ユニクロ帝国の光と影
著者:横田 増生
文藝春秋(2011-03-23)
販売元:Amazon.co.jp
★★★★☆
今回の大震災では、お粗末な危機管理が批判を浴びた。霞ヶ関も東電もコンセンサスで動いている組織なので、リーダーがみんな調整型で、強い指導力と迅速な意思決定の求められる危機管理には適していない。これは多かれ少なかれ日本の企業経営にも共通する特徴だろう。
これに対して、本書が詳細に取材して描くファーストリテイリングの柳井正社長は、徹底的な独裁者である。意思決定は社長がトップダウンで行ない、業績の上がらない部門長は部下の面前で罵倒される。柳井氏が後継者に指名した玉塚元一社長さえ、言うことを聞かないと更迭する。その結果、執行役員のほとんどが精神的にボロボロになって辞めていく。
労働条件も苛酷だ。賃金は業績主義なので、店長でも売り上げの悪い店では月給25万円。それで1日10時間以上、休日出勤して月間300時間も働くと、時給はマクドナルドのアルバイトより悪い。長時間労働で体をこわして辞める店員も多く、5年ともたないという。
海外の生産現場でも、ユニクロの品質管理は並はずれて厳格で、コストダウンの要求はきびしい。それでもユニクロと契約している中国メーカーは取引をやめない。それはユニクロが100%買い取りでロットが大きいばかりでなく、他の日本企業のように売れ行きが悪いと引き取りを拒否したり値引き要求をしたりしないからだ。
著者は柳井氏の冷酷非情な経営の内幕を描き、労働条件の悪さを暴露するのだが、読んでいるほうは逆に「なるほどここまでやらないと業績は上がらないのか」と納得してしまう。みんなに好かれる人格者では、とてもここまで合理化できないだろう。もちろん彼がみずから『一勝九敗』というように失敗も多いが、問題は失敗をなくすことではなく、それを認めてすぐ撤退することだ。
本書を読むと、今回の事故対応にもみられる「兵士は優秀だが将校は無能」といわれる日本型組織の欠陥は国民性による宿命ではなく、経営者の力量と企業のガバナンスで克服できるものだと思う。日本が元気になるには、東電のような古い会社が退場し、ユニクロのような新しい企業がもっと出てくることが重要だ。
コメント
10年やそこらでユニクロの経営モデルを賞賛し、このモデルが正しいかのように認識するのは間違いだと思います。現在のユニクロの成功は極めて脆弱な基盤の上に成り立っていると思います。例えば、中国をはじめとする新興国での生産体制なんてものは、新興国の政治情勢によって大きな変化をもたらす可能性があり、為替レートの動向によっても大きく損失が生まれる可能性があります。
東電のような旧態依然の企業も、指摘されているように問題があります。しかし、1980代のアメリカの銀行が、中南米諸国のデフォルトによって、それまで累積してきた利益を吹き飛ばした事実を鑑みると、企業の成功モデルなんてものは、現時点での許容されるべきモデルであって、将来を保証するものでもなんでもないのです。
ユニクロのように現在、高収益を醸し出している企業は見方によっては、「機関車の前で小銭を拾っている」というように、ブラックスワンに対して極めて脆弱だといわざるを得ません。
minami2680さんの意見にはあまり賛同できません。
資産株の代表であった東京電力がたった2週間余りで1/3の株価になりました。
ブラックスワンはどの企業にでもあるのだと思います。
しかし、まれにしか起きないことが起きた時にうまく対応できるかどうかで、企業の盛衰を分けるのでしょう。
その上手い対応ができるか出来ないかが、リーダーシップの差であり、企業の力の差になるのでしょう。
ユニクロにブラックスワンがあったとしても、経営者が極めて優秀であるので、他の凡庸な企業より脆弱には思えません。
「兵士は有能だが将校は無能」や「日本陸軍は兵站を軽視していた」というのは、敗戦後に戦争責任を自分のことは棚に上げて、権力の側に全て転嫁しようとした日本人の悪い癖ですよ。
