アゴラ研究所フェロー 石井孝明 (GEPR版)
1・はじめに
2030年の日本のエネルギーを国民参加で決めるとして、内閣府のエネルギー・環境会議は「エネルギー・環境に関する選択肢」で3つの選択肢を示した。(以下、単に「選択肢」「シナリオ」とする)(注1・同会議ホームページ「話そう“エネルギーの環境と未来”」)
内閣府はこの3つの選択肢の中から、将来の電源の目標を「国民的議論」によって選び、8月中にまとめることを表明している。ところがこの決定方法は問題だらけだ。
まず決め方がおかしい。エネルギー政策のように、踏まえるべき視点やデータが多すぎる問題では、大衆討議的な方法が意思決定になじむのかという本質的な疑問がある。また選択肢の作成では、経済界や電力会社への詳細なヒアリングが行われていないという。今年8月に決めることも拙速すぎる。
次に、「2030年の原発の発電割合の数値目標を定める」という問題設定に無理がある。エネルギーの供給者は民間企業、そして需要者は国民一人ひとりだ。市場メカニズムの中で原則として電力の需給と価格は決まる。政府が統制しようという試みは計画経済の色彩が濃くなるし、不可能であろう。また無資源国日本は輸入に頼る以上、エネルギーの供給をコントロールできない。
しかも今はエネルギーをめぐる「変数」が多すぎる。電力自由化、自然エネルギー振興も民主党政権は掲げ、その影響は不明だ。最大の電力供給者の東京電力の経営は破綻状態で、その先行きは分からない。また海外に目を転じれば、原油価格の先行き、太陽光発電関連企業の相次ぐ破綻、中東情勢、ロシア情勢などの懸念材料が並ぶ。未来を正確に予見できる状況ではない。
そして、さまざまな問題に加えて、選択肢の内容そのものがおかしい。その精査を行うと、数値目標の想定がとても「いいかげん」だ。
本稿ではとくに「エネルギー需要」「電力需要」「経済影響」の想定の欠陥を指摘する。
日本のエネルギーの将来を、問題だらけの想定に基づいて決めてはならない。筆者は日本経済の将来を憂いている。
2・“またもや”エネルギー需要・電力需要予測は外れるだろう
「シナリオ」はいずれも、年率約1%で経済規模が増大するにもかかわらず、2010年から2030年までの平均で、10年比マイナス約20%のエネルギー需要減少、およびマイナス約10%の電力需要減少を見込んでいる。
過去についてみると、経済成長率とエネルギー消費量・電力消費量は正の相関をするのが通常であったから、突然このトレンドが変化して大幅な減少に向かうとは考えにくい。
このような大幅な省エネ・省電力が可能である理由として、政府は積み上げの試算をしている。資料は文字通り「山ほど」作成された。(注2・同会議ホームページ)
ただしその内容は「ブラックボックス」、つまり中身が公開されていないもので、外部有識者の精査に耐えるものになっていない。
そして、このような政府のエネルギーをめぐる試算は、きわめてよく外れる。試算の前提条件が大雑把に過ぎて、現実的でないのだ。帳尻だけ合うように、さまざまな数字が操作されたに過ぎない。
類似の試算は、これまでに何度も政府でなされたが、大きく外れて、そのたびに見直しを余儀なくされてきた。例えば何度も作り替えられてきた「京都議定書目標達成計画」はどうだっただろうか。(注2・同計画(平成20年(2008年改訂版))
家庭部門についてみてみよう。
1)平成17年(2005年)の政府発表では、平成14年(2002年)の排出量が166(単位は100万トンCO2、以下同様)であったところを、平成22年(2010年)には137まで下げる、と計画していた。
2)ところが排出量は増え続けた。平成20年にこの計画は改定され、平成17年の排出量が174であったところを、平成22年に140程度まで下げる、と上方修正された。
3)だがまたしても排出量は減らず、平成22年の実績値は、結局、173となった。これは平成17年に計画していた目標である137を大きく上回った。(図2)
図2 京都議定書目標達成計画と実際のCO2排出量(家庭部門)
業務部門においても同様だった。
1)平成17年の政府発表では、平成14年の排出量が197であったところ、平成22年には165まで下げる、となっていた。
2)ところが排出量は増え続けた。平成20年にこの計画は改定され、平成17年の排出量が239であるところ、209程度まで下げる、と上方修正された。
