アゴラで山口さんが書いているが、ユニクロが大学1・2年生10人に内定を出したそうだ。これは初めてではなく、私が去年、ニューズウィークで紹介したときは大反響があり、2000以上のRTがついたが、否定的な意見はほとんどなかった。みんな大学が役に立たないことを知っているのだ。
そのときも書いたことだが、これはユニクロが「大学の役割は入試ですべて終わり、大学教育には価値がない」と判断していることを示しており、それは正しい。少なくとも文科系に関する限り、大学教育は教科書とテレビ授業で十分だ。ゼミには価値があるが、それに特化するなら今の大学制度はやめてアゴラ経済塾のような形でやればいい。
これは世界的な問題である。欧米では修士・博士などの高学歴化が進んでいるが、その研究内容が実務と無関係だという批判が強い。アメリカの競争力の源泉が大学だといわれるのは一部の超一流大学だけで、佐々木紀彦氏も書いているように、そういう学生は何も教えなくても勉強する。底辺のカレッジでは、定員割れや「学級崩壊」が問題になっている(日本の地方大学と同じ)。
世界銀行などの調査でも、大学入学のシグナリング効果は高いが、人的資本形成の効果は統計的に有意でない。したがって大学教育の私的収益率は高いが社会的には浪費だというのが定型的事実である。むしろ若者を4年以上も生産から隔離するため、GDPにはマイナスの影響を与えている。私も一流から三流まで多くの大学で教えたが、日本で大学として存在価値があるのは早慶クラスまでだと思う(ちなみに私は3月で常勤の教職は辞めた)。
私は生産力の低いマスコミ・役所・大学という3つの業界に勤務したが、中でも最低なのは大学だ。しかも偏差値のいちばん高い人々が大学に集まって、昔ながらの徒弟修行で人的資本を浪費している。この状況を変えるには、就職協定を廃止して企業が「大卒」ではなく「大学入学」を就職の資格にし、入試の終了とともに就職の面接を行なえばよい。もちろん教育に価値があれば勉強を続ければいいが、そうでなければ1年の4月で退学すればいい。
これによって教育内容の貧弱な大学は授業料が取れなくなって倒産するだろう。それを避けるには専門的な授業を充実させ、知識の古くなった教師をクビにして優秀なポスドクを採用するしかない。日本の普通の企業は長期雇用でも出世競争があるが、大学はテニュアを取ったら出世も左遷もないため、何も仕事しないことが合理的だ。
むしろ専門学校を充実して実務教育を「大学」に格上げし、大学院も専門職大学院にしたほうがいい。学部からの進学は認めず、社会人経験を必須とすべきだ。私学助成も廃止し、貧しい学生には奨学金(バウチャー)で援助すればよい。研究者養成は、今の大学院の1割以下の特殊な学校と割り切ればいい。
哲学や文学などはどうするのか、という疑問もあるかもしれないが、そういう教養科目はいつでも学べるので、塾やカルチャーセンターで十分だ。社会人を対象としたアゴラのセミナーは、大学よりはるかにモチベーションが高く生産的だ。日本はもう一度、福沢諭吉の時代に戻って「塾」からやり直すべきだと思う。
追記:常見陽平さんから指摘を受けたが、正確には就職協定ではなく倫理憲章と呼ぶ。