その通りだとしても、日本人は自分たちに相応しい将校や日本陸軍を持っただけの話です。
それから、日本陸軍は兵站を軽視していません。彼らも当時有数の軍を保持するくらいなので、それほど馬鹿ではありませんでした。
結果として兵站の問題により軍が各地で破綻したのは、制空権と制海権を連合国に奪われて十分な補給をしたくでもできなかったからです。
多くの輸送船団(護衛の艦船を含む)が連合国によって沈められたことは、制空権・制海権を奪われた中で日本軍は多大な犠牲を払ってまで兵站を何とかしようとしたことを物語っています。
いわゆる戦後の左翼文化人の発言ならいざしらず、それとは立場を異にする池田さんの発言としては残念です。
>労働条件も苛酷だ。
三六協定をきちんと結んだ上で、労働安全衛生法にもとづいて産業医の職場巡視も行った上で、月300時間の労働をさせているなら、外部の人間が文句を言うところではありませんが、多分、そうではないでしょう。過労の人が出る状況では、産業医が黙っていません。
ルールを逸脱したプレイを行って高得点を挙げた人を賞賛するのはいかがなものでしょうか。
柳井さんのような有能な方ならいいのですが、そうじゃないのに同じことをしてる人が多いと思いのでは?その場合、みんなが不幸です。
>>「兵士は有能だが将校は無能」や「日本陸軍は兵站を軽視していた」というのは、敗戦後に戦争責任を自分のことは棚に上げて、権力の側に全て転嫁しようとした日本人の悪い癖ですよ。
確かにそうなんです、一理あるんです。ですが、近代国家というのは権力に「公(おおやけ)」を制度的に集約しています。日本では権力者も含めて、棚に上げて皆で見るものが「公」である・・・。公儀的に。
対談 中世の再発見 網野善彦+阿部謹也 251頁より
「…つまり、構造が強烈な所では、反構造を強烈に出していくことができるんだけれども、日本の場合は構造が多面的で、どこに本筋があるのかわからない。そこで無縁という考え方を出されたから、構造の側からは受け止めにくいひとつの理由が出てくるわけです。しかし、無縁という考え方は、民衆の側に本来あった公を表現している概念だと思うのですよ」
構造が強烈な所、は、本書では「ある意味特殊であるヨーロッパ」を指します。権力の側に全て転嫁する、とは、「公儀」として見ているわけで、悪い癖のようでもヨーロッパが11世紀に失ったものでもある。だから、一概に「戦後左翼的」とするわけにもいかない(=これすら多面的)。
本書によれば、例えば「年中行事」は、「民衆の側に本来あった公」を制度化したもの、とされています。祭りにしても、網野善彦の言葉を借りれば、それは「無縁」のものであった。
>>霞ヶ関も東電もコンセンサスで動いている組織なので、リーダーがみんな調整型で、強い指導力と迅速な意思決定の求められる危機管理には適していない。これは多かれ少なかれ日本の企業経営にも共通する特徴だろう。
強い構造への志向。ただ現在の政府は江戸幕府よりも脆弱なように思いますから、強い構造を志向したところで、反構造=無縁=民衆の側に本来あった公、が滅びるとも思えない。
ユニクロ。価格の安さや成り上がり感から、チャチャのひとつも言いたくなりますが、製品のラインナップもブランディングもまた、クオリティもぬかりがない。ケチをつけようとする穴を先に察知し対策しているかのようです。
ユニクロの名を聞くと私の頭の中では印象の似た他の二企業が思い浮かびますが、それは孫正義率いるソフトバンクと永守重信率いる日本電産です。
確認すると柳井氏は前者の社外役員であったり、永守氏も含めた三者はプライベートでも大変仲が良いと聞きました。似た印象があるわけです。この三企業に私が共通していると思うのは「物事は一位にならなければ意味がない」と日本人の『勝ち馬意識』を五体で理解している思えるところです。
