「官民ファンド」批判は不毛だ

森本 紀行

安倍首相は、成長戦略のなかで、「官民ファンド」に重要な位置づけを与えている。その代表格が産業革新機構である。さて、産業革新機構に期待される機能だが、それは、ジャパンディスプレイの創出によく現われているような気がする。つまり、資本の再編による産業構造の革新である。


もともと、ソニー、東芝、日立製作所の各社それぞれの中小型ディスプレイ事業は、技術水準や商品の国際競争力の次元において、一定の価値を有していたのだと思われる。しかし、その三つの事業を統合すれば、無駄な重複を排除でき、規模の経済による費用の合理化が実現でき、技術面における相互補完もできて、顧客基盤も拡大できるだけでなく、不毛な価格競争からも脱却できて、商品の付加価値における真の競争に注力できるようになる。

こうして、国内三社の狭い競争から脱却し、国際的な舞台における競争に注力できる体制を作ることで、日本産業の国際競争力を強化していく。まさに、1+1+1が3よりもずっと大きくなるわけで、これこそが日本産業の革新なのであり、「官民ファンド」としての産業革新機構の機能なのである。

しかし、そのような資本再編は、資本主義社会においては、純粋な資本の論理によって実現されるべきものであって、産業革新機構というような政府機関によって行われるのは、明らかに資本主義の理念に反してはいるのではないかという反論はあり得る。理屈のうえでは、その通りなのだ。

金融の世界では、産業革新機構がジャパンディスプレイの創出に際して演じたような役割は、純民間のプライベートエクイティの運用会社が果たしている。日本ではともかく、少なくとも、米国においては、そうである。実際、産業革新機構が「官民ファンド」と呼ばれるゆえんは、それがプライベートエクイティの投資ファンドに他ならないからだ。ただし、資本の出所が、純民間ではなくて、政府であるところに特色があるだけである。

資本の出所の問題にすぎないとはいえ、資本の再編などということは、資本主義の動力に相当するところですから、そこに政府資金が入ってしまったら、おかしいのではないかという批判は、当然にあり得る。資本主義の本質を歪めるものではないのか、政府の民間事業への過剰介入ではないのか、産業革新どころか産業保護ではないのか、などなど、ありとあらゆる論難を受けるであろうことは、政府も産業革新機構も、おそらくは、承知のうえであろう。

では、批判を承知で、なぜ、産業革新機構ができたのか。なぜ、それが安倍政権の経済政策の中核に座るのか。これは、要は、ジャパンディスプレイは産業革新機構なしでもあり得たかという問いに帰着する。おそらくは、あり得なかったのだ。であるから、資本主義の原点のような場所においてすら、政府機関である産業革新機構が必要なのである。

まさか、日本の産業界においては、政府主導によらなければ、資本再編は進まないとまでいい切ることには、私にも抵抗がある。ただ、政府の力でなくてもいいのだが、よほど大きな力が働かない限り、簡単には、大胆な産業界の再編は進まないというのが現実ではないのか。資本主義の建前はともかく、現実は、そうなのではないのか。ジャパンディスプレイ創出に際しては、経済産業省と政府の後ろ盾のある産業革新機構の力が強く働いたであろうことは、想像に難くない。

もちろん、日本の大企業といえども、自律的に、事業の再編は進めている。特に、最近では、厳しい経済環境も後押しして、再編は加速してきている。しかし、産業革新機構がなかったら、仮にジャパンディスプレイが生まれたとしても、それは、ソニー、東芝、日立製作所の各社が中小型ディスプレイ事業を分離したうえで、三社の共同子会社という形で発足したのではないか。

現実にできたジャパンディスプレイは、確かに、三社がそれぞれ10%出資しているが、経営関与ができないような少数持分にとどまっている。残りの70%は産業革新機構が握っていて、経営責任が非常に明瞭になっている。ここが、従来型の日本の産業界のやり方と違うところだ。共同子会社方式では、三社間の責任の所在が不明になって、結局は、うまくいかなくなったに違いないのだ。

日本の産業界で、選択と集中というようなことは、いわれて久しいような気がする。しかし、選択と集中を徹底すれば、選択に外れた事業からの撤退も大胆に行わないといけない。問題は、撤退という意思決定が、日本的な経営体質のなかでは、難しいことではないのか。

ソニー、東芝、日立製作所の三社は、事実上、中小型ディスプレイ事業から撤退したのだが、それでも、完全に撤退したことにはなっていなくて、各社とも、新会社の10%を所有している。しかし、これは、明らかに事実上の撤退である。経営の主導権が、産業革新機構に完全に移転しているからである。

日本の経営体質として、すくなくとも、撤退を伴う事業再編は行いにくかった。また、仮に事業再編に踏み切っても、共同子会社方式という責任の所在の曖昧なものになりがちだった。そこに、産業革新機構は、事業再編の手続きにおける革新をもちこんだのだ。この仕事、民間のプライベートエクイティのファンドにできたであろうか。おそらくは、できなかった。

第一に、日本のプライベートエクイティのファンドには、産業界に対する影響力の面で、それだけの力がない。第二に、資金力の面でも、ジャパンディスプレイ規模のものをこなす力がない。それが、日本の民間の実力である。実力のない民間が、実力のある「官民ファンド」を批判することはできない。

民間は、「官民ファンド」の次を考えるべきだ。官の機能は「呼び水」というのが安倍政権の約束であるから、官から民への機能の移転は、短期的に実現しなければならない。その民の受け皿については、民で工夫するのが当然であって、そこまで官に期待したらおかしい。今まさに、民の金融機能の実力が問われているのである。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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