のように繁殖力がありコストがかからず生産できる可能性の高い植物の利用については、実際にバイオ燃料の普及を目指している人達には現在でも有力視されています。ガソリンスタンドでバイオディーゼルが購入可能なブラジルでは、通常のディーゼルよりも安いバイオディーゼルを選択する人も多いそうです。ただちに現在稼動中の原発を停止することは混乱が生じるのはほぼ確実に思えますが、これを機会に将来性の無い化石燃料からの脱却を目指し、循環型のバイオ燃料や太陽、風力等のエネルギーの科学技術の発展に日本の産業が貢献してくれることを希望しています。
簡単に「新エネルギー」に移行するという楽観的な意見が多いようですが、現実をきちんと見据えた方が良いと思います。
現実的な新エネルギー(おそらくは核融合?)が経済的に成立するには50年はかかるでしょう。一方で再生エネルギー系はその効率/密度を考えれば現在の日本のライフスタイルを成立させるのは無理です。EUの風力/太陽光発電の行き詰まり、USでのアルコールの失敗などよく考えた方が良い。いわんや水素燃料なんて危なすぎてありえない。
電気代、燃料代が10倍になってよいのであれば再生エネルギーも可能でしょうが、そんなの誰も受け入れないでしょう。あまりにもムードに流された楽観的な意見が大きすぎると思います。
一方で、現在のアラブからの石油に頼る事は昨今のイスラム諸国の政情不安定さから見れば、残念ながらリスクが大きすぎる。ロシアのガスも数年前のウクライナやEUでの供給不足を見れば不安定。結局、石油化学系は地勢、政治リスクが大きすぎる。石炭は比較的安定だが、採掘による環境破壊、硫黄酸化物などいかがな物か。
結局、より安全な原子力開発を進めるしかないと思います。ウランは唯一、政治的に安定な国から購入できるエネルギーである事も重要な点と思います。
結局、日本人が東京的なライフスタイルを維持するのに東京人は責任を持つのか、ということになりましょうか。昔に戻れ、葉あり得ないですからね。
12. sudoku_smith様
現在「ウランは唯一、政治的に安定な国から購入できるエネルギー」であることには同意です。豪国と加国で50%以上を占めていますから。
しかし「結局、より安全な原子力開発を進めるしかない」という選択は、先の事情と他のエネルギーの短所を考慮しての消去法で残ったとしか思えません。いくら炉心容器が丈夫であっても、今回の事故で電源供給等の狭義の原子力技術「以外」の部分や人間の判断ミスで大事故になることが証明されてしまいました。いったい、今後原子力技術の何を「開発」「改善」しようというのでしょうか。更に燃料等の放射性廃棄物処理についても今だ年数・費用は未知数です。核融合も同様。
従って、アラブ諸国が政治的に不安定になってきたからこそ、東シナ海・ロシア極東での石油・石炭・ガスの「共同」開発を「政治リスクが大き」くても諦めてはいけない、いやむしろ希望であると当方は考えております。
また、例えばウランでプラスチックは作れません。飛行機も飛ばせません。現代社会において石油等の化石燃料ははエネルギーとして以外にも非常に大きな役割を果たしています。必要なのは脱硫やNOXの削減等のよりクリーンな燃焼方法の研究開発です。なおCO2地球温暖化犯人説が破綻していることは言うまでもありません。
更に、太陽光発電は家庭・地域レベルでのミニマムなものは既に一部で実現していますし、大出力の発電所が停止しても一定程度の電力を確保できるという長所があります。
「結局、」化石燃料のより安全な入手ルートの確保とよりクリーンな技術の開発、及びミニマムな太陽光発電の推進を両頭とした政策の方が「より安全な原子力開発」よりも人類生存の近道であると当方は愚考する次第です。いかがでしょうか。
原発賛成(シブシブ賛成含む)派の方々は、反原発の人々の危惧していた事態(事故・被害)が起こったことの認識(正しく知るという意味)から始めるべきです。特に、広大な土地が汚染され、超長期に渡り被害が固定化され回復不能となることを考慮することが必要です。
今回の事故が「この程度」という評価では既にすまなくなっていることを踏まえるのは当然のことです。
福島県の相当部分と場合により、宮城、茨城の地域も立ち入りできなくなる可能性は無ではない。すでにスリーマイルを超え、チェルノブイリに近づいているではありませんか。
そして東電からはまだ何にも救いの手はない。東電の幹部全ての住まいと社宅を避難している人たちに何故さっさと開放しないか。東電の重役・取締りの給与返上が何故なされないのか。こんな企業が経営する原発はそれだけでも信頼の回復は不可能です。
新エネルギーとして、ぜひとも海底資源のメタンハイドレート開発も入れてください。