現在、ユニクロに現在対抗出来るのはもはやH&MやForever21といった外資企業だけで、その実際も首都圏が主で、日本国内全体で見ると実際は対抗しているとはいいがたい。
それで、私が懸念しているのは、日本経済がこのままデフレ状態であれば文化としてのファッションは軒並み淘汰が進み、国内ではユニクロだけが残り、他は海外製品といった極端な状況になり得るのではないか、という事。実際メンズのアパレルの現状は、ユニクロ以外、商売として成り立たなくなって来ています。
本来多様化し、高級な作りと素材、デザインの素晴らしさを身につけるファッションと言う文化は、日本においては未来が見えない。このままでは『ユニクロ』という『一定の選択余地ある人民服』だけになりかねないと言う事です。
良いか悪いかではなく『お金を稼いで良い物を着よう』と言う文化が中流から失せる事態を憂慮しています。
いや、これはユニクロ自身の問題ではないですが、ユニクロが存在していなければ日本人の現在のアパレルはどう進んでいたのか、興味がありますね。逆に言えばそれほど私には日本がユニクロ一色に見えるのです。
>>これはユニクロ自身の問題ではないですが、ユニクロが存在していなければ日本人の現在のアパレルはどう進んでいたのか、興味がありますね。逆に言えばそれほど私には日本がユニクロ一色に見えるのです。
同意同意。アパレルの話になると、いわゆる「イノベーションの功罪」は、罪の方を支持したくなってしまうな。安く良い人民服は幸福でしょうかという話ー。
私は,ユニクロが日本人のある種のウィークポイントを発見してそこを開拓した事実を見逃すべきではないと思っています。それは,
①40歳代以上の世代は「もったいない」を美徳だと考えている人々が大半であり,「着の身着のまま」を必ずしもネガティブなワードと捉えない。こうした層は個性発揮としてのファッションという発想がなく,安くておしゃれそうな服装であれば,他人と同じ店で買うことに抵抗がまったくないい。
②30歳代以下の世代は上記に当てはまらないが,まだ社会の実権を握っていないかまたは被扶養者(すなわち未成年)であるために,ファッションで自己主張するだけの力を持っていない。このため,①の層に巻き込まれてしまっている。
ということであり,したがって我が国のほぼ全体がユニクロをポジティブに捉えているということです。いずれ②の層が台頭してくれば,「理屈はどうあれ人と同じ店の者は着ない」となり,人民服現象は実現しないというのがDydoCorzineさんに対する私の意見です。ついでに言えば,小金が貯まるとこぞってブランド品を買い漁る日本人も激減するでしょう。韓国中国は周回遅れ(10~20年遅れ)でそうなるでしょう。
ユニクロの経営のやり方は新しいでしょうか?
現場の労働者達が過酷な労働を強いられる中で
柳井会長とその一族だけが豊かになり肥える・・・・・。
これでは、かつての消費者金融の武富士と
まるで同じではないか?
ユニクロのような新しい企業がもっと出てくることが大切だ・・・・・。
新しい企業が出てくることは歓迎すべきことだが
ユニクロが新しいとは驚きです。
新しいどころか女工哀史の時代にまるで逆戻りしたみたいな
印象を持ってしまいます。
あるいは羊の皮を被ったブラック企業と言うべきか。
佐川急便も似たような体質がありますが、それでも
過酷な労働に対する対価はキチンと支払っている部分があり
その点ではまだユニクロよりはマシかもしれません。
もし故・小室直樹氏が今生きてユニクロを見たなら
日本の資本主義が崩壊する前触れだと仰るに違いないでしょう。
おそらくマックス・ウェーバーも同じ印象を持つでしょう。
(断っときますが、自分は元来、自民党支持で
憲法9条についても改正すべきという考えを持ってます。)
もし日本のすべての企業がユニクロみたいな体質に
なってしまったら逆に日本の資本主義は滅びるでしょう。