経済学的に考えたときに、組織運営にとって肝要なことは、(1)組織の個々の構成員に適切な誘因(incentive)を与えることと、(2)構成員それぞれの行動が互いに整合的なものとなるように調整(coordination)をうまく行うことの2点であるといえる。まずは、皆に「やる気」を起こしてもらう必要がある。このために(1)が必要になるが、この課題が達成できただけでは十分ではない。
皆がやる気を出していても、それだけでは、それらが空回りするだけで終わりかねない。そうならないためには、各構成員の行動が相互にかみ合ったものになるように調整されなければならない。そうした相互調整が可能になるためには、その前提として構成員間での情報伝達・コミュニケーションが不可欠となる。特定の情報は関連した部署において「分散的に保有」されているのが一般的だからである。
人間の認知能力には限界があるので、ある程度以上の規模の組織の場合には、ほとんど例外なく階層的な構造になっている。そこで、簡単化のために、上位と下位の2層だけで、下位はAとBの二つのユニットからのみなるケースを模型的に考えることにしよう。このとき、相互調整の問題はAとBの活動内容がバラバラなものにならないようにするということになる。上位の役割は、こうした相互調整を行うことにある。
相互調整のやり方としては、1つに、AとBが直接にそれぞれの状況についての情報を「水平的」に交換し、互いの活動の整合化を図るというものが考えられる。これは、「分権的方式」と呼ぶことができる。この分権的方式が常に有効なものであるならば、上位の存在意義はないということになる。しかし、分権的方式は、AとBの個別利害が対立しかねない場合にはうまくいかないおそれがある。
例えば、全社的な最適化(利潤最大化)のためには、Aの活動の犠牲の下にBの活動を拡大させる(Aから資源を引き揚げてBに回す)ことが望ましいとしよう。そうであっても、水平的に情報交換を行い、それに基づいて同格の部署同士が交渉しているだけでは、Aの反対によって、そうした調整は実現されないだろう。換言すると、組織内部で利害対立の生じる可能性があるときには、上位の存在意義が生じ得る。
Aから上位へ、Bから上位へそれぞれの状況についての情報を「垂直的」の伝達し、その内容に基づいて上位が調整計画を決めて、その内容を下位に命令するというもう一つのやり方を「集権的方式」と呼ぶことにしよう。集権的方式がうまく機能するためには、AおよびBから正確な情報が上位に伝えられることが必要になることは、容易に理解されよう。上位がいかに優秀でも(というよりも、優秀であればあるほど)、間違った情報に基づいている限り、間違った決定しか下せないからである。
ここで、(1)のインセンティブの問題が、実は(2)の相互調整の問題においても重要であることが分かる。すなわち、AおよびBに正確な情報を伝えるようなインセンティブを付与しなければならない。そうしなければ、AやBは、情報(の一部)を隠したり、嘘をついたりして、伝達される情報の内容を歪めてしまうに違いない。
現実の大規模組織の相互調整のやり方は、分権的方式と集権的方式の両方の要素を含むものであり、そこにおいて、下位が上位に正確な情報を伝えるように適切なインセンティブを付与することの重要性は大きい。同じ程度の情報量であっても、上位の者がその情報に接したときに「喜ぶ」であろうものと、「怒る」であろうものとを比べると、前者のタイプの情報はきわめて迅速に下から上に伝わり、後者のタイプの情報はなかなか伝わらないというのが、組織の常である。
しかし、どんなに聡明なトップであっても、「有利な」情報だけを得て、「不利な」情報を知らないままでいて、正しい決定など下せるわけはない。トップというのは、孤独なものである。取り入ろうとして耳障りのよい話をする者たちには事欠かないとしても、なかなか苦言を呈したり、悪い話を聞かせてくれる人は少ない。組織には、そうしたバイヤスがあることを十分に認識した上で、意識的にこの種のバイヤスを打ち消す努力をしなければ、簡単に「裸の王様」になってしまう。
部下からの報告を聞いて怒鳴り出すような上司のところには、しだいに不都合な情報は入らなくなる。確実に部下は、そうした上司に対してはできる限り二度と「悪い話」は伝えないように努力することになる。これが、なぜトップは怒鳴ってはいけないのかの理由である。こうした推論からは、あの人にはもう「悪い話」は何も伝わらなくなっているのだろうと思わざるを得ない。
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池尾和人@kazikeo
コメント
池尾さんの話は、構造がすっきり理解できるものが多くてとてもためになります。ありがとうございます。
異論は全くないのですが、「経済学」でしょうか?ゲーム論で比較制度論など経済学の範囲が広がっていることや、別の分野ですが2年前にオストロムがスェーデン中銀経済学賞を受賞したことも考えれば、経済学も広がりますが「資源配分」の議論、インセンティブの対価が議論の対象にならない組織運営までを経済学というのは、やや違和感を覚えます。
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まあ、経済学の定義にはいろいろあり得るとは思いますが、例えば『組織の経済学』という、邦訳が既に15刷か16刷を重ねているロングセラーの名著があって、今回のような議論はその考察範囲に完全に入っています。
http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%84%E7%B9%94%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%A0/dp/4871885364
なお、「組織の経済学」と「経営学」の違い(考察対象は同じだが)については、伊藤秀史さんがどこかでエッセーを書いていたと思います。
--池尾