自己情報コントロール権は法的に保護される利益か

山田 肇

3月26日に仙台地方裁判所が「陸上自衛隊がイラク派遣反対運動の参加者を監視して個人情報を集めたのは違法」との判決を出した。朝日新聞によると、陸上自衛隊情報保全隊の情報収集によって、原告が個人情報をコントロールする利益、すなわち人格権を侵害されたという判断が出たという。念のため判決文をチェックしたら、本当にそのように書いてあった。「当裁判所の判断」において、行政機関保有個人情報保護法の概要を説明した後に、次の記述があった。

遅くとも行政機関保有個人情報保護法が制定された平成15年5月30日までには,自己の個人情報を正当な目的や必要性によらず収集あるいは保有されないという意味での自己の個人情報をコントロールする権利は,法的に保護に値する利益として確立し,これが行政機関によって違法に侵害された場合には,国(被告)は,そのことにより個人に生じた損害を賠償すべきに至ったと解される。

その上で、自己情報をコントロールする権利を侵害した行為は違法であり損害賠償すべき、という判決が出た。しかし、本当に『自己情報コントロール権』なるものは法的に確立した権利なのだろうか。

自己情報をコントロールする権利を認めると、表現の自由が侵される。政治家のスキャンダルを暴いたら、政治家から「私の名前は個人情報であり、削除せよ」と要求されてしまう。そんな権利が認められるのだろうか?

ネット社会では膨大な個人情報が収集され、分析され、それに基づいて様々なサービスが提供されている。それら一つ一つについて、情報の元となった個人に収集前にすべて確認が取れるのか。あるいは、正当な目的や必要性によって収集あるいは保有されていると、後から確認していくことが現実的に可能なのか。仮に「自己情報コントロール権」が確立していたとしても、行使するのは経済的に不合理である。

雑誌・日経コンピュータ3月29日号の特集は『個人情報を使い倒せ』である。記事にもあるように攻める米国に対して日本は萎縮している。プライバシーへの配慮は必要だが、個人情報というだけで利用しないのではビジネスの発展はない。

判決に戻るが、共産党市議について氏名や職業、所属政党などの情報を集めることが、思想信条に直結する個人情報まで集めたと認定される理由は僕には全く分からない。その個人は、市議になった時点で、すべてを公然と明らかにしたのではないのか。

山田肇 -東洋大学経済学部-