金融庁・不正対応監査基準はなぜ具体的事件を想起させるのか? --- 山口 利昭

アゴラ編集部

9月下旬に金融庁HPにて、「不正に対応した監査の基準の考え方(案)」と題する新しい監査基準の素案が審議会資料として公表されております。いろいろと忙しかったもので、遅ればせながらやっと目を通し終えました。本素案につきましては監査役と会計監査人の連係などを含め、山ほど申し上げたいことがございますが、2回にわたって法律家の視点から(もちろん、外野の一弁護士としての視点にすぎませんが)、コメントをしたいと思います。なお、本素案を読むに際し、昨年12月22日付け日本公認会計士協会による報告書「財務諸表監査における不正」も参考になります。


まず、この不正対応監査基準の内容は、前回の審議会に欠席されていらっしゃった委員の方の意見書にもありますように、オリンパス事件を想起させる内容となっていることは明らかであります。あくまでも例示ではありますが、監査手順や監査法人の品質管理の場面において、かなりオリンパス事件を意識した形で基準が作成されているように思えます。ひょっとすると「場当たり的」なルール改正であり、「ともかく作りました」といったアリバイ対策で基準が策定されたのでは?といった意見も出るかもしれません。しかし、大手監査法人が「思い出したくもないような」こういった具体的な事件の想起というのは、ルールを作る側とすれば当然に意識するところであります。

行政が、市場の健全性確保のために会計不正事件の防止を図る場合、方法としては事前規制と事後規制の手法があることはご承知のとおりであります。最近は課徴金制度の多用によるSESC(証券取引等監視委員会)の頑張りなどによって事後規制的手法が注目を集めております。しかし、監査基準の改正は(投資家の証券被害を未然に防止するといった)事前規制的手法であり、公認会計士・監査法人の監査の行為規範となるものです。したがいまして、事前規制(ルールの定立)にとって重要なことは、会計士さん方に「こういった行動をせよ」と明示して、守るべき規範の中身を明らかにするところにあります。

では、そういった新しいルールを会計士さんにどうやって遵守してもらうか、というのが次の課題であります。会計士さん方にルールを守ってもらうためには、当該ルール違反には課徴金処分や懲戒処分という厳罰(?)が待っている・・・という事後規制的手法も考えられます。しかし、それは投資家が損をしてしまった後の問題でありまして、どのような理由があるにせよ、投資家の利益を未然に防止する、という行政目的を達成することはできません(つまり金融庁が一般国民から責任を問われる、という事態になってしまいます)。したがいまして、投資家の利益を未然に防止しながらも、会計士さんに新しい行為規範を遵守してもらう必要があるわけです。

そこで考えられるのが、規範遵守に向けた会計士さんの「職業倫理」の向上と、犯罪行為の想起、ということになります。たとえば今回の不正対応監査基準では、前半に職業的懐疑心の強化、ということが挙げられていますが、これは内容は抽象的かもしれませんが、公認会計士としての職業倫理の向上、ということと密接に結びついているものと思われます。そしてもうひとつが「犯罪行為の想起性」であり、これがまさにオリンパス事件を想起させる内容とされているところであります。

一般事業会社においてコンプライアンスルールを策定する場合にも、「想起性」がよく活用されるところであります。本来は社長が常に社内ルールの遵守を徹底させ、ヒヤリ・ハット事例があれば厳しく叱責する、というのが最も効果的なのでありますが、社内の全役職員が「思い出したくない、思い出すだけで嫌な気分になってしまうような」事件について、これを想起させるルールになっておりますと、かなり効率的に、長期間にわたってルールの規範的効力が維持されます。具体的には、たとえばルール違反の疑いが生じた場合、現場担当者が内部監査や法務担当者に「これってルール違反でしょうか」と聞きに来られるケースが増える、という効果が生じます。これと同様の効果が今回の不正対応監査基準の素案には活用されているものと思われます。

さて、明日(もしくは明後日)は、この続きとして、不正対応監査基準(案)で中心テーマとされている「不正リスクの評価問題」と「不正の端緒の把握」との法律的な関係について述べてみたいと思います。職業的懐疑心というところだけを強調してしまいますと、それこそ監査報酬がどれだけアップしても足りない、ということになってしまいそうで、経済界からも反対されそうでありますが、このあたりにバランスへの配慮の跡が見え隠れしているように思います。


編集部より:この記事は「ビジネス法務の部屋 since 2005」2012年10月10日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった山口利昭氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はビジネス法務の部屋 since 2005をご覧ください。