いよいよ、総選挙が始まった。
原発事故が起きた当初は、判りやすく合理的説明に納得して「原発擁護論」に傾いていた私だが、今は気持ちが揺れている。
原発問題は本当に難しい。
「事実には『信ずる事で事実となる信仰上の事実』と『合理性を求められる事実』の二種類ある」という事を、米国の神学者から教えて貰った事がある。
今回の「原発論争」は、原発擁護派の「合理性」と、環境保護と再生可能エネルギーを信仰する脱原発派の「信仰」の衝突に終始し、最後まで話が噛み合わなかった。
「原発擁護論」の弱点は、「国民を不安から解放する」政治の使命や国民感情への配慮に欠け、合理性を追求する余り、人間を「統計上」の物体のように扱った事にある。これでは国民の共感は得られない。合理的な事と冷たい事は別である。
それに対し「反原発派」の弱点は、再生可能エネルギーに対する信仰の厚さは良しとしても、合理的な説明の不足と、自分に不利な情報を隠す悪癖がある事だ。
例えば、欧米のメデイアが「ドイツのエネルギー大転換政策は、環境政策の歴史で、最も高価な誤りに終わりそうだ」と伝えた記事や、ドイツの有力誌「スピーゲル」が「元々メルケル首相の強い指導力で担保された補助金と、温暖化ガス削減のためには自己負担もすると言う国民の合意でスターとした『エネルギー大転換政策』だが、最近の世論調査では、国民は急激なコスト高と供給不安に嫌気が刺し、原発の廃止より安価で安定したエネルギーに関心が移り、来年の総選挙では、原発の見直しを求める可能性が高い」と伝えた10月15日の記事を、脱原発派は一切無視している事にに表れている。(スピーゲル誌の英文コラム全文はjlp/SPIEGEL/wireを御参照頂きたい)
スピーゲル誌が、再生可能エネルギーに厳しい記事を書いた2日後の、10月17日に発表された自然エネルギー財団の「ドイツ視察報告書(http://jref.or.jp/document/doc_20121018.html)」は、『エネルギー大転換政策』は全て順調に推移していると言う結論を出している。
私は、「ドイツ視察報告書」が正しいのか、「欧米の報道」が正しいのかを判断出来る立場にはないが、この問題については、余り人の目に触れない自然エネルギー財団の報告書より、多くの読者の批判にさらされる欧米の報道を信用する。
新しい事を試みる時にリスクを伴うのは当然である。だからこそ、ドイツ国民は再生可能エネルギーを支援する為に、政府補助金に加え、電力料金の値上げを受け容れたのであり、国家の基本的インフラであるエネルギーの大転換に、リスクが無い筈はない。
私個人は、エネルギー大転換は相当のリスクを覚悟してもやるだけの価値はあると思っており、環境保護に献身する人々には敬意を抱いている。然し、再生可能エネルギーは万能薬だから、大転換にリスクが無いと誤解させる言動をとる人々は、信仰を超えたカルトの言動と同じで、見苦しい。
「即脱原発」組は、再生可能エネルギーに対する信仰の厚い人々と、得票目的に転向した俄かキリシタンに分かれるが、いつ又転向するかも判らない俄かキリシタンに、長期的な政策を任せるわけには行かない。
因みに、2009年のマニフェストで脱原発を主張したのは共産党と社民党だけで、他の政党は原発必要論であった。
今度の選挙で選択するエネルギー政策は、下に触れた様に、トレードオフするリスクの選択でもある。
- 「即脱原発」を基本とし、再生可能エネルギーをその代替とする政策(原発リスクと生活水準低下や失業のリスクとのトレードオフ)。
- 「原発」を基本とし、再生可能エネルギーをその代替とする政策(原発リスクと生活水準低下や失業のリスクとのトレードオフ)。
- 「即脱原発」を基本とし、再生可能エネルギー技術の完成までは、化石燃料を代替とする政策〔原発リスクと温暖化ガスの増大リスクのトレードオフ)。
- 信頼できる代替エネルギーが完成するまでは、再生可能エネルギーと化石燃料、原発の最適ミックスをとる政策(原発リスク、地球温暖化リスク、国民経済リスクの最適ミックスの選択―英国政府が発表した最新の環境エネルギー政策)。
「神様は、人間に一つの口と、二つの耳を与えられた」という諺は何処の国でもあるが、この諺は、政治家には「しっかり相手の話を聞きなさい」と諭し、国民には「一方の言うことのみを鵜呑みにしないで、必ずもう一方の言い分にも耳を傾けなさい」と言う教えである。
願わくは、環境保護と再生可能エネルギーに情熱を燃やす真面目な市民運動家と、合理的なアプローチを強調する原発擁護派の論客が、俄かキリシタン政治家を外して、お互いにレッテルを貼ることなく語りあい、国民が夫々の主張に耳を傾ける機会を得た上で、悔いのない選択をしたいものである。