3)だがまたしても排出量は予想通りに減らず、平成22年の実績値は、結局、217となった(このときは幸か不幸か、リーマンショックによる減少)。これは平成17年に計画していた目標である165を大きく上回った。
図3 京都議定書目標達成計画と実際のCO2排出量(業務部門)
家庭部門、業務部門ともに、今回の「シナリオ」と同様に、事前に「積み上げ試算」が実施されていた。しかし、現実にはこの通りに行かず、排出量目標はたびたび上方修正され、最終的には当初の目標を大幅に上回ることとなった。(注3)
今回もこの京都議定書目標達成計画と本質的に同じ作業を繰り返しているだけだから、同様の失敗をする、と考えることはごく自然であろう。京都議定書目標達成計画のときもさまざまな政策が打たれたが、その努力にもかかわらず、やはり需要は増えた。
経済が成長する限り、エネルギー需要も電力需要も増え続ける。そのトレンドを逆転させることは極めて難しい。今回の予想も“またもや”外れる可能性が大きいのだ。
(注3)ここで挙げた数値は以下の政府資料による(本稿末付録を参照)。
「京都議定書目標達成計画 平成17年(2005年)4月28日策定」、内閣府p14
「京都議定書目標達成計画 平成20年(2008年)3月28日全部改定」、内閣府p13
「京都議定書目標達成計画の進捗状況」平成23年(2011年)12月20日、内閣府p1
3・経済影響は、“もっと”大きいはず
今回の選択肢については、数値モデル試算によって、その経済的費用が試算されている。
国際競争力の低下を取り入れた唯一の試算を行ったRITE(地球環境産業技術研究機構)によれば、GDPの損失は26.6兆円~46.2兆円となっている。
これは「選択肢」が想定している平均1%の経済成長のもとでは、現在の500兆円のGDPが今後20年間で100兆円しか伸びないことを考えると、大変な重荷となる。
しかしながら、この数字は、二重の意味で大変な過小評価になっている。
第1に、上記のような実現可能性の極めて乏しい省エネ・節電が「コストゼロ」で実現すると仮定しており、そこからの追加的な費用しか計算していない。
このコストゼロの省エネ・節電という「前提」と称するものが崩れるならば、経済はマイナス成長する可能性もある。このことは、今回のモデル計算では考慮されていない。これは、RITE側も明白に説明している。(注4)
第2に、この経済影響は、政府が理想的な方法で政策を実施した場合の数字である、ということである。
モデル試算というのは、政府の政策についても、市場の反応についても、一定の合理的な行動を想定している。とくに政府の政策についてはそうである。ところで今回の政策のリストを見ると、省エネルギーにしろ、再生可能エネルギーにしろ、かなりの政府の介入によって実現するとしている。では、これらの介入は、モデル試算で記述されるような合理的なものになる見込みはどのぐらいあるのか。
これまでの日本の温暖化対策を見てみるとよい。今の日本の温暖化対策予算は、政府自治体合わせて年間3兆円に上る。しかし、この使途には林業の補助や公共交通機関の維持などが含まれていて、CO2削減に効率的に結びついているようには見えない。年間3兆円で、いったいどれだけのCO2が減っているのだろうか。
またバイオマスニッポン計画では、7年間で6.5兆円が費やされたが総務省の行政評価では「成果ゼロ」の烙印を押された。(注5)
これは、個人のモラルの問題ではなく、政策や制度の問題である。個々の行政官は、立派な方ばかりである。ただし制度として、政府が大幅に介入して温暖化対策をやろうとすると、さまざまな利害調整に直面し、何兆円かけてもほとんどCO2が減らない、ということが起こりうる。
モデル試算の結果は、「これだけの費用をかければ、これだけの省エネ・新エネが入って、これだけのCO2が減る」と読んではいけない。逆に、「これだけの省エネ・新エネが入って、これだけのCO2が減るためには、かなり理想的な政府であっても、少なくとも、これだけの費用がかかる」と読まねばならない。このことはオランダの経済学者で温暖化問題を研究しているリチャード・トル氏が以前IPCCのモデル試算を対象として指摘していたことだ。今回の「選択肢」のモデル試算についても、そのまままったく当てはまる。
(注4)「GDPは成長を想定している一方、発電電力量はほとんど増えないという過去のトレンドと全く異なる仮定をおいた上での経済影響推計であり、逆に言えば、発電電力量の想定を正とすれば、GDPはほとんど成長しない、更に選択肢による経済損失を加味すれば、マイナスのGDP成長も十分予測し得るものである。いずれの選択肢においても2030年に現在よりもGDPが成長することを保証しているわけではない。」(秋元圭吾、エネルギー環境会議選択肢RITE分析の概要)(筆者注・「発電電力量の想定を正とすれば」とは、「発電電力量の想定をこのようにマイナスの伸びとするならば、通常のモデル計算であれば」という意であると思われる)
(注5)総務省「バイオマスの利活用に関する政策評価<評価結果および勧告>」、2011年。分りやすい解説として、「再生可能エネルギー政策論」(朝野賢治著、エネルギーフォーラム社)。
4・「シナリオ」の危険性
これらの「シナリオ」の想定が実現する可能性はゼロではない。しかし、きわめて難しい。このシナリオの実現を目指すとコストが法外にかかることになるだろう。
どのようなコストかというと、まずエネルギー需要は、これまで述べたよりもさらに高く推移する可能性があることに留意する必要がある。「シナリオ」はいずれも、2030年までの平均で年約1%の経済成長を見込んでいる。(注6)
しかし、これは国の成長戦略方針である平均で年約1.5%の経済成長の目標と相容れない。(注7)経済成長率の0.5%の違いは、20年間累積すると経済規模の10%の違いになる。エネルギー消費量もCO2排出量も、経済規模に比例するのが普通であるから、経済成長率の0.5%の違いは、20年間累積すると経済規模の10%の違いになる。
このような可能性をおくとしても、いずれの「シナリオ」でも、経済成長率が低いのみならず、エネルギー需要、電力需要のいずれも低い水準で推移するとしている。
また再生可能エネルギーについては過度な期待がある。現実にはこのシナリオに比べて、電力需要は大きく上振れする一方で、再生可能エネルギーは大きく下振れする可能性が高い。この結果、エネルギー需給・電力需給がいずれも逼迫する。
原子力、火力といった大規模な電源を整備するためには、長期的な計画が必要である。今回提示されたシナリオを選択すると、どれを選択した場合においても、そのような長期的整備を行うことの必要性を認識しないことになってしまう。需給が逼迫してから慌てて修正しようとしても、間に合わず、慢性的なエネルギー不足や電力不足が生じる可能性が生じてしまう。
将来のエネルギー供給に不安があるとすれば、優良な企業、最新の技術に投資する企業ほど、日本国内に投資をしなくなってしまうだろう。これは日本経済にとって、長期にわたる大打撃になる。
さらに、省エネルギー・省電力は、シナリオ通りには進まないと見られるが、今回、シナリオを選択すると、これをシナリオ通り実行しようとする政治的な力が働き、これは技術的に未熟で高価な省エネ・省電力機器へのばらまきとなって、多大なコストになることが懸念される。
今回提示されたシナリオは、いずれも、現実性がきわめて乏しい。仮にこれらのうち一つが選択されたとしても、現実の実施段階においては、大きな混乱とコストを招いた挙げ句、すぐに大幅な見直しを余儀なくされるだろう。
したがって、どのシナリオを選ぶことも適切ではない。これらのシナリオはすべて白紙に戻し、あらためて日本のエネルギー需給のあり方についてより専門的な検討を行うことが最善である。
(注6)正確には、2010年代で年率1.1%、2020年代で年率0.8%のGDP成長率(実質)を想定したものであり、「慎重ケース」と命名されている。
(注7)政府は2020年度に向けて年2%程度の実質成長をするという方針を掲げている。(「日本再生の基本戦略」平成23年(2011年)12月、閣議決定p5)
国の経済成長の方針と「選択肢」の不整合について指摘するものとして「「エネルギー・環境会議」による複数のシナリオの提示についての要望」一般社団法人 日本鉄鋼連盟/日本基幹産業労働組合連合会、平成24年(2012年)6月20日
付録 京都議定書目標達成計画と実際の排出量の経緯
計画
「京都議定書目標達成計画」平成17年(2005年)4月28日策定」、p14
実際
「京都議定書目標達成計画 平成20年(2008年)3月28日全部改定」、p13
【本稿は、筆者が電力中央研究所主任研究員杉山大志氏など、複数の識者に取材をして情報を整理し執筆した。杉山氏、ならびに協力いただいた識者の皆様に感謝を申し上げる。】