「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」

矢澤 豊

個人的な趣味のお話をさせてもらう。


イギリスのスパイ小説の大家、ジョン・ル・カレの作品で、すでに「古典」とさえいえるスパイ小説の映画化。私としては今年の秋以降に公開が予定されている映画の中で、一番注目している。

1974年に発表された原作小説は、1979年に、イギリスの公共放送局、BBCによりテレビ・シリーズ化されている。このテレビ・シリーズでは、裏切り者の二重スパイを追いつめる主人公、イギリス情報局のスパイマスター、ジョージ・スマイリーの役を、アレック・ギネスが演じた。(ギネスは、「スターウォーズ」エピソード4・5・6でのオビ・ワン・ケノービを演じた名優。)

この1979年のテレビドラマ版は、アレック・ギネスの名演技と、原作の一歩一歩確かめながら進むようなペースを尊重したストーリー運びで、数あるBBCテレビドラマの名作の中でも、屈指の作品なので、この映画リメイクの話を聞いた時、私は、

「プロデューサー、クソ度胸ありまくりだな~。」

と感心すると共に、キャスティングに注目していたのだが、実際の顔ぶれをみて、ぶっ飛んでしまった。

スマイリー役で、アレック・ギネスにタイマンをはるのは、現代イギリスを代表するともいえる「怪」優、ゲイリー・オールドマン。

スマイリーの情報局における同僚にはベテラン俳優のジョン・ハート、今年「キングス・スピーチ」でオスカーを獲得したばかりのコリン・ファースなど。

スマイリーの右腕となって、秘密捜査を行うのが、最近NHKでも放映された「シャーロック」で、21世紀版シャーロック・ホームズを演じて人気上昇中のベネディクト・カンバーバッチ。

私としては、この映画リメイクのプロジェクトを押し進めたのが、脚本家ピーター・モーガンであると知って、なにか私個人の理解の範疇で、納得できるものがあった。

ピーター・モーガンはここのところコンスタントにヒット作品を輩出しているイギリスの人気脚本家だが、彼の作品の底辺には常に「疎外感」というテーマがある。

ダイアナ妃の死に際してのエリザベス女王の心情を描いた「ザ・クィーン」や、ウォーターゲートのスキャンダルをうけて大統領を辞任した後、初のインタビューに臨むニクソン大統領を題材にした「フロスト/ニクソン」も、「世間」や「主流」といったマジョリティーを斜に眺める、主人公のアウトサイダー的側面にストーリーを照射して成功している。

これはモーガン氏本人が言っていることだが、これはドイツから亡命してきたユダヤ人の子供としてイギリスで育った、氏個人の経験がその素地にあるということだ。

ある意味、インサイダー中のインサイダーである、イギリスの情報局にありながら、ソ連の二重エージェントという裏切り者の人生を選択する、この「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」の影の主役は、「ストーリー・テラー/物語り屋」としてのモーガン氏にとって、あらがいがたい魅力のある題材だったのだろう。

ご存知の方は知っていると思うが、この「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」は実際にあった、イギリス情報局における二重スパイ・スキャンダルを下敷きに書かれている。

第二次世界大戦から戦後に至るまでの期間、イギリス情報局のエリート・スパイであった、キム・フィルビーをはじめとする「ケンブリッジ5人組」といわれるグループが、全てソ連の二重スパイだったという事件だ。

1963年、フィルビーはソ連に亡命する。

フィルビーの裏切りにより、スパイとしての本性を暴かれ、諜報活動に関われなくなったイギリス・スパイたちの中に、当時、西ドイツで外交官という名目で活動していた、デイビッド・コーンウェルという人物がいた。諜報活動からの引退を余儀なくされて、文筆業に入った彼が選んだペン・ネームが「ジョン・ル・カレ」(フランス語で、「四角い(真面目な)ジョン」という意味)。

以前のエントリー(「レードル大佐」:目標を失った官僚の末路)でも触れたが、「裏切り」には動機が存在する。たいていの場合、それは「価値観の崩壊」ということが引き金になっている。

「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」における裏切り者にとって、それが何であったかということは、これから映画を観る、または原作を読まれる皆さんの為に、ここでは秘しておく。

結局、スマイリーは、組織の裏切り者を突き止めるのだが、その「動機」という真実は、以前にもまして曖昧さを深める。それは、フィルビーをはじめとする、当時のイギリスのエスタブリッシュメントに裏切られた、一人のスパイとしてのル・カレのやり場の無い、怒りと失望の反映なのではないかと私は思う。

1979年のテレビドラマ版では、スマイリーの不貞の妻として、1シーンのみの登場ながら、ドスが利きまくった演技を披露した、シアン・フィリップス(俳優ピーター・オトゥールの元妻)が、パンチの効いたラストのセリフを言う。

「あなたにとって、人生とは『謎』なのね。」

オマケ
まだ可愛さが残っていた若い頃のゲイリー・オールドマン